隠居たるもの、ようやくのこと得心がいく。大学を出たばかり、親父が営んでいた吹けば飛ぶような町工場を手伝い始めたころのことだ。それまでの出入りの多かった日々が、うって変わって単調になった。金もないくせに誰かとどこかでクダを巻いていた数々の夜は、借りてきたレンタルビデオをひとりで寂しく観る深夜となった。今に至る映画好きはここから始まったのだろうし、「男はつらいよ」を続けざまに観て深みにはまったのも間違いなくこの時期だ。人の集まるところに顔を出す機会があり、そこで求められると自嘲気味に「寅さんになるつもりが、博さんになってしまいました」などと自己紹介していたものだ。

BSテレ東「土曜は寅さん」、今になって沁みること

この4月から、4Kリマスターを放送することを鳴り物に、公開された順にのっとって、BSテレビ東京が「土曜は寅さん」をあらためて展開している。「とらや」で働いていた“三平ちゃん”をパーソナリティーにした、先ごろの50作50周年にからめた分析コーナーも興味深い。我が庵は4Kの受信設備なぞ整っていないから、良くなっているような気はするものの、映像の良し悪しは実のところ判然としない。それよりなにより、50代後半になって観る「男はつらいよ」はこれまでになく沁みる。作品によっては数回観ているのに、それでもこれまでになく沁みる。だから録画してまで週ごとに観ることになった。先週は1972年公開の第9作「柴又慕情」、マドンナは吉永小百合の歌子。今回も涙ぐむほどに沁みた。なぜなんだろう?先週の“三平ちゃん”分析コーナーの“風の中に”その答えは舞っていた。ゲスト出演していたのは小説家にして文学者の高橋源一郎氏、彼が語る「真のおじさん」論に接し、「なぜ『寅さんになりたかった』のか、なぜこうも『男はつらいよ』に魅かれるのか、あんなひどいことをしてさくらやおばちゃんを泣かせるのに…」ずっと説明できずにいたことにもようやく得心がいった。

高橋源一郎によれば、「おじさん」は社会の敵で根源的な誘惑者

「確かに肉体的に衰えるのではあるが、それ以上に『生物学的根拠もなく社会に強制される社会的年齢(50歳とはこういうもの、60歳の責任など)』を負わされて、それらしくあろうと努力して人は老ける」と語る高橋源一郎氏は、「ここで語る『おじさん』とは『若者』の劣化形としての「おじさん」のことを指していない」と釘をさす。彼はこう続ける。「真のおじさん」とは、文化人類学にある「稀人(まれびと)」という概念に重なる「先達者であって、外からの知識を持ってくる人」のことだと。「同じ毎日が続くほうが安心であるから、人はつい保守的になり日常を固定化させてしまう。そこに外の世界の刺激的な風を吹き込む人こそが『真のおじさん』である」(父や父と同じ立場に立つ大人は日常を固定させる人たちであって「真のおじさん」ではない)。もちろん、保守的で固定化された社会からすれば、その“刺激的な風”は品行方正なことばかりではない。酒であったり恋愛であったり文学であったり音楽であったり…。しかし、そちらの方が「グラっ」とくるほどに魅力的だったりする。とりわけても、固定化された社会の守護者となるべく育てられている“長男”である“息子”にとって、「真のおじさん」は「根源的な誘惑者」として現れる。固定化された保守的な社会からすれば、守護者として育てている“長男”を誘惑する者は「敵」、だから「真のおじさん」つまり諏訪満男にとっての車寅次郎は、まさに “The Public Enemy(社会の敵)” に他ならない。

しかし、保守的で固定化された社会でこんがらがってしまった糸は、「稀人(まれびと)」が持ち込む異界の風に吹かれないとほどけない。誰もがバラバラであることを許された社会では「真のおじさん」は必要とされない。だがしかし、常に強い同調圧力にさらされ、言葉とは裏腹に「多様性」が少しも尊重されない今日である。今こそ「真のおじさん」である車寅次郎が待望されている、高橋源一郎氏はそう結論した。だからといって、深刻な顔をした「真のおじさん」は断絶を生んでしまうから、コメディである「男はつらいよ」がなおさらに好ましい、高橋氏はそう付け加えた。そして、「真のおじさん」はあからさまに誘惑しないのだそうだ。「なんかカッコいいなあ、あの人のマネをしてみたいなあ」と密かに憧れられる存在なのだそうだ。「今度、いっしょに連れていってください」と頼まれて、「え?そうかい?」と同行させるのが「真のおじさん」なのだそうだ。私はかねてより高橋源一郎氏を敬愛している。さすがである、よくもまあまことしやかにここまで面白おかしく…。

「真のおじさん」と「隠居」の親和性

「ほら、見な。あんな雲になりてえんだよ。」あの名言の場面。

みさなんもそうかもしれないが、私は「老けた」と思ったことが一度たりともない。体力の衰えは当たり前に感じるが、そのおかげで「もう少し」という「欲張り」から解放されて清々しているくらいだ。だから「老成」したくて「隠居」という言葉を持ち出しているわけではない。このところ滅多に使われない「隠居」という呼称に、「利害から解放されている人」というイメージを投影しつつ、自分の興味に忠実に暮しながらあらためて社会との接点を探る、そんな乙な実験をまだ体力があるうちから始めてみようか、そんな心持ちなのだ。これは高橋源一郎氏がいうところの「真のおじさん」と軌を一(きをいつ)にするといって良さそうだ。歳を重ねてこそはっきりとわかることが確かにある。「男はつらいよ」がより切なく沁みるのもそうに違いない。そして私は、「寅さん」すなわち「社会の敵で根源的な誘惑者」の側に立つほうがやっぱり心地よく、またそうなりたいとどこかで思い続けていたのだろう。今週末は第10作「寅次郎夢枕」、マドンナ八千草薫と亀戸天神でデートする回だ。ああ、もうすぐ隠居の身。もう準備はできている。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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