隠居たるもの、号令かけた秋の空。何を隠そう号令をかけたのはつれあいである。熊本で暮らす義父母もさすがに寄る年波、とりわけても90歳を超える義父はもはや自由闊達に動けない。また、彼のひ孫のうち年長の一人が先の春に晴れて一年生となったことを皮切りに、順繰り3人がそろって小学生となる一年半後ともなれば、それぞれ習いごとなぞ始めたりしてそれ相応に忙しくもなり、熊本・宇都宮・東京・白馬と各地にばらけて暮らす一族郎党が臨機応変に顔を合わせるのも至難の業、つれあいはそんなこんなを勘案し「今のうちに」と目論んだ。なにも「パーティー開催」などと大それた計画を妄想したわけではない。一族郎党が一堂に会し、そろって写真スタジオに出向き、後々まで残るような記念の写真をプロに撮影してもらおう、ささやかにそう思いついたのである。それならば「すっかり涼しくなる秋に」と日程を決めた。なのに私たちが先乗りして降り立った2025年10月10日、その日の熊本の最高気温は33℃だった。

古くからの商店街から古くからの商店街へ
翌日に熊本行きが控えているというのに、私はまたしても飲んでいた。8月初旬にアップした省察で「中高同級生と出向いた浅草の焼肉屋で惹起された一大騒動」について紹介したが、そのとき私の横で白目を剥いて死にかけたあいつが、「お詫びとお礼のためにあらためて一席もうけたい」と恥ずかしそうに残りの4人を呼び出した。「涼しくなったころに」ということで10月9日となり、奴が「主催するからには勝手のわかった地元で」と考えたからか葛飾区は立石で、ということになった。立石といえば「せんべろ(「1,000円でべろべろに酔える」の略称、この価格帯で飲める大衆居酒屋や立ち飲み屋、角打ちなどを指す)」の聖地であったが、今や駅周辺大規模再開発の真っ只中、活況を呈していた立石仲見世の店々もすっかりシャッターを閉めて取り壊しを待っている。友だちが予約した店は「せんべろ」から程遠い以前からある名店で、美味しい肴と珍しい日本酒に興じつつ「だからさ…」なんて説教しているうちすっかり調子に乗ってしまった。しばらくしたら跡形もなくなるアーケードの下、薄い上っ張りを羽織っていい心持ちで私は家路に着いた。

最高気温が20℃に満たない東京から、32℃と予報されている熊本に飛ぶ。調子に乗って日本酒を飲みすぎたか、前夜の酒がけっこう残っている。しかも着いてそのままつれあいの親族の姉妹と夕食をともにする約束をしている。だからといって億劫な気分は微塵もない。顔を見合わせて挨拶する機会はいくらかあったが、彼女たちと最後に親しく話をしたのはどれくらい前になろうか。過去の写真から指折り数えると12年も経っている。土地勘がないから店の選択は若い姉妹にもちろん一任。妹が指定したのはつれあいの実家の近く、市電の終着駅に古くから連なる建軍商店街の一画にできた「焼き鳥と野菜巻き uguisu」という新しい店。女性比率高めの若いお客さんたちで程なく満席となる。調度は小洒落ているし料理は美味しい。姉妹によると、古くからあるこの商店街は新しい店が増えて「近頃きてる」んだそうだ。居心地のいい空間で、12年ぶりとは思えないほどに、だけれども12年ぶりという密度で、2時間という制限時間では足りないほどに、私たちはあれこれ話した。

最高気温34℃の街に出る
明けて10月11日朝、行かないで済む理由を探すも結局は周囲を納得させられるだけのものを見つけることはできず、義父がしぶしぶデイサービスに出かける。ほどなく義母も俳句の会に出向くため家を出る。宇都宮からの義兄一同と東京からの姪一家が空港で落ち合ってやって来るのは夜になる。外気温がみるみる上がっていることが家内からも実感されるが、私たち夫婦もせっかくだから街へと定点観測に出かけよう。この日の最高気温は10月も半ばだというのになんたることか34℃。半ズボンを持参していて本当に良かった。

定点観測といえば上通の長崎屋書店、6月以来4ヶ月ぶりの来訪だ。店をひと回りして、芥川賞候補ともなった温又柔(おん ゆうじゅう)の「煌めくポリフォニー わたしの母語たち」という書物を中央の棚から手に取りレジまで持っていく。複数の言語のはざまに立つ彼女だからこそ、言語が持つその豊かさを紡ぎ出せる。その一方で、どうしても気にかかる本がもう一冊、4ヶ月前に平積みになっていたからこそ買い求めた「戌井昭人 芥川賞落選小説集」だ。あのときと変わらず平積みで陳列されているのだが、人気のロングセラーというより、あんまり売れず仕方ないからあのまま今に至っている、「もしかして買ったのは私だけ?」、そんな気配なのだ。セレクトした店としても真っ向から目論見が外れてどうしたらいいかわからず困惑しているのかもしれない。もちろんもう一冊買うわけにもいかないが、これ、愛おしくとても面白いのだ。なんだか立ち去り難く「どうにかなんねえのかなぁ」と平積みの前でウロウロ…。そんな初老の不審な男は店にとってもはた迷惑であろうが、それにして芥川賞を逃した作家に優しい店である。

ばけばけ
新しく始まったNHK朝ドラ「ばけばけ」、ご覧になっておられるだろうか。我が家では今のところ非常に評価が高い。ハンバートハンバートが「毎日難儀なことばかり」とか「日に日に世界が悪くなる」と歌う主題歌も今日の日常にしっくりきて身に沁みる。ハンバートハンバートのあの夫婦、15年くらい前からしばらく数年だったか、各地の音楽フェスの小さなステージで早い時間帯に20分ほど歌う姿をよく観ていた。だから「とうとう朝ドラ主題歌まで辿り着いたか」と感慨深い。「笑ったり転んだり」と題したあの曲にはそんな年季が入っている。そして熊本でもひっそり「ばけばけ」は盛り上がっている。なぜなら小泉八雲とセツはこの地でも暮らしたからだ。街の中心にデンと鎮座まします鶴屋百貨店という老舗デパートの裏に、ひっそり小泉八雲熊本旧居が今も残されている。せっかくだからと200円の入場料を払って意気揚々見学してみた。朝ドラになって張り切っておられるのか、職員さんが展示パネルともども懇切丁寧に夫婦の来歴を説明してくださる。それはそれで勉強になるのだが、おかげでドラマの行く末までもがすっかりわかってしまう🤣まあ、それもやむなし。さて、市電で家に戻ってまずは義父母を迎える準備にかかろうじゃないか。
一族の記念写真
さらに一夜明けて10月12日、義兄が空港で借りてきたレンタカーと実家に残っていた軽自動車の2台に総勢12名が分乗して、つれあいがインターネットで検索して見つけたhacoという写真スタジオに朝から向かう。箱のような建物だからスタジオ名をhacoとしたのだそうだが、外光がたっぷり入る素敵なスタジオだ。義父母を除いて大人のドレスコードとした白いシャツが映える。そして義父母を中心に全員で、義父母二人のみ、義兄夫婦のみ、私たち夫婦のみ、姪と子どもたち、そんなカテゴリー分けで撮影は進む。カメラマンの腕も間違いなく、スタッフともども子どもを飽きさせず笑顔にする術も巧み、次々とシャッターが切られる。義母の表情が晴れやかなのが何よりだ。

撮影された数々の写真から当初のプラン通りに20枚ピックアップする作業を二人の姪に任せ、私たち夫婦はカメラマンとの会話に興じる。10歳ほど年下の彼は山好きで、この夏にも八方池から足を伸ばして唐松岳に登ったのだそうだ。一線から退いたら「長野県で暮らしたい」とも言っていた。なのでFBで友だちになって、今後も情報交換できるようにしておいた。また白馬に遊びに来ることがあるならば、ぜひ合流しようじゃないか。それより前に熊本で一杯やる機会があるやもしれないが。

東京の最高気温はせいぜい20℃
宇都宮からの義兄一同と東京からの姪一家は、前乗りしていた私たちに替わってあと一泊だけ残る。私たち夫婦はというと午後に親戚回りなぞして、その日の最終便に乗って東京に戻った。白い長袖シャツは写真スタジオを後にするなり脱いでいたのだが、日が暮れると流石に風も涼しく、空港への移動の過程でまた羽織った。それどころか夜遅い東京はシャツ一枚では心許ない。とにもかくにも、写真の出来上がりが楽しみだ。ああ、もうすぐ隠居の身。それを眺めつつ短い秋をゆっくり堪能しよう。