隠居たるもの、色彩に紐づいた記憶が鮮やかに蘇る。ラグビーW杯における“快挙”に沸き立つ昨日から今日、何度も何度も繰り返される映像を見るにつけ、2002年のサッカーW杯を思い出している。アイルランドのグリーンのユニフォームがそうさせるのだろう。あの時、私は会場で3試合観戦する幸運に恵まれたのだが、そのうちのふたつがアイルランドの試合だった。

2002年6月1日 15:30キックオフ 新潟

チケットの入手には相当な困難が予想されたから、高校サッカー部の同級生4人で手分けして、札幌・大分開催を除く全試合の抽選に挑むことにした。まだウェブから申込みできるほどにインターネットも発達していなくて、所定の申込書を郵送するという形式だった。友人が購入したばかりの新築マンション、4人が天気のいい休みの昼に雁首を揃えて、楽しくビールを飲みながらマークシートをせっせと塗りつぶしたことを想い出す。どういうわけか、当たったのはともに一次リーグ グループE で、アイルランド対カメルーン(新潟)とドイツ対アイルランド(茨城)の2試合だった。まずは6月1日、私たちは1台の車に乗り合い新潟を目指した。

カメルーンのユニフォームもグリーン

グリーンに身を包んだアイルランドサポーターが新潟駅を闊歩している。現在はビッグスワンと呼ばれているスタジアムに近づくにつれ、アイルランドサポーターがグリーンのかたまりとして目につく。ビールをガンガン飲んでいる。

ドンドコドコドコ ドンドコドコドコ、随分と向こうから饒舌なリズムが聴こえてくる。カメルーンサポーターも到着したようだ。薄曇りの中、そこだけがきらびやかに輝いて見える。彼らを一目見ようと待ち受けるのだが、なかなかにやって来ない。全身で笑っているかのごとく、太鼓をたたき踊りながら行進してくるから著しく遅い。アイルランドサポーターとともに、ニヤニヤとビールを飲みながら、燦々と輝くグリーンの彼らをゆっくり待っていた。試合は1対1の引き分けだった。

2002年6月5日 20:30キックオフ 茨城

JRの成田線から鹿島線を乗り継いで、鹿島神宮駅に向かっている。車内はグリーンであふれかえっている。その人たちは、おびただしい量のビールを抱えている。それもグリーンのハイネケンだ。もちろん車中でガンガン飲んでいる。友人たちとはスタジアムの座席で落ち合うことにしていた。アイルランドサポーターやドイツサポーターとともに、駅からひとり鹿島スタジアムに向かうシャトルバスに乗り込んだ。酒の入ったアイルランドサポーターがドイツサポーターにからむ。「今日はお手柔らかに頼むぜ。楽しくやろうや。」ドイツサポーターが面倒くさそうに応じる。「お手柔らかにってわけにはいかないね。ゲームが始まればわかるさ。」愛すべきアイルランドサポーターはヒートアップする。

「つまらねえこと言ってんじゃねえよ。勝ちゃあいいってわけでもないだろうが。」

「W杯で優勝したこともないくせに、偉そうなこと言うなよ。」

「はあ?そんなんだからてめえんとこのゲームはクソ面白くねえんだよ!」

そのひとことを吐き捨てるやいなや、「言ってやったぜ」とばかりにグリーンの一団は肩を叩き合って喜んでいた。その日の試合は、ドイツが1対0で固くリードを守ったまま迎えた終了間際に、アイルランドのロビー・キーンが起死回生の同点弾を叩き込み、1対1の引き分けに終わった。歓喜に湧く者たちとしょんぼりうなだれる者たち。歓喜に沸く者たちは東京に帰って、六本木で夜通し大変に盛り上がったと聞く。実際、翌朝に当時の勤務地 築地に出勤した際、電柱に片手をついて嘔吐しているグリーンのユニフォームを着用した方をお見かけしたから、その噂は本当だったのだろう。その後、アイルランドは決勝トーナメント1回戦 ベスト16でスペインに負けて大会を去り、ドイツは決勝まで進んだものの、ロナウドに2点取られブラジルの前に涙を飲んだ。

アイルランドに抱くシンパシー

ラグビーのアイルランド代表は、アイルランド共和国といまだイギリスがいすわり統治する北アイルランドを統合した、つまり本来のアイルランド島の代表なのだそうだ。イギリスの強欲に苛まれ続けた彼の国の人々が、その苦難と悲しみを抱きながらも、常にロクでもなく陽気であることに敬意を抱く。2002年の大会後、アイルランドのグリーンのユニフォームをつい買ってしまった。今もクローゼットの中にある。この省察も、アイリッシュ・パンクの元祖 The Pogues(ザ・ポーグス)を聴きながら記している。これまた持っている The Pogues のTシャツにはこうプリントされている。

“ SO BUY ME BEER & WHISKY. ’CAUSE I’M GOING FAR AWAY.”

“そいでさ、ビールとウィスキーをおごってくれよ。俺はこれから遠くに行っちまうんだから。”

故郷から離れざるを得ない者のセリフ、移民を多く出したなんともアイリッシュらしいペーソスに満ちた諧謔だ。ああ、もうすぐ隠居の身。今晩、ギネスで切なく一杯やろうか。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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