隠居たるもの、まざまざあの日を想起する。2022年3月16日11時36分、寝床に入る準備を始めた矢先のこと、私たちが暮らす深川の集合住宅はみしっと揺れた。「これは大きい…」と直感する揺れだった。食卓近くに少し背が高くガラス面積が大きい食器棚がある。2011年3月11日にも、その他の大きな地震の時にも、幸いなこと倒れることはなかった。しかし揺れの方向や軌道、ましてや規模が違ったらわかったものではない。ときおり「ネジづけて壁に固定しなければ」とは思うのだがすっかり怠けている。こうした地震が来るたびにそれを悔やむ。私は体重を浴びせかけ食器棚を支える。振幅が小さくなってもう収まったかと体を離しかけると、あらためて小刻みな振動が下から突き上げてきた。再び食器棚にしがみつく。ずいぶんと長いあいだ揺れている。ようやくのこと収まってから食器棚を離れ室内を見回した時、バチッと電気が落ちた。

非常灯が点る非常階段を降りる

1999年に33歳で夭逝した孤高の天才 佐藤伸治が率いたフィッシュマンズのドキュメンタリー映画(2021年7月9日公開)を観ていた。「やっぱり唯一無二だね」などと語り合い、夫婦二人で白ワインを一本空け、グラスを片づけている頃合いだった。ベランダから外を見やると、湾岸方面の高層ビル群はいつもと変わらず夜空を照らすほどに煌々と輝いているが、その手前、江東区の一帯はマンションの非常灯しか点っておらず、すっぽり闇に包まれている。今度は玄関ドアから廊下に出てみる。各階から数軒、懐中電灯を持った人が出てきてさざめきあっている。もちろんエレベーターは動いていない。非常階段の灯りは非常時用のバッテリーに切り替わってかろうじて点いている。一両日とても暖かった東京、深夜となっていくらか冷えていた。私はパジャマを脱いでGAPのズボンに穿き替える。長年にわたりこの集合住宅の「世話役」を仰せつかっているのであるから、ご高齢のおひとり住まいの方々もいらっしゃることだし、大した力にはなれなかったとしても、不測の事態に備えて「司令室」となる管理員室周辺に待機しておくべきだからだ。つれあいの「おまえさん、しっかりね」という声を背に、私は非常階段を使って1階まで降りた。すでに3人、先客が駆けつけていた。

ヘルメットを被った管理員さんが獅子奮迅に働く

「巡回してきましたが、閉じ込め等、深刻な問題は発生していない模様です」先客の3人と私、4人の「世話役」はヘルメットを被った管理員さんから報告を聞く。うちの集合住宅は今どきにめずらしく管理員さん夫婦住み込み、私よりひと世代くらい年長の管理員さんはテキパキとした頼りになる人だ。各方面に電話し問い合わせ、復旧の見込みについて探りを入れている。非常時に切り替わるバッテリーの容量には当然のこと限りがあるから、時間とともに非常灯の灯りは弱くなる。1階奥に住んでらっしゃる方が、それを見てとってご自身の充電式ランタンをみっつ、共用廊下に置いてくれた。実際この遅くに仕事から帰宅される方もいて「清澄白河駅から地上に上がったら真っ暗だったんでびっくりした」と教えてくれた。各方面の非常用バッテリーも切れてきたのか、日も変わって0時30分ともなると、大通りから信号の代わりに交通誘導する警察官のホイッスルが聞こえてくる。そうこうするうちに、うちの集合住宅の非常階段の灯りは消えた。

「君んとこのお嬢ちゃんとあそこんちの息子がデートに出かけるところだったぜ」

結局のところ、江東区から支給された非常時用ラジオから流れる「こうとう安心ラジオ885」に耳を傾けながら、私たちは管理員夫婦の活躍を闇中で眺めていただけだ。そしてどこかに不安を抱えながら世間話にボソボソと花を咲かせる。「新幹線が脱線してるってさ」「また大変なことになっちゃったな」「ウクライナの人たちもこんな感じなのかな」「ミサイルが飛んでくるんだもの、こんなもんじゃないでしょ」「でもウクライナのことはここまで心配するというのにさ、不条理なシリア内戦やミャンマーの国軍に虐げられ怯えながら闇の中に隠れざるを得なかった人たちへの関心はあまりにも薄かったんじゃなかろうかね」「どうにも褒められたことじゃないな」「そういえば月曜日、新型コロナワクチンのブースター接種から帰ってきたら、君んとこの上のお嬢ちゃんとあそこんちの息子がデートに出かけるところだったぜ」「ははは、いっしょに遊びに出かけるところだったんすね(ふたりは小学2年生で同じ学校に通う同級生)。彼はモテるんですよ。女の子たちが遊びたがる」「あの子は小さいころからずっと魔性といっていいほどにハンサムだからなあ」そんな私たちの前を挨拶をしながら通り過ぎ、そして帰ってくる人もいる。いざ懐中電灯をつけようとしたら電池が無くなっていてコンビニに買いに行ったのだろうか。しかしコンビニだって停電しているだろうに、しかも今どきのあのレジは電気が通らない状態で決済ができるんだろうか。そんなことを気にしていたら、午前1時03分、電気はパチっと唐突に戻ってきた。

いま必要なのは「共事」の心ではないか

自室に戻り、たかぶりを落ち着かせるためつれあいとまたグラスを交わし、ああでもないこうでもないとやはりボソボソと語って寝床に入る頃には午前2時を回っていた。一夜明けてニュースを見てみると、東北はやはり大変なことになっている。彼の地の方々はまた眠れない夜を過ごしたことだろう。「復興」も追加で上乗せされた。今年に入ってから読んだ小松理虔著「新復興論」という本を思い出す。福島第一原発と隣接する福島県はいわきに暮らし、地域の歴史をひもときながら草の根の復興について自ら考え行動する青年が著した労作だ。ここで論じられていることは月日の経過とともにより重要性を増している。この際、いっそのこと政府が再開にこだわる「Go Toキャンペーン」なんかやめたらどうだろうか。小松氏が論じている通り、海が見えなくなるほどの巨大な防潮堤には疑問しか抱かないが、東京オリンピックだっていつの間にか復興五輪ではなくなったんだし、保留されているこの予算を今度こそ東北に回し、しかるべき人たち(つまりこれからを担う若い地元の人)が知恵をしぼるべきだろう。ああ、もうすぐ隠居の身。ともかくこの土日、今度こそ食器棚を壁にネジづけしよう。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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