隠居たるもの、灼熱の太陽に照らされて、否応なく想い起こす遠い記憶があるものだ。まだ高校生だった38年前、私が属したサッカー部は、校庭改修のために学校から大田区は多摩川沿いの六郷に追いやられ、ひと夏を通して、日射しを遮るものがまるでない河原で練習をするという辛苦を味わった。
水を飲んでは「いけない」時代である
京浜急行 六郷土手駅からグラウンドに向かう途中、大きな温度計を掲げた会社の横を土手づたいに必ず通る。その温度計の針はその夏に見たかぎり、一度たりとも30度を下回ったことがなく、若い私たちを常に恨めしい気持ちにさせた。「あん時、泡吹いてたあいつ、今になってみればあれは熱中症だったよな」なんてこともザラ、よくも大きな事故なく皆でこの歳になれたものと、この身の幸運に感謝するばかりだ。そして私たちの夏にはもうひとつ、その単語を聞くだけで憂鬱になる「合宿」という試練があった。
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2018
昨夏に新潟を6日間にわたって旅した。越後湯沢駅に降り立ったのは7月28日、シャトルバスの列に並んで翌29日までフジロック。ケンドリック・ラマーやボブ・ディランなんかに感じ入る。いつもはそれで帰京するのだが、昨夏に限ってはレンタカーを借りてさらに山の中に分け入った。太陽に照らされた里山が、夏休み気分を否応なく「ヤッホー」と高める。3年に一度、津南や十日町で行われる「大地の芸術祭」を目指していた。そこは、38年ぶりに訪れるサッカー部の合宿地でもあった。
土地の記憶、暮らしの記憶
恵みをもたらす信濃川との共生、山間地での稲作と養蚕、冬になるとそれがゆえに閉じ込められる豪雪、営みを重ねてきた人々の暮らし、ここでしか成立しない「土地」に根ざした作品の数々。広大なエリアで開催されていて、2日半かけても回りきれなかったが、期待をはるかに超える素晴らしいものだった。現代アートの鑑賞に必要なのは審美眼よりも柔軟な思考と感性で、そこを立脚点にすると、意表を突かれることが快感になる。越後湯沢を離れた後に拠点とした松之山温泉 凌雲閣も、「日本秘湯を守る会」の会員宿にふさわしく、「日常」をきっぱりと断ち切ってくれた。そして、「過酷な合宿地」というトラウマに紐づく小さい「土地の記憶」は、38年を経てようやくに塗り替えられた。
今年の夏も暑いのか
8月1日夕に新潟市内に移動してレンタカーを乗り捨てる。市内で開催されていた「水と土の芸術祭2018」にも足を伸ばし、砂丘の街でもう1泊する。その夜は街の古い居酒屋で一杯。とにかくやっぱり米がうまい。フェーン現象真っ只中だったそうで、現地の誰もが観光客の私たちにお詫びするくらいに、旅を通して新潟は暑かった。
梅雨が明けたと思いきや、今年の夏だって危なそうだ。だからさ、張本のとっつぁん、というかこの世にいっぱい蠢くその類の人たちさ、自分の「満足」のために若い者をあおって犠牲を強いるのはやめろよ。自分の「業績」のために、弱い立場にある人間を部品のように扱うなよ。これは、決してスポーツ界に限ったことではない。
ああ、もうすぐ隠居の身。ノスタルジーを履き違えたりはしないけれど、あの頃の夏が鮮明に蘇る。