隠居たるもの、シャトルバスを意のまま乗りこなす。車を持たないがゆえだろう、「スキー場にはどうやって行くの?」とお尋ねいただくことがある。その度に「えへん」とばかり誇らしげに「歩いて2分くらいのところに停留所があって、そこに各スキー場から送り迎えのシャトルバスがやってくるのさ」と即答する。大変に便利なこのサービスを駆使して、散種荘から八方尾根、五竜&47、岩岳と主だったスキー場へ私たちは遊びに行き帰ってくる。ただし、ひとつ残念なことがある。この近くの停留所には、もうひとつの主要スキー場である栂池に向かうシャトルバスが運行していないのだ。どうしたものか…。そのとき私の頭の上でピカリと電球が点った。
シャトルバスを乗り継いで栂池スキー場に出向く
大雑把なくくりからすれば、栂池も白馬エリアのスキー場であることに間違いはない。しかしながら所在が白馬村でなく村境を越えたばかりとはいえ小谷村。「なにも自分の村のペンション地帯を回ってよその村に向かうシャトルバスに補助金を出す義理はなかろう」と白馬村役場が判断するのもそれはそれで無理もない。散種荘から15分くらい歩いて下ったところに「ベースキャンプ」なる広場があって、そこからなら各主要スキー場をつなぐシャトルバスが出ていて、栂池はその終点となっている。2月も終わるころになれば道の雪は溶けているだろうし、そうとなればボードを抱えてえっちら下りてこのシャトルバスに乗ればいい、そう考えていた。だけれどもこの冬はいつまでも大雪が降り、道の雪が溶けてなくなることがなかった。ボードを抱えた上に足元がボードブーツでは危険極まりない。でも栂池には行きたい。どうしたものか…。そのとき私の頭の上でピカリと電球が点ったのだ。シャトルバスを乗り継げばいいのである。
岩岳スノーフィールドで乗り換えをする
栂池行きのシャトルバスがベースキャンプから出るのは午前8時30分、道の様子を鑑みて余裕を考慮するならば8時5分くらいに散種荘を出立しなければならない。だとすれば8時そこそこに近くの停留所を出る岩岳行きのシャトルバスがあるではないか。まずは岩岳に向かって、ベースキャンプから八方尾根の各ポイントを回ってくる栂池行きのシャトルバスをそこで待てばいい。20分以上の待ち時間が生じるが、なにせ私たちは岩岳のシーズンチケットホルダーである、サービスのコーヒーをいただいたりトイレを済ませたりして年相応ゆっくりやり過ごせばいいのだ。これまで何故に気がつかなかったのだろう。2022年3月10日晴天の午前9時15分、こうして私たちは念願の栂池スキー場にようやく降り立った。
栂池スキー場は大らかなゲレンデである
栂池スキー場は広い。平日で人も少ない(春休みに入った初級の学生さんはなぜか五竜に集まりたがるし)。標高が高いから3月となっても上の方の雪はまだまだいける。大らかでとてもいいゲレンデだ。今シーズンは天候の巡り合わせにまったくもって恵まれた。滑りに出た22日のうち19日が晴れ、2日が曇り、雪に降られたのは1日だけ(たしかに雪が降る日は休養に充てるよう調整してはいたのだが)、おかげで白馬エリア主要スキー場のあらましをすっかりと熟知できた。春の暖かさにゆるんだ下の方の雪をかき分け栂池を滑り降りる。そして「これから先はオマケだな」と素晴らしいシーズンが実質的には幕を閉じたことを噛み締める。帰りのシャトルバスを待つ私の目の前で、4台の大型重機が冬の間に降り積もった雪をせっせと切り崩していた。
岩岳よ、Arrivederci!
栂池ゴンドラリフト14時30分発のシャトルバスに乗り、14時45分に岩岳に着いた。ここで15時20分発、散種荘近くの停留所に向かうシャトルバスを待つ。たっぷり35分の時間がある。なにせ私たちはこのスキー場のシーズンチケットホルダーである。この時間を使って、ゴンドラリフトで山に上がり1本だけ滑ることにする。宴席のあとバーに立ち寄ってカウンターにもたれかかって一杯ひっかけるがごとく、そう、スキー場のハシゴというわけだ。今シーズン11回目の岩岳、そして今シーズン最後の岩岳。もう十分に滑り倒したし、標高が低いこのスキー場はそろそろコンディションが怪しい。ついでのようではあるが万感の想いをこめて、1本だけ滑降して名残を惜しもうという寸法だ。岩岳よ、Arrivederci!
*Arrivederci アリベデルチ、イタリア語で「さようなら」
朝からたっぷり遊んで散種荘に戻ったのは15時40分。春の陽光に照らされた屋根雪が、辛抱たまらずとうとうどっさり落ちていた。大雪が降る3月6日から始まったこの一週間で、白馬の季節は劇的に変わった。これを記している今日は3月14日だ。ああ、もうすぐ隠居の身。私はさっき新型コロナワクチンのブースター接種を受けた。