隠居たるもの、未知の社殿をほっつき歩く。2025年11月16日大安、きれいに晴れて暖かい秋の日、私たち夫婦は塀の外を取り巻く竹林のそこそこ急な斜面を下っていた。栃木県は宇都宮市街に鎮座まします二荒山神社である、竹林といえど静謐というわけもなく、ドラムを叩くような音がどこからかくっきり聞こえてくる。場違いな音を耳にしつつ首をかしげながら下りきってみると、目の前の開けた広場にタープが組まれていて、高校生と思しき男女数人がたむろしていた。なるほど、ここでこれから数組による「バンドフェス」が始まるようだ。文化祭シーズンが終わり、それだけではもったいなくて、もっと披露する場がないか求めてこういうことになったのだろう。微笑ましい、青春である。とはいえ彼らの演奏がスタートするのを悠長に待っている場合ではない。七五三の祈祷がそろそろ終わり、姪孫二人が本殿から出てくる。


二荒山神社でブラタモリもどき
日光の二荒山さんを訪れたことはあるものの宇都宮市中のこちらは初めてだった。この街で暮らす姪の娘と息子が今年それぞれに7歳と5歳になり、年恰好からして当然のこと同時に七五三ということになり、その祝いの食事会およびお参りにお誘いいただいたのだ。食事会を前夜に終えて泊まった翌日、好天に恵まれた日曜日の午前にこうして皆で馳せ参じたというわけだ。高校生たちから目を離し「さて、そろそろ神社に戻ろうか」と身体を翻す。そして初老二人はおののいた。急勾配の石段が想像以上に長い。裏から車で登ったところにある駐車場からそのまま入り、社殿の外郭となる竹林をたどって回り込むように下りたからはっきりと気づかなかったのだが、この神社、小高い丘の上に建っていた。やれやれ、下りたからには上らなくてはならない。

「七五三の時節の日曜日にしては空いている」と義兄。混雑を避けそれぞれの都合にあわせて10月から11月ごろの週末どこかを選ぶのが今般のトレンドだそうだが、伝統的には11月15日に行う行事、確かに義兄が口にするとおり、その翌日となる16日なのだからもっと混雑していてもおかしくはない(これも少子化の影響なのかと勘ぐりたくもなる)。そこにもってきてこの妙に暖かい陽気。ついのどかな心持ちになって身体も弛緩しがち。そこにいささかなりとも異なる「空気感」を注入するいかつい一団がいた。アルファードとベルファイアをつらねてやって来たふた家族(もしかしたら七五三を迎えた子どもの父親同士が兄弟?)、孫を祝いにそこに加わる祖父母、これがそろいもそろって見事なほどにいなたいヤンキー臭を撒き散らす。しかし、神社前の広場で開催される高校生たちのバンドフェスしかり、本来なら周囲にピリッとした「緊張感」が漂ってもおかしくないところ、さすが北関東の地方都市、清々しいほどに呑気でそれがない。なんというか伝統は今も受け継がれているのである。

「高齢者と聞こえの講演会」
昨年に七五三を済ませているメロン坊やご一行も私たち同様に東京から駆けつけた(だけれども、一泊二日の道中、メロン坊やの母である姪とは顔を合わせることはなかった。私たちより一足先に実家に到着するなり発熱そのまま隔離、気の毒なことインフルエンザに感染し発症してしまったのだった)。年子となるいとこ3人、姪孫たちが仲良く遊ぶ姿を見るのは好ましい。しかし、母親となった姪二人やこの子たちの成長をこうしてそばで目にしてきたからこそ、自身の加齢を痛感することもしばしば。このところ私たち夫婦の間でとりわけ話題に上るのは「耳」だ。還暦を過ぎてお互い耳鳴りがするようになったし、予期しないタイミングで予測しない方向から声をかけられると判然と聞き取れないことが増えた。江東区報に掲載されていた「高齢者と聞こえの講演会」につれあいが誘うのもさもありなんなのである。

翌日に宇都宮行きを控えた11月14日、私たち夫婦はそこそこに忙しかった。まず午前中、友だちが勤めるインポートアパレル商社が主催するファミリーセール会場に足を運び、せっかく神保町に来たのだからと昼に共栄堂に立ち寄りスマトラカレーを食す。午後になって地下鉄を乗り継ぎ東陽町に移動、江東区役所に隣接する文化センターで開催される「高齢者と聞こえの講演会」の末席に陣取る。上の写真にあるチェックリストに✔︎が三つ、おそらく加齢が原因である以上それらが大きく改善することはなかろうが、不便を和らげる有効な対処法があるのでは?、そう期待してのことだ。切実な高齢の区民で埋まった会場、おそらく受講者中で私たち夫婦が最年少だった。それでは何らか対処法を体得できたのかというと、そうした期待はあっけなく裏切られる。そもそもある段階を過ぎてしまったら「補聴器を適切に使用すること」以外に有効な対処法なぞなく、なのにこの国においてはそれがないがしろにされていること、それを啓蒙することこそが主眼の講演会だった。これがまた目から鱗で大変に興味深かったのである。

無きに等しい日本と違って、ヨーロッパや韓国は補聴器に対する公的補助がとても手厚いんだそうだ(イギリス、フランス、デンマーク、韓国なんかは必要に応じて無料提供)。高齢者というのは難聴が高じてコミュニケーションに支障をきたすと自分の殻に閉じこもりがちになる。するとなるとそれが認知症に直結する要因となる。つまり早期からの難聴対策は認知症対策に他ならない。そんな中、海辺の埋立地に高層マンションがガンガン建ち今も人口と税収が増え続ける江東区、太っ腹である。「この度うちは他の自治体に先駆けて補聴器補助を導入しました!」というPR講演会だったわけだが、実のところ難聴というのは一筋縄でいくものではないことを知らしめた。例えば、耳が遠くなったことに長らく難儀していた人がようやくのこと補聴器をつけたのに往々にして「かえって聞こえない」となってしまうのは、「ほとんど聞こえなくなっていたところに急に様々な音がいっぺんに届き、それらを処理する機能をしばらく使わないでいたが故に脳がにわかに対処できない」のが原因だとか、だから補聴器を使い始める時は「小さく適切なボリュームから始めて少しずつ脳を慣らしていくことが肝要」とか、「昨今の研究では耳鳴りの原因は耳ではなく脳となりつつあり、よって脳トレを重視」とか、私たちがこれから本格的に迎えるであろう「未知の領域」に対して本当に勉強になることばかりだった。それにしてもだ、新型コロナ禍に人口あたり都道府県別最多の死者を出したのに知らん顔、身内でない人および弱者の「身を切る改革」ばかりに乱暴に邁進するあの政党が、「社会保険料の削減」つまりは「社会保障の削減」をうたって政権入りした今日、補聴器補助が全国津々浦々に広がるのは夢のまた夢、それはそれで少なからず暗澹たる心持ちになったことは否めない。

ADRIAN SHERWOOD presents DUB SESSIONS 20th ANNIVERSARY
とかなんとか言いながら、11月19日には文学部ドイツ語Q組の友だちと連れ立って、EXシアター六本木に出向き耳を酷使しているのだから世話がない。エイドリアン・シャーウッド、デニス・ボーヴェル、マッド・プロフェッサー、存命する3巨頭が集結したDUB SESSIONS、霞のような音響、遠く深くとばされるエコー、空間を揺さぶる低音、ダブを心ゆくまで堪能した。久しぶりにツアーTシャツまで買ってしまった。そのTシャツに袖を通し闊歩する夏の日が楽しみだ。しかしそれはそれとして急に寒くなったこの日、私はダウンジャケットをおろしたのだった。白馬では雪が降ったという。

おニューのダウンベスト
友だちが勤めるインポートアパレル商社が主催するファミリーセールで私はひとつだけ、白馬で過ごす冬のためにフランスは1859年創業PYRENEX社のダウンベストを、つれあいの助言のもと60%オフで購入した。もう着ることも履くこともなさそうなスーツ5着や革靴4足をはじめ、この一週間で断捨離した衣類の売却代金がその原資。11月20日、白馬に着くなり「カフェほがらか10周年記念ご近所さん宴会」にこれを着て参加した。まるで来春以降の生活フェーズ変更に合わせるかのように、ご近所さんとの親交が深まっている。七五三を祝った姪孫たちも年が明けて1月に白馬へ遊びにやって来るという。そしたらまた何かひとつ、君たちがしたことのないことをやってみよう。ああ、もうすぐ隠居の身。未知の領域をほっつき歩くのはなにより楽しい。