隠居たるもの、おっかなびっくり新春を寿ぐ。明けましておめでとうございます。
我が家では大晦日の昼食はカップラーメンと相場が決まっている。あらためて確認するまでもなく、大掃除とは大がかりな掃除であるがゆえ、その最終仕上げとなる大晦日に「昼はどうする?」などと呑気に構えてはいられない。それならばとお初の銘柄を選びささやかな冒険を試みる。「和風だし、なるほどね」とほんの少しだけ感心し、大掃除に専念する午後のこと。「不要」と決断したCDプレイヤーを片づけようと床から持ち上げたまさにそのとき、“あの感覚”が腰を急襲したのである。
大掃除には常に決断が伴う。例えばすっかり気まぐれになったこの古いCDプレイヤー。頻繁に怪しい動きをするからと2年前に新しいものを買い求めたにも関わらず、「いつか出番があるやもしれぬ」と持ち前の物持ちの良さを発揮、つれあいの冷ややかな視線を尻目にオーディオラックに残したままにしてあった。しかしこの2年、やはり一度も使うことはなかった。オーディオラックを持ち上げ前にずらし、古いCDプレイヤーの背面に配線されているすべてのコードを抜き、そこそこ重い機械を棚から抜き出す。そこに溜まっていた埃を雑巾で拭き上げ、代わりにBlu-rayレコーダーを空いたスペースに収め、ラックをもとに戻す。そして床に置いたCDプレイヤーを移動させるべく、力を入れて踏ん張ったそのときだ。“あの感覚”に襲われるとほぼ同時、「いかん!」と咄嗟に腰を落とす。
“老いるショック”、あれは4年前
即座に座るか寝るかして腰にいささかの負担もかけずしばらくは動かない。それをとどめにぎっくりいってしまうから、間違ってもここで体幹を使おうとはしない。痛い目にあったからこそ体得した対処法だ。“あの感覚”が再び訪れてこないことを確認し、無理せず周囲につかまり脚力のみを頼りに立ち上がる。大丈夫、そこそこのダメージは負ったがすんでのところで「致命傷」には至っていない。あれは4年前、初めてぎっくり腰に襲われた。その後も2度ほどつらい経験をした。そうした“老いるショック”を重ね、怪しくなったことは何度かあっても、2024年は一度もぎっくり腰で寝込んでいない、つまり成長しているのだ、つれあいとそんな話をしたばかりでもあった。だのにどん詰まりの大晦日にぎっくりしてなるものか。しかし大掃除を終わらせないと新年は迎えられない。持てる経験から細心の注意を払い、つれあいの手を借り、ぎこちなく体を動かしなんとか日暮れどきには終わらせた。帳尻を合わせる、私のモットーである。
2025年1月1日、つまり元旦
あれは12年前、その年から元旦のこの日の午前中にすることは変わらない。まず朝起きて、正月らしい朝食をとり、墓参に出向き、それからこの墓所を運営するお寺さんに詣でる。六角堂に深川七福神の福禄寿が安置されているため、七福神巡りをするお客さんで例年そこそこ賑わう。母が亡くなってすぐの頃は父も一緒であったが、9年前にその父も母のもとに逝き今は同じ墓で眠っている。ともに90歳を超え長生きであった両親、そして長寿を司る福神 福禄寿。それだからというわけではなかろうし、歩くには支障ないもののぎっくりしかけていて立ち上がるたびおっかなびっくりだからというわけでもなかろう。墓前でもお詣りでも、今年はどういうわけか「健康」以外に願いごとが思い浮かばなかった。
日が暮れる時分に友だちが遊びに来て、深川の目利きの魚屋さん 安彦水産から大晦日の午前中にピックアップしておいた正月用の刺身を主な肴にして新年会が始まる。彼女とテーブルをともにするのは昨年の7月以来。顔を合わせて酌み交わす盃はやはり美味しく、酒の力を借りそうこうしているうち、腰をめぐる危機はすっかりと去っていった。
穏やかな晴天ととんでもない大雪
明けて1月2日、毎年正月の2日と3日に常設展を無料開放する東京都現代美術館に散歩がてら「定点観測」に出向く。すると入場券購入窓口に長蛇の列ができている。正月早々に大変な混雑ぶり、しかも国際色豊かだ。そうだった、昨年末から坂本龍一展が始まっているのだった。私たちもそうだが、出先の外国で美術館に足を運びたがる人は多い。そうしたインバウンドさんからしたらわざわざ日本でモネの睡蓮を観たって「なんだかなぁ」とありがたくもないだろうし、この国を代表する亡くなったばかりの世界的音楽家の展覧会、こんな素敵な土産話も他にない。しかしこの日の私たちの目当てはあくまで無料で開放されている常設展だけだから、列には並ばず勝手知ったる奥の入場口にそのまま向かう。坂本龍一展、終了する3月では混雑するだろうし、国内からのお客さんがぐっと少ない1月か2月の平日に観に行こうと思う。
映画「オッペンハイマー」の上映時間は3時間。以前ほどに集中力を保てない初老の身にはいささかつらい。なので正月料理の残りを並べて晩酌しつつ録画していたものを鑑賞する。なるほど、なんとも厄介な人生だ。亡くなるまで原子力発電所に反対した坂本龍一の展覧会が盛況を迎えると同時に、原爆の父オッペンハイマーの伝記映画がアカデミー賞を獲得する。2024年から2025年あたりというのはそんな時代だ。残る食材を食べ尽くし、明けて朝早くに私たちは白馬に向かう。
とんでもなく降っていると聞き及んではいた。駅近くの様子はまるで「北の果て」。散種荘に到着してみれば、まだ正月も三が日だというのに先がつまっていて屋根雪が落ちるすべを失いすでに落ちた雪となし崩しに連結していた。留守にしていた数日の間に停電があったようで換気扇が動いている。停止させていたのに通電の拍子に自動的に動き始めたのだ。雪の重みによって木が倒れ、電線に支障をきたし、限定的な地域で停電が頻繁に発生する。「12月にここまで降ることは今までにはなかったんだよなぁ」、白馬の人は口々にそう言う。
「いつものように幕が開き」
アイヌの民俗楽器トンコリを使ってDUBを奏でるOKI DUB AINU BANDという知る人ぞ知るとんでもないバンドがあって、そのバンドの作品である現代アイヌ音楽の金字塔「SAKHALIN ROCK(サハリンロック)」のレコードが4,800円で再発売されるとディスクユニオンから昨年末にメールがあった。プレス枚数も少なく間違いなく売り切れるから予約しておきたいのだが、送料が無料となる5,000円にこれだけだと200円足りない。送料は440円だ。癪にさわるから送料以下の安い中古レコードを探してみると「ちあきなおみ ゴールデン・スター・ワイド・デラックス」が380円。この2枚がお年玉のように散種荘に届いていた。まだ在庫が残っているのか調べてみると、「SAKHALIN ROCK」は案の定すでに売り切れていた。
「熊本にいた小学3年生のとき、歌詞の深い意味もわからず『喝采』を登下校中に歌ってたのよ。あの年のレコード大賞だったでしょ、ランドセル背負って『あれは3年前♩』ってね」薪ストーブにあたりながらつれあいは饒舌だ。半世紀と少し前、当時のレコード大賞といえば国をあげての大変な権威だった。そこではたと思い出す。私は年頭に音楽がらみから引用してその年のテーマなるものを決めていた。それが今年はまったくもって思い浮かばない。実はここ2年ほどは無理くりでもあった。半世紀を経た末に、「がんばって一年ずつ何かを積み重ねる」というフェーズからようやくにして卒業したのだろうか。考えてみれば「健康」以外に願いごとが思い当たらなくなったのも根は同じなのかもしれない。性懲りも無くやりたいことはあるが、あくまでも道楽の範疇、ということで、おっかなびっくりの腰を抱えて「いつものように幕が開いた」2025年、テーマを決めずに気ままにいこうと思う。結局のところ帳尻が合えばそれでいい。ああ、もうすぐ隠居の身。今年もどうぞよろしくお願いいたします。