隠居たるもの、酷暑の中で重大な決断に至る。2025年8月10日、前夜遅くから引き続き白馬では雨が降っている。この三連休を皮切りに日本全国一般的な夏休みが始まった。斜向かいの貸しコテージにもお客さんが車で意気揚々と到着したのではあるが、あいにくといえばあいにく、外で遊ぶのに適した天候からはほど遠い。私はといえば屋根の下のテラスに座り漫然と庭を眺めている。ここを行き交う生き物たちは雨が気にならないようだ。庭のほぼ真ん中にこの夏するすると勝手に伸びたアザミがあって、どこよりか大きく妖艶なミヤマカラスアゲハが飛来しほんのり赤く咲いたその花から悠然と蜜を吸う。すっかりこの庭をプレイグラウンドとしているひょうきんもののヤマガラがそのすぐ横をおどけてすり抜け、挨拶をするかのように私の目の前に設置されている「ひまわりのタネ板」にとまり羽根を閉じる。このふた月というもの、私たち夫婦は検討に検討を重ね、そしてとうとう「来夏よりこの散種荘を本宅とする」という決断に至った。となれば深川の庵、つまりは東京のマンションをどうするか。来春までに売却することにしたのである。

#山の家プロジェクトと二拠点生活

「もうすぐ隠居の身」と称するこのブログ、本来の趣旨は「隠居に至るまでの試行錯誤を披露する」ことにあった。だから今回の決断に至った経緯をここでつまびらかにするのは言うなれば「本筋」にあたる。なのでさっそく始めてみよう。フライングして2020年に56歳で勤め先を定年退職するにあたり、スノーボード好きが高じて清水の舞台から飛び降り退職金をはたいて白馬に小さな別荘を建てた。あくまで「別荘」というつもりだったから東京のマンションが「本宅」であったのだけれど、やはり一からこしらえた自分たちの家は愛おしく、またコロナ禍の余波で社会が「オンライン」を許容する方向へと進んだこともあって、東京の夏が年々刻々と耐えがたいものになるにつれ白馬での滞在日数も年々刻々と増え、いつしかそれぞれ半々、調子に乗って什器備品もそろえてまさしく「二拠点生活」と呼ぶべきものに変貌した。そうとなると浮上するのが「費用」の問題。もちろん二つの拠点を維持するのにはお金がかかる。行き来する交通費だってバカにならない。そもそもお大尽ではないところに、私は早々と定年退職してしまったし、つれあいの事業だってそろそろ一段落…

「よし、わかった。このマンションを売ろう」

つれあいはキョトンとした顔をしていた。ふた月半ほども前のことになろうか。仕事に問題が出来し滞り、その渦中で小さいとはいえ自らの注意散漫なミスも見つけてしまい(結局のところそれはなんの問題にもならなかったのだが、これまでなら犯すはずもなかった失態に彼女は動揺した)、すっかり自信をなくして「ああ、あんたみたいにもう仕事を辞めたい…」とクヨクヨしてみたら、「よし、わかった。いつ辞めてもいいように、このマンションを売ろう」と予期したこともないプランを切り出され面食らったのだ。それでは私が投げやりに突如そんなことを口にしたのかというと、さにあらず、いたって真面目だった。

そもそもファイナンシャルプランナーであった私の辞書に「投げやり」という文字はない。年金がもらえるまであと数年、ファイナンスに問題が生じたとしても潤沢とはいえないカツカツなけなしの老後資金にさっそく手をつけるわけにはいかないし、とはいえ一旦はまったとしたらどげんかせんとドツボからは抜けられず、ということで例えば何着か残してあるスーツを着込んで私が再就職するとか、常にいろいろ仮定してシュミレーションしてはいたのだ。ゆえにファイナンスの不安を一気に解決する起死回生の選択肢として「マンション売却」は常に念頭に置かれてはいた。おりしも東京23区のマンション価格高騰が叫ばれる昨今、私たちが暮らすこの古いマンションがときたま「ひょえ〜」という価格で売り出されるのを見るにつけ、バブル崩壊を青年期に目の当たりにした初老の身としては、「こんな高値、そう長くも続くまい、売るというなら今か…」とソワソワする心持ちも実のところ抱えてはいたのである。

棲み家をめぐる考察

とはいえ20年以上暮らして愛着あふれる住まいをそう簡単に手放せようか。まずはここを検証してみる。白馬で5年という月日を過ごし、浮かび上がる問題もひとつずつ解決し、その暮らしになんら支障を感じなくなった。それどころか静かな山の中、語り合うご近所さんもできたし、むしろ穏やかでよっぽど居心地がいい。では東京に用事はもうないのか。こちとら江戸っ子、もちろん、ある。あらためて「今後はあくせくと無理することまではしない」と夫婦間でコンセンサスを得たもののアパレル事業は今しばらく続けるし、お互いの人づきあいや属するコミュニティにおける役割もある。白馬にいても大概のものはクロネコヤマトや佐川急便が運んできてくれるが(Amazonや楽天がすごいのではない、特筆すべきは山の中まで行き届く日本の配送システムである)、映画館や美術館に寄席やライブハウス、それに刺激的な本屋といった類の文化施設は白馬にはない。よってまだまだ東京に拠点は必要だ。ここで浮上するのが「事業をたたむまでは」と昨年の秋から借りているつれあいの仕事場、銭湯の2階である。

文化圏として深川であることは変わらないし、メロン坊やの住居からもより近い。ここが思いのほか静かで(ときおりカコーンと風呂桶が響くのは別にして)快適だったのだ。白馬を本宅として東京滞在日数が例えばひと月に一週間ほどに減ったとしよう、するとなればその間に集中して外出と外食の頻度は間違いなく増える、ならばキッチンが立派である必要もないし風呂がないぶん廉価でだだっ広いこの部屋に寝泊まりすることはかえって論理的、日々に一階の銭湯まで下りて大きな風呂に入るというのもレジャーとしてかえって魅力的(店子は入浴料が半額、掃除だってしなくていい、この年になって銭湯が閉まる時間まで飲み歩くこともないし、そもそもそこまで酒を飲んだら危ないから入浴してはいけない)、べらぼうに高騰している東京のホテル代を考え合わせればとんでもなく合理的。そもそもマンションというのは所有するだけで家賃同様に管理費や修繕積立金が発生するのだからして(しかも将来的に値上げされることはほぼ確実)、その代わりとしてここの家賃を払い続けるというのもさほど突拍子もないことではない。「ふわ〜」という金額で売れたとしたらその原資だって捻出確保できる。銭湯は大々的にリニューアルされたばかりで跡取り息子と思しき若いアンちゃんもせっせと働いている。大家でもある銭湯が早晩に閉まる心配もなさそうだ。

医療環境をめぐる考察

「より高齢になった時の医療へのアクセスを考えて東京の家は残しておいた方がいいのでは?」とアドバイスされることも多かった。続いて検証すべきはここだ。かつて私たち夫婦もそう思っていたが、現在それについては異なる見解を持っている。一昨年の夏、白馬でつれあいが嘔吐を繰り返し伏せった。白馬診療所のベテラン医師はすぐさま「胆石発作と思われる」と診断し、「この近くでいえば安曇野赤十字病院となるが、大きな病院でMRI検査をしてもらうといい」と紹介状とともにCTスキャン画像のディスクを持たせてくれた。「医療となればやはり東京」と条件反射のように反応した私たちはすぐに帰京し、かつては東京都直営だった(小池百合子都知事がそうでなくしてしまった)近隣地域の拠点病院に予約を取った。ごった返す待合室で延々と待たされ、持参した紹介状もCT画像もまるっきり見ない若い医師から「胆石とは断定できない」とMRIの他に必要とも思えないいくつもの検査を強要され、3日をかけて通う羽目になった。その間つれあいは食事をろくすっぽ摂取することもできず(若い医師は「二週間くらい食べなくても人は死なない」と言い放った)、かさむ検査費用を支払わされた。そうして出された診断はなんと「胆石発作」…。なにもこの医師とこの病院だけのことではなかろう。度を越した人口過密と高齢者比率の増大、著しい人材不足および倫理観の欠如、「医療となればやはり東京」というのはもはや幻想に過ぎないのかもしれない、本質的な問題を垣間見た。あの時だって安曇野赤十字病院に行っておけばよかった。

#山の家プロジェクト最終章の幕が開く

意を決して近所の不動産屋に査定してもらったところ、やはり「ぴあ〜」という提示がなされた。それを資金として白馬に離れをこしらえ深川の書斎を移設する。いざというとき容易に病院に行けるよう車も手に入れよう。プロのカメラマンが撮影した写真を掲載して本格的な夏休みが始まる前に売出しページも更新された。今や耐え難いほどに暑くなにもかもが過剰、選挙結果で可視化されたようにデマと憎悪が渦巻く、そんな都会はもはや初老の身にはToo Much、これまでで充分に楽しんだし若い者にその場を譲ろう。銭湯の2階がこれからの「東京事務所」だ。しかし年齢を重ねるうちいつしか白馬の雪と格闘できなくなる日がやって来るやもしれぬ。その頃には銭湯の2階も引き払っているに違いない。そうとなったら持ち物を大幅に減らしてまた引っ越そう。その時だって先端医療は東京近郊に集中しているだろうから、いざという時はそこにアクセスしやすいよう「ごった返してはいないけど東京に出て行きやすい地方都市」、通常の医療であれば問題のない松本とか伊豆のどこか、そういう土地を探してみよう。高齢者住宅に入るという選択肢もあるだろう。そんなことに考えを巡らす私をヤマガラが首を傾げて見つめている。はてさて、どうなることか。ああ、もうすぐ隠居の身。とにかく「#山の家プロジェクト最終章」の幕は開いたようだ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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