隠居たるもの、とぼけた「顔」に困惑しきり。日中にテレビをつけておく習慣がないから、深川の庵で暮らす時も、明るいうちはほぼ間違いなく部屋の中で音楽を流している。ターンテーブルの上でレコードが回る白馬の散種荘と違って、こちらはこれまで同様CDが主役だ。しかし16年来CDを回し続けてくれた相棒、DENONのDCD –1650AEの動きがこのところ怪しい。例えば今日2022年3月21日午前10時半くらいのことだ。ニューオーダーの「Republic」というアルバムをかけようとセットしたところ「NO DISC」、つまり「これ、読みこめないすよ」としらばっくれる。そんなわけはない。昼食後に同じディスクを試しにセットしてみると、案の定、何事もなかったように一曲目の「Regret」が軽快に鳴り始める。

顔の真ん中に「NO DISC」との認識が示される

ずいぶんと長く使っている自覚はあるのだが、「何年の何月から」という明確な記憶はない。型番から調べてみると、DCD –1650AEの発売は2005年7月中旬とのことだった。発売されるのを待ちに待って買い求めた覚えもないから、我が庵に導入されたのはそれより少し後のことと思われる。暮れのボーナスもしくは夏のボーナスを原資にしたかもしれない。そんなこんなを考えると「2006年のどこか」というのが妥当なところで、となるとそれから16年ほどの間ずっと、酷使に耐えつつ我が庵でCDを回し続けてくれたのである。ディスクの読み込み以外に挙動不審になることもない、レンズをクリーニングしても改善は見られない、多分CDプレイヤーの根幹となるピックアップの寿命を迎えたのだろう。

新機導入に際して頭を悩ますあれこれの事柄

読み込むディスクは必ず間違いなく読み込むのだけど、どうも苦手な類のディスクがあるらしく、そうしたものが相手となると時折「NO DISC」としらばっくれて、しかし時間を置いたらしれっと読み込んだりして(その時間も、数時間・1日・数日・いつまでも無理、と「気分」によってまちまち)、ご高齢ならではどうにもとぼけた味わいを醸し出す。とはいえ、ここ最近その頻度が著しく上がっているから買い替えるかどうか考えざるを得ない。となると浮上してくる、決断を要する悩ましい事柄がいくつか存在する。その中の最たるものにして根源的なもの、それは「これからもCDを聴くのか?」ということだ。

配信で音楽を聴く時代になった今日、CD市場は急速に細っている。2020年の暮れに「音楽はタダなのか?シフトをチェンジすることにした」と題した省察で述べたとおり、私もCDを買うことをしなくなった。しかしだ、私にはCDの登場以来、36年ほどの間に集積したものたちがある。リフォームする際に廊下の壁を細工して作った棚に、それら1000枚以上(数えていないから実数はわからない)が群れを成して鎮座ましましている。この子たちをおいそれとないがしろにするわけにもいくまい。白馬ではレコードなのだけど、あくまでも深川ではこれらが「メイン音源」となる。新しいものは買わないとしても、私はこれからもこのCD群に耳を傾けるだろう。熟慮の結果、CDプレイヤーを新調する決断を下した。根幹部に歴然と寿命を持つ機器であるから中古を探すのも得策ではない。私にはこれが「最後のCDプレイヤー」になるに違いない。

SACD?SHM-CD?

調べてみたらCDプレイヤーの製造から撤退したメーカーすらあって、グレードを含めた選択肢が以前ほど潤沢ではなくなっている。これも格差社会の表れか、廉価なエントリー機と中古車が買えるようなハイグレード機の間にあるべきミドル層がとりわけ手薄になっていた。そしてエントリー機より上位機種にかろうじて加算されている付加価値、それが「SACD」読み取りだ。SACDすなわちスーパーオーディオCDは、専用の読み取り装置がないと再生できない、1999年にソニーとフィリップスが作った次世代CD規格のひとつで、彼らがいうには同じサイズのディスクにCD以上の高音質が記録できるらしい。もうひとつ高音質をうたったSHM-CDというのがあるが、こちらはスーパーハイマテリアル・CDの略なんだそうで、新規格ではなく「高品質な素材・技術を使ったCD」とのこと、互換性を持ちすべてのCDプレイヤーで再生が可能なんだそうだ。CDは所詮CDだろうに、なんともややこしい。

このところクラシックやジャズの世界で、CDとは別に、料金を上乗せしたSACDが発売されるのをよく目にする。何を隠そう「とぼけた顔」をするDCD –1650AEはSACDプレイヤーだ。しかしこの16年の間、私は1枚もSACDを買い求めたことがない。欲しくなったタイトルもない。つまりこの「付加価値」は私には必要ないということだ。とはいえ、エントリー機の音質では心許ないから、潔くSACD読み取り装置を持たず、技術の粋を「音の再生」にだけ注いだCD専用機の上位の中からこだわって選びたいところだ。それにしても、何も変わらないレコードにあらためて脚光が集まる昨今、「先端」をうたって「規格」を「発展」させ続けたCDが滅びつつあるとは皮肉なものだ。そして解決しなければならない大きな問題が私にはもうひとつある。私は無職なのだ。4月末からのアルバイト契約を済ませはしたが、そこから上がる報酬ではとてもとても…。しかし仕上げを御覧じろ、細工は粒々、一計を案じている最中だ。ああ、もうすぐ隠居の身。やはり道楽あってこその人生だもの。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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