隠居たるもの、思考を巡らせ「ノン」と言う。2024年7月10日水曜日、月曜火曜に比べてほんの少し和らいだとはいえ、この日も東京の最高気温は34℃になろうかという暑い昼下がりのことだった。ジムに出向いてギックリばったり筋力トレーニングに励み、そのまま駅近くの店まで足を伸ばして下町価格の海鮮丼をかきこみ、炎熱の中を歩いて帰宅、ソファにしなだれかかって「やれやれ」と一息ついた頃合いだった。登録していないやたら桁数の多い番号からスマホに電話がかかる。そのまま鳴らしておくのもかえって面倒だから出てみると、知らない男が開口一番「警視庁の者です。あなたは鹿児島で犯罪に巻き込まれた可能性があります」とのたまう。
ご苦労なことにバングラデシュから
「機微情報が含まれるお話になりますし、犯罪捜査に関わる電話ですのでこの通話は録音しております。人から聞かれないよう個室に移動してください。」
「今ここにいるのは私一人ですので気になさらず続けてください。」
「山本なにがしという者を主犯とする犯罪グループによってあなたのキャッシュカードが鹿児島で使われた痕跡があります。直近3ヶ月で身分証などを含めて紛失したということはありませんか?」
「まったくもってそうした記憶はありませんな」
「そうですか。それではキャッシュカードのご確認に…」
「その前に私にも確認させてください。電話の音質がすごぶる悪いのですがどうしてですか?」
「犯罪捜査に関わる電話ですので暗号化された信号を使っているのです。」
「おい、いくらなんでも警視庁がそんな品質の電話を使うわけねえだろ。嘘をつくんじゃねえぞ、この野郎。てめえ、これ国際電話だろ!」
ツーツーツー、電話は切れた。発信先をあらためて確認してみると、そこには「バングラデシュ」と記されていた。
「物語」の行方
電話口に出るなり私の名前を呼び確認したところを見ると、氏名と電話番号および住所をどこからか入手しているのだろう。残念なことだが小銭欲しさに名簿やリストを売る者がいる。還暦を過ぎたところで「高齢者」と認定されたのかもしれない。そして架空の「物語」に信憑性を持たせるため鹿児島という具体的な地名を持ち出し舞台にするわけだが、それも彼の地をよく知る東京人は少ないと算段し、「天文館にあるあの支店で使われたのですか?」と突っ込まれることを避けるべく遠方を選んだのだと思われる。佐藤や鈴木や田中ほどではないが決して少なくはない山本という名前を持ち出して「リアリティ」を演出し、詐欺電話と気づいた周囲から茶々が入らないよう一人きりになるよう促すのも巧みだ。そして住所も知っているのだから「キャッシュカードの確認」交渉が成立すればあっという間にやって来る。その迅速さをこそ信用して暗証番号とともにカードを渡してしまったらもはや「The End」。だから目の前に差し出される「物語」をうっかり鵜呑みにしちゃあならないんだ。
なんてことを翌朝につれあいと話していたら、またバングラデシュからの電話が鳴る。昨日の「働き者」が粘りを見せようと再度かけてきたのか、それとも同じリストを使う同僚が伝達不行き届きでダイヤルしてきたのか。発信ごとに番号が変わるよう細工しているからタチが悪い。ここは面白がって出てみる。すると名前を確認するなり先方が「あ…」と躊躇して黙り込む。助け舟を出して「今度はどこで俺は犯罪に巻き込まれたんだ?」と返すと、ツーツーツー…。つれあいは「さすが、ドスを利かすねぇ」と笑う。私はその日の夕刻、大隈銅像を背にして大隈講堂を臨む正門手前の左側 母校3号館で、後輩である現役学生も交えた「勉強会」らしきものに参加することになっていた。2日続けてかかってきた電話のエピソードを先輩や後輩に披露すると、これまたそこそこウケたのであった。
かつての中庭スペースがエスカレーターホール
オンラインで参加する人もいるため、「勉強会」にはWi-Fi環境が安定して整う環境が必要だった。行く先々のインフラなど念頭に置く必要のない日々を送っている私に会場選定の荷は重い。すると現役学生が「3号館のミーティングスペースを予約します」とあっさり難題を解決してくれた。キャンパスをうろうろすることはあっても校舎内に入るのはは37年ぶり、度肝を抜かれた。いきなり近未来的なエスカレーターホールになっている。「ここ、昔は中庭みたいなスペースだったんだけどね」と3号館を校舎とする政治経済学部出身の先輩も驚く。そのエスカレーターを上った先に、Wi-Fiも通ればプロジェクターも完備されたミーティングルームはある。今の子はこんな環境で勉強しているのか…
リニューアルした清龍で酒を飲む
「勉強会」の後はどこかで酒を飲んで「復習」に励まなくてはいけない。高田馬場に移動して清龍に入った。現役学生2人は初めてだという。おじさんたちは汚かった頃も、小綺麗にリニューアルされた後も知っている。かろうじて一つ空いていたテーブルに座を占める。生まれ年に半世紀ほどの隔たりがある我が一団の話はいつしか熱を帯びてくる。「どう思うんだい?」自ずと終わったばかりの東京都知事選挙に矛先が向いた。大隈講堂横のポスター掲示板にはNHK党のポスターがずらりと貼ってあった。
魑魅魍魎大決戦
魑魅魍魎大決戦の様相を呈した都知事選は、テレビの手も借りやはり魑魅魍魎の親玉が制した。その選挙結果にではなく、中身の空虚さにほとほと驚いた、という点で私たちの感慨は一致する。1400万人ほどが密集して暮らす、幾多の問題を抱えた大都会の政治的舵取りを決める重大な選挙である。なのに肝心の政策はまったく議論されず、それどころか「難しいこというなよ」とばかりに回避すらされ、結局は架空の「物語」に依拠するイメージ醸成に長けた二人がワンツーフィニッシュ。コロナ禍に持てる力を発揮したオードリー・タンという人が台湾にいるが、「あんな天才が日本にいたら」と羨望の眼差しを向けていたくせに、それに匹敵する33歳の安野貴博という人材が立候補しても、彼が何をどうしようと考えているのかじっくり聞くこともなかった(最終的に彼は5位、当選しないまでも今後の参考とすることが多かったろうに)。このヒートアイランドはもはや打ち水くらいでは解決しないのだ。私たちはただ失敗を犯しているだけでなく、途方もない失敗をしでかしていて、「The End」はすぐそこまで来ているのではなかろうか、ときにそう思うことがある。しかし「びっくりしている」と語る後輩を目の前にすると「まだ大丈夫かも」という心持ちにいくらかはなるのである。
思考すること、それはノンと言うことである
冬に刊行されていたフランスの哲学者 ジャック・デリダの初期ソルボンヌ講義集を土曜日から読み始めている。白馬の散種荘の「散種」とは彼の著書から拝借したものだ。安易に「ウィ」と言うことは、責任も意志も他のものに委ねることに他ならない。だから「物語」を前にして思考を巡らせるのであれば、懐疑を抱いてまずは「ノン」と言え、というのである。先の国民議会決選投票の結果を見るまでもない、さすが踏みとどまれる国が生んだ哲学者、痛快である。ああ、もうすぐ隠居の身。思考すること、それはノンと言うことである。