隠居たるもの、友だちの晴れ舞台におっとり刀。私にはヌノちゃん、いや善福寺川渡というミュージシャンの友だちがいる。19年4ヶ月にわたり勤務し、そして4年3ヶ月前に退職した会社でできた、ひとつ年上、話の合う友だちだ。部署を同じくしたことはないが、研鑽を旨とし業界を横断する団体の、私たちが勤める会社の支部で知り合った。入社が何年か早いのでどうしても私の方が「先輩」という雰囲気になってしまうのだが、彼いうところの「堅気の仕事」とは別に「ミュージシャン」の顔を持つ「後輩」に、私はなんというか「畏敬の念」を常に抱いていた。そのヌノちゃん、いや善福寺川渡が、還暦を機に一念発起、ファーストアルバムをこしらえて、しかも2024年10月28日に名門老舗ライヴハウス 原宿クロコダイルで発売記念ライヴをするというのだ。「駆けつけない」という選択肢は、もちろん私にはない。
「クリムゾンキングの宮殿」
ファーストアルバム「善福寺川渡の世界」の5曲目「新元号発表は、もう見れない」で歌われているから「個人情報」であることを過度に意識することなくはっきり書くけれど、初めて顔を合わせたときの彼は、最初の奥さんが「子どもたちを連れて突然にいなくなってしまった」ばかりで、それを笑いに転化しつつもコンフュージョンの真っ只中でもがいていた。のちに彼がプログレッシブ・ロックに傾倒していることを知るのだが、そのジャンルの金字塔 キングクリムゾンの「クリムゾンキングの宮殿」のジャケットのような、まさにそんな顔をしていた。以来、ビールをたくさん飲んではいけない持病を抱えているのに「ダメ人間なんで、ぐへへ」とぐびぐびビールばっかり飲む彼と、何度も何度も酒席をともにした。音楽好きが高じて前職は全国展開の大手CDショップの店長だった彼と、楽器演奏はしないくせに異常に音楽に執着する私、音楽もさることながら、仕事やら同じ年恰好の者どうしの身の上に当然のこと話は及ぶ。
善福寺川渡ファーストアルバム「善福寺川渡の世界」:https://diskunion.net/progre/ct/detail/1008912589
「みなしごのバラード」
もう四半世紀以上前、つれあいと一緒に暮らし始めたころのこと。とっぷりと暮れて木枯らしが吹く裏道で、幼少のみぎりに熱中したタイガーマスクのエンディングテーマが唐突に頭に浮かぶ。隣を歩くつれあいが「知らない」というから、「あたたかな 人のなさけも 胸をうつ あつい涙も 知らないでそだったぼくは みなしごさ」と出だしを歌って聞かせた。迂闊にも涙ぐんでしまった私を「なに泣いてんの?」とつれあいはケラケラ笑った。予約していたディスクユニオンから届いたファーストアルバム「善福寺川渡の世界」の1曲目はその「みなしごのバラード」だ。つれあいが「フォーク界にハレー彗星あらわる」と微笑む。ハレー彗星は75.32年周期だから、次のアルバム発表は私たちが135歳もしくは136歳のときだ。近所の森下文化センターにヌノちゃん、いや善福寺川渡と私たち夫婦で「なぎら健壱のフォーク夜話:ゲスト 友川カズキ」を観に行った夜を想い出す。終演後、サイン会に並んだヌノちゃん、いや善福寺川渡が、「なぎらさんの曲『善福寺川』(かぐや姫『神田川』の替え歌、下品で秀逸なパロディー)にあやかって、善福寺川渡というアーティスト名で演っています。許可していただけますか?」と直談判すると、なぎら健壱は「え?善福寺川渡?馬鹿だねぇ、許す!」と鼻で笑ってくれた。その夜も彼は美味しそうにビールばかりをぐびぐびと飲んだ。
渋谷駅B1出口からまっすぐ歩いて原宿クロコダイル
人の多いところがすっかり億劫になって、渋谷なぞその最たるものだから、できうるかぎり避けて通るのだけれど、いかんせんライヴハウスが集中するのはあの辺り、よって否応なくたまには足を運ぶ。とはいえ宮下公園の側から地上に出るのは久方ぶりで、こちら側の「再開発」をあらためて目の当たりにし、あまりの「作り物」感にいささかなりともギョッとする。その道をまっすぐ原宿方向に進む。名門老舗ライヴハウス 原宿クロコダイルはかつてと変わらず地下にある。しかし、この国のプログレッシブ・ロックの第一人者たる名うてのセンス・オブ・ワンダーをメンバーにアルバムを制作し、しかも彼らをバックにここでライヴまでするなんて、ヌノちゃん、いや善福寺川渡、大したものである。
スタッフがかぶるTHE STALINのキャップ
予約だけで満席となった客席のほとんどは音楽仲間、私が案内されたのは「堅気の仕事の関係者席」の一角だ。いまだ現役で働く懐かしい仲間たちと隣り合わせ、5年ぶりにもなろうか、生ビールを飲みながら話に花を咲かせる。なんとも親密な空気が漂う中、センス・オブ・ワンダー登場に至るまでの前座として、善福寺川渡本人が一人でステージに現れ弾き語りを始める。それが終わるとメンバー2人を加えたミニバンドのセットに移行、ベースは渡の師匠、センス・オブ・ワンダーの松本慎二さん、当然に音が厚くなって会場も温まる。大忙しのスタッフをつかまえて、生ビールの追加を注文する。そのアンちゃんは、高校から大学時代に私が夢中だったバンドTHE STALINのキャップをかぶっていた。演奏中だからよしといたけれど、私は彼にこう語りかけてみたかった。「知ってるかい?このあとに出てくるドラムのそうる透さん、THE STALINを解散した直後の1985年に遠藤ミチロウが出したミニアルバム『THE END』でも叩いてたんだぜ?」と。
「21世紀の精神異常者」
ここにきて頭髪が心もとなくなっていることが気にかかる私は、ヌノちゃん、いや善福寺川渡の、弾き語り→ミニバンド→フルバンドと3段階に進むステージを見つめながら「場合によってはヅラもありだな」と目の鱗が落ちる(渡によれば「違います、地毛です」とのこと)。それにしてもセンス・オブ・ワンダーが加わってからの凄さったらない。せっかくだからと演奏されたキングクリムゾンのカバー「21世紀の精神異常者」、鳥肌がたった。アルバムジャケットでも今宵のステージでも「クリムゾンキングの宮殿」のジャケットTシャツを着ていた、しかしもうそんな顔をしてはいないヌノちゃん、いや善福寺川渡が気持ちよさそうに大声を張り上げる。そして何度も「もう思い残すことはありません」と客席に冗談まじりで語りかける。
からかうように「どれくらいお金をかけたの?」と言う者もいるだろう。道楽の醍醐味を知らない野暮の極みだ。二度目の結婚もうまくいかなかったし今年もヤクルトスワローズは弱かった。しかしその間にも彼は、ひとり残った末の娘をなんとか育て上げ、疎遠にならざるを得なかった息子たちとの関係もようやくのこと取り戻した。そのあげくに到達した「もう思い残すことはありません」。一度でもそんな心持ちを味わってからモノ申せってんだ。そんなこんなを考えているうち、どこかに「浮世の義理」という気分を抱えて駆けつけたライヴであったが、私はうっかりと感動してしまったのだ。ああ、もうすぐ隠居の身。ヌノちゃん、いや善福寺川渡、次はぐびぐびビールを飲ろう。