隠居たるもの、擦り寄られて夏の山。メロン坊やの朝は早い。午前6時を過ぎようものなら上段から「ねえ、起きてよぉ」と父親を揺り起こす声が聞こえてくる。働き盛りの父親はせっかくの休みだし「う〜ん」と少し抵抗する。散種荘の寝室は2段ベッドが2台並んでいて、夜中から朝方にかけて必ず一度はトイレに起きてしまう初老の夫婦がそれぞれの下段で毛布にくるまり、若いものが上段に上がって就寝することが多い。ここでは父親と一緒に寝るメロン坊や、私の寝床の上が定位置だ。直接に呼びかけられてもいないのに、初老だからこそ下段に横たわる大叔父の目はパッチリと開く。さて、若いものたちのスケジュールは今日もハードなようだ。

うっぷんを晴らすようにハードなスケジュール

2024年8月10日、この日から最大9連休ともなる今年のお盆休みが始まった。姪夫婦もこの一般的な日程でしか休めないそうで、10日から12日の日程で散種荘にやってきた。4年前にここが完成してからというもの、幾度と知れず白馬で遊んできた一家、もはや案内する必要などない。レンタカーだけ借り受けておけば、あとは自分たちで勝手に夏休みを謳歌する。午前11時20分に八方バスターミナルに到着したのち、午後に青木湖でカヌー、夜に昆虫採集ツアー、私たちが経験したことのないアクティビティーそれぞれに予約を入れているという。忙しく働く若夫婦、息子をダシに日頃のストレスを発散したいのだろう。微笑ましい。大叔母と大叔父は食事や風呂の支度をしながらお留守番だ。

メロン歯科医院

姪のパートナーがケタケタ笑って教えてくれたところによると、日本有数の透明度を誇る青木湖に姪がカヌーから飛び込んだのだそうだ。「気持ちいいっ〜」と叫んだのち再び乗り込もうと船体を傾けた拍子、どっと水が流れ込み転覆しかけてそれはそれは大変だったのだという。横で姪も「もう必死だったぁ〜」とケタケタ笑っている。そのまた横で、味あわされた恐怖に対する抗議の意志を示しているのか、メロン坊やは口を真一文字に結んでいる。微笑ましい。そんな初日から明けた滞在2日目、この日は糸魚川まで日帰りドライブに出かけ、フォッサマグナミュージアムでレクチャーを受けながら、石を探して鑑定を受けたり化石発掘の体験をするんだそうだ。しかしメロン坊やには出発する前にしておかなければいけないことがあった。朝食を終えたあと、私の手をひき窓辺のソファに座るよう促す。なるほど、ここは天才歯科医の「歯科用ユニット」で、彼が駆使する道具はオオクワガタやヘラクレスオオカブト。院長先生の治療が始まる。そして先生は「ふう」と満足そうにひと息ついた。麻酔もしてくれないからドギマギしたが、いささかも痛みを感じることはなかった。やはり名医である。壁の向こう、土間の棚に置いておいた虫かごの中で、昨晩に採集されてきたクワガタ2匹が、ひっそりカサコソと食事をしていた。

最終日に見せる年の功

遅い午後のバスで親子が白馬を立つという3日目の朝、彼らが裏の平川に遊びにいったすきに私たちは段取りの最終確認に余念がない。隣の小谷村(おたりむら)で2023年から羊飼いを本格的に始めた友だちの牧場、KAMISUKI SHEEP FARMONYをみなで訪ねる。白馬村を源流とする姫川が急流に変わる小谷村は山深い。ドライブすること40分弱、待ち合わせ場所とした道の駅おたりは大型連休らしく家族たちでごった返していた。迎えに来てくれた牧場主は、「そのレンタカーなら大丈夫ですね、クネクネした山道をしばらく登って行きますから」と道の駅の裏の山を指差す。馴染みのレンタカー屋さんの社長が「ごめんね、いつものような小型車に空きがなくて…。でも小型車の料金でいいからさ」と貸してくれたこの四輪駆動車、思いもよらずここで効力を発揮する。牧場主しかり、レンタカー屋さんしかり、こうした人たちと親しくしていてこの訪問をアレンジできることこそ年の功。メロンよ、「患者」となるばかりではないのだ、この滞在で初めてともに遊びに出かける大叔父と大叔母を、大いに見直しなさい。

山上の楽園を吹き渡る風は冷気をまとう

自動車ですれ違うことなど不可能な曲がりくねった山道の先に広がる牧場はまさしく楽園だった。遮るものもなければ、見渡すかぎり人工物がない。足元を飛び交うコオロギがデカい。標高は800mほどとそこまで高くはないのだが、吹き渡る風は冷気すらまとっている。牧場で借りたものや洗った上で散種荘から持参した長靴に履き替え、靴底を石灰にまぶし消毒して牧場に降り立つ。伝染病の菌などをうっかり持ち込まないためだ。用意できる長靴がなかったメロン坊やの足元は、私が就寝前に日々に口にするウィスキー用のロックアイスの丈夫な袋で覆われた(これを取っておいたつれあいのファインプレー。私の飲酒が巡り巡ってこのように役に立つとは予想だにしなかった、笑)。みなで並んで見やる木の茂みから「メェ〜」と聞こえてくる。

KAMISUKI SHEEP FARMONY:https://www.instagram.com/kamisuki_sheep_farmony/

羊たちは快く野太い声で鳴く

羊の鳴き声が思いのほかに野太く大きくて面食らう。そして私たちが近づくなり「メェ〜」と寄ってくる。人懐こくてなんともかわいい…。牧場主は「このところ雨が降らないので…。本当はもっと毛が白くてキレイなんですよ」と申し訳ながるが、メロン坊やは「モフモフしてる」とそんなことは意に介さない。

気まぐれにあちらこちらで仲良く草を食んでいたかと思うと、私たちの誰かを見つけて一頭が寄ってくる。それにつられて草を食み食み姉妹たちがゆっくりと後に続く。大型連休の喧騒から離れ、羊の方が多い空に近い山の中、なんとも平穏である。

夏休みの社会科見学

ひと月ほど前のこと、彼らが深山成吉思汗に出荷した肉を私たち夫婦は食している。大変に美味しかった。この日、牧場主二人とアパレルを長年の生業にしてきたつれあいは、この子たちから取れる毛糸について話を交わしていた。実は毛糸というのは製品となる過程で環境にダメージを与え続けてきた。洗浄に使われる大量の熱湯を沸かすためにCO2を撒き散らしてきたし、そもそも洗剤そのものがケミカルで汚染を引き起こす。従来の方法によらない持続可能な方法で、この子たちのウールの価値を高められないか、彼らは真剣に考えいていた。

亀の湯の娘

「そういえば、亀の湯の娘がオリンピックに出てたんだよ」と姪夫婦が言う。亀の湯とは東京の住まいの近所、「壁に富士山の絵がかかり少し湯が熱い」昔ながらの下町の銭湯だ。娘がビーチバレー日本代表としてオリンピックに出場していて、その競技期間中、軒先に「応援に出向くため休業します」と張り紙されていたのだという。前回の東京大会以来、裏に蔓延るその強欲に辟易しオリンピックにさっぱり興味が持てなくなった。今回もニュース番組で流れる否応なしのダイジェスト以外にまるっきり観ていない。「そうと知っていれば亀の湯の娘くらいは応援したのに」とも思うが、どちらにしろパリオリンピックももう終わり。自然の中でたっぷり遊んだメロン坊やは、東京に帰るなりバタンキューだったそうだ。ああ、もうすぐ隠居の身。山上から残暑お見舞い申し上げます。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です