ご隠居さん、いるかい?
落語の世界で「ご隠居さん」は主要な登場人物だ。町内のうっかり者が、ご隠居さんのところへちょっとしたことを教えてもらいに行くところから、毎度おなじみの噺は始まる。今日、そんな「ご隠居さん」がいるだろうか?八つぁんは、「ご隠居さん」の智恵を気軽に拝借できるのだろうか?かわいそうにも八つぁんに行き場はない。インターネットで出処の怪しい情報に絡めとられてキリキリ舞いするばかりだ。
もうモテなくていいんじゃないの?
団塊世代の方々が退職年齢を迎え始めた時、なんか世の中はざわついていた。まるでおれおれ詐欺のように退職金をかすめ取ろうと、消費を煽りたてる新雑誌がたくさん書店に並んだのを思い出す。「ちょいモテ」を少しもじったコピーが表紙に踊り、ショーン・コネリーのようなモデルがニヤッと笑う。あやかることもあろうかと後学のために立ち読みをしたものだ。そして少し恥ずかしくなる。いったい誰にモテようとしているのか、そのために努力する姿が「キモい」歳であることに気づかないのか、と。「物欲のための物欲」にいつまでも引きずり回されるのもカッコ悪い。
「利害」が目を曇らせる
ギラギラしていてどこか浅ましい。大きな会社が世間を揺るがした昨今の大惨事に目を向けてみても根は同じ。威張るのが好きな人が一生懸命に威張れる場所にたどり着いて居座って、周りをお調子者で固めてほころびには目を向けず、外面だけを取り繕って幾度もそれを繰り返して酔っちゃうものだから、了見はどんどん狭くなって結局は取り返しがつかないことをしでかした。なのに、驚くほどに狭い損得しか頭にないから、本来「顔向けができない」立場のはずの「畜生」がいまだにそれをわきまえず、「原発を作りたい」などと懲りずに臆面もなく公言できちゃうんだもの…。目が濁りきる前に、支度ができ次第、この人たちが大手を振る世界からほうほうの体で立ち去ろう。私はそのことを「隠居」と定義する。「アンチテーゼ」である。カッコいいだろ?
「隠居」は The Outsider
隠居どころを開放する多様性を持ち合わせよう。老若問わず友人たちと仲良くやろう。まだまだ「利害」が伴う場所から離れられない若者の相談相手になろう。「あんなご隠居になりたい」と、世知辛い世の中に喘ぐ若者に希望を与えよう。遊んで暮らせる身分ではないのだから、働き方改革した上でもちろん働こう。今日における「隠居」とはアウトサイダーなのである。これは修行なのだ。せっせと励もうじゃないか。そしてゆくゆくは、威張りんぼの「利害」をとぼけた顔して無効化しよう。ああ、もうすぐ隠居の身。心が踊る。