1964年、東京オリンピックの年に私は生まれた。
初対面の方に「何年生まれ?」と訊かれると、当たり前のことだけど「1964年」と答える。「東京オリンピックの年ね」と返してもらえることも多く、なぜかそこには共感というべきものが漂う。郷愁の基準になる年のひとつだからなのだろう。今日までそういった経験を何度も積み重ねた結果、「何年生まれ?」との問いが発せられると、「東京オリンピックの年ね」にいたる一連の流れを期待し、答える前から内心ほくそ笑む。
あれから55年
しかしながら、私たちが抱く郷愁とは無縁な若い人たちからすれば、そもそも東京オリンピックなんてモノクロのニュースビデオで見た「はるか彼方の歴史上の出来事」でしかなく、加えておじさんはあくまでおじさんでしかなく、その上におじさんのいくばくかの歳の違いなどどうでもいい「誤差」でしかないから、彼らは私たちの生年など気にも留めていない。ゆえに「何年生まれ?」と質問してくるのは、実のところは20世紀のうちに成人した人たちばかりだ。その中で繰り返し確認される「東京オリンピックの年生まれ」は、たまたまその年に生まれたに過ぎない私たちに「輝かしいアイデンティティ」をもたらしてくれた。
「東京オリンピックの年生まれ」の新生児
また東京オリンピックが開催されようとしている。1964と2020、書き記すとふたつの字面がずいぶんとかけ離れていることにあらためて気づく。個人差を考慮に入れても、くたびれていることを隠せない2020年には56歳になる一群と、新たに世界に現れるその年生れの0歳ピカピカの新生児たち。並び立つ「東京オリンピックの年生まれ」、両者は字面だけでなく、わかりやすくさっぱりとかけ離れている。
世界はそれを「隠居」と呼ぶのだ。
だから、これを機会に「東京オリンピックの年生まれ」の専売特許は君達に譲ろう。「キミに家督を譲りたい」(by レキシ)のだ。そして、自由で小回りのきく新しい「アイデンティティ」を探そう。将来の責任を負わないくせにノスタルジーを成功体験にすり替え我が物顔にふるまう、そんな者たちの一員にはなりたくないのだ。
「家督」を譲った者をなんと呼ぶか。世界はそれを「隠居」と呼ぶ。「四捨五入したら60歳」になった今日、現代あるべきヌケがよくカッコいい「隠居」とはなにか、それを模索し準備を始めようと思う。そう、もうすぐ隠居の身、また楽しからずや。