隠居たるもの、「タフでなければ生きていけない」。レイモンド・チャンドラー(1888生 – 1959没)というハードボイルドのスタンダードを確立したミステリー作家がいた。一抹の感傷を抱えてロスアンジェルスという都会を生きる主人公フィリップ・マーロウに若いころは憧れたものだ。今も色褪せない新鮮な語法は村上春樹にも多大な影響を与えており、彼が造形する登場人物のセリフにそれを見てとることもできれば、この何年かをかけて彼自身がチャンドラーの主要作品を新たに翻訳したことも記憶に新しい。なぜこんな書き出しになったのかというと、チャンドラーに「TROUBLE IS MY BUSINESS(トラブル イズ マイ ビジネス)」という短編集があるからだ。この酷暑のせいか、トラブルが立て続いている。

過酷な残暑の中、エアコンが壊れたままの東京に戻る

2024年9月10日まだ午後9時少し前に東京の庵に帰って来た。二週間前に白馬に向かったときからすれば夜はぐっと涼しくなっているが、とりあえず「壊れた」と思しきままにしておいたエアコンが作動するかどうか確認する。やはり動かず「やれやれ」と肩を落としたのも束の間、つれあいがキッチンで「きゃっ〜」と悲鳴をあげる。駆け寄り「どうした?」と尋ねると「ゴキ、ゴキ、ゴキ…」、なかなかブリまで辿りつかない。引き出しの取手に潜んでいた曲者の触覚が手に触れたのだそうだ。退治にまでは至らなかったが、ゴキブリホイホイを配置し「とにかくもろもろ明日だ」と軽く酒を飲んで寝床に入った。風が通ってその夜はそれほど寝苦しくはなかった。

ゴキブリのお陰で水漏れを察知する

9月11日、朝の天気予報で熱中症への厳重な警戒が呼びかけられている。エアコンを新調するにしても、目の前の暑さをどうにか凌がねばならぬ。気休めとばかりそれほどに期待もせずコンセントを何度も抜き差しして再起動を試みるうち、どうやってなだめすかすことに成功したのか、突然にエアコンが動き出す。「しめた!」と心のうちで喝采を叫んだのも束の間、つれあいがキッチンから「あぁっ!」と悲鳴をあげる。駆け寄り「どうした?」と尋ねると、シンク下の引き出しを丸ごと引っ張り出してしゃがみ込んだまま「水が漏ってる!」と呆然としている。引き出し内の整理整頓のため当該箇所の真下に置いていたと思われる容器に、ツーフィンガーほどの水が溜まっている。知らずに放置していたら大ごとになるところであった。「やつが出入りしてそうな痕跡」を調べていたのだという。よく見るとキッチンの最深部に、配管の太さと合っておらず幾らか口が開いている穴がある。どうやらここが侵入口のようだ。

TROUBLE IS MY BUSINESS.

水道屋さんに用事ができるのはいつだって急に困ったときで、一般家庭にとってそれは頻繁なことでもないからどこに頼んだらいいのかよくわからない。そこにつけ込んで法外な料金を請求する悪徳業者が後を絶たない。ここは慎重にならないといけない。まずマンション管理会社のサービス窓口に電話して業者を紹介してもらう。業者と直接にやり取りする段においても注意を怠ってはいけない。こんな具合だった。「今夜の9時?うちはそれでもいいのだけれど、夜間料金とか発生するんじゃないの?え?6,000円も?ビュービュー噴き出しているわけじゃなくてポタポタ漏れてるだけだから、それなら明日でもいいしとにかく日中にしてよ。うん、けっこう家にいるんだ。今だってそうだし日時を決めてくれたらいるから。え?だったらあと30分前後で来れる?なぁんだ、それで頼むよ」

水道屋さんが2人チームで訪れ修繕している間、エアコンメーカーのカスタマーに「とりあえず今は動いているけど」と電話を入れ、リモコン等のリセットの仕方など考えうる対処を教えてもらい今日は様子を見ることとする。それでも気まぐれにしか動かないようなら「12年という使用年数を鑑み買い替えを検討して」と勧められ、なんというか完全に踏ん切りがつく。水道屋さんは原因を調べた上でパッキンを交換し10,000円と少しという妥当な請求で仕事を終えた。水漏れ発覚から4時間というところでリカバーできたのだから御の字だろう。ゴキブリの抜け穴と思しき隙間も当然のこと塞いでおいた。背景としてテレビに流していたハリス対トランプのTV討論、変な髪型のおじさんが哀れに思えて仕方がなかった。

気まぐれ野郎に踏ん切りをつける

9月12日、やはり朝の天気予報は熱中症への厳重な警戒を呼びかける。エアコンの動きは相変わらず気まぐれだ。買い替えるにしても同じメーカーの同じ畳数用にもグレードがあるようで、ヨドバシカメラ錦糸町店でその違いについて教えてもらっていた。「3段階あります。最も値段が高いのは省エネ性能に優れ、自動クリーニング機能がついたものです。次が省エネ性能はそこそこで、自動クリーニング機能はついているもの。一番下が省エネ性能はそこそこで、自動クリーニング機能もついていないもの。お話をうかがうに、お客さんは夏冬の生活の中心が違うところにあって、使用頻度も少ないようですから、一番下で充分でしょう。14畳向けの在庫からすると、日立の白くまくんなら明日にでも設置工事可能です。」その説明に納得し、これからの10数年を私たちは白くまくんと共に過ごすこととした。そして午後から人に会う。

もしかして7年ぶり?

私が暮らすマンションの築年数は相当なもので、植栽も相応に疲れており「抜本的に手を入れてリニューアルしようか」なんて気運も高まっている。そこで管理会社がそうとは知らずに相談を持ちかけたのが、私たち夫婦の古くからの友人が運営する名うての庭園設計事務所。忙しい彼女がわざわざ現場視察に来てくれる、つき合わないわけにはいくまい。お互い「ビックリだね」と口にし、おそらく7年ぶりとなる邂逅を楽しむ。22年前に彼女が引っ越し祝いにくれた竹は我が庵で今もすくすくと育っている。その竹の向こうの白い壁に、プロジェクターから写し出した映画を楽しんでいた夜のこと。たぶん一昨日の晩のゴキブリだろう、やつが画面を横切った。私はゴキブリホイホイで追い回し、逃げ惑うやつはこともあろうに私の腕に飛びついた。私は卒倒寸前でやつを振り払う。床に叩きつけられ痛手を負ったやつを、古雑誌を構えたつれあいがとうとうしとめる。南無阿弥陀仏。

ようこそ白くまくん

9月13日、今日も朝の天気予報で熱中症への厳重な警戒が呼びかけられる。すると「昼過ぎに工事にうかがいたい」と連絡が入る。職人は到着するなり「ええと、これまでお使いの『うるるとさらら』は加湿機能がついておりまして、室外機が大きくて重いんです。それを知らずに一人で来てしまって…室外機を天吊りから下ろすのがちょっと、だからええと…」と困り顔。「わかった。手伝おうじゃないか。こう見えても力持ちなんだ」と応えて私も身体を張って働いた。おかげさまで白くまくんはよく冷える。そうそう、明日一緒にライブハウスに足を運ぶことになっていた友だちが行けなくなり「チケットがもったいないから…」と言ってきてもいるんだった。TROUBLE IS MY BUSINESS.冒頭に記したフィリップ・マーロウの名言はこう続く。ああ、もうすぐ隠居の身。「優しくなければ生きていく資格がない」。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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