隠居たるもの、冒険を探すのさ この先何があろうとも。1969年公開の映画「イージー☆ライダー」の冒頭を飾る「Born to Be Wild」(邦題は「ワイルドでいこう!」)の一節である。2024年11月3日、午後10時を回ったところ、下から登ってくるヘッドライトがないかを気にかけ窓の外を見やる私の頭の中にかかっているのはこの曲だ。一学年上の大学の先輩が、大阪からオートバイに乗って白馬に向かっている。「ゆっくりと待っているから、真っ暗だし気をつけて」と伝えてはいるが、夜も更け冷え込んでもいるし心配だ。あ、流れ星のようにひとつだけのライトが散種荘の前をシュッと通り過ぎた。「おそらく先輩に違いない」とつれあいと気を揉んでいると、案の定しばらく経ってから「道の真ん中に木が一本生えているところにいるんだけど…、わかんない…」と先輩から電話がかかってきた。
薪ストーブと暖かいお風呂
さすがに「これはまずい」と電話をかけてきたのだ。「通り過ぎてしまったようですね。その道をまた登って突きあたったらもと来た道に折れてゆっくりと下ってきてください、家の前で待ってますから」とソーラーライトを持ち外に出る。10℃を切っていたろうか、底冷えするような寒さに慌てて屋内に戻り、今シーズン初、ダウンジャケットを羽織る。真っ暗と思っていた空を見上げると星がきれいにまたたいている。ずっと向こうの突きあたりがヘッドライトに照らされ、その灯りが道を折れ、私が掲げるソーラーライトを目指してゆっくりと下りてくる。「こっちの寒さを甘くみとった。ああ、冷えた。あ!薪ストーブ!暖かい!生き返るわ…」と捲し立てる先輩だが、いかんせん口が思うように動かず呂律が回っていない。温めておいた風呂に早々につかるよう促し、上がってからその晩は少しだけ、日を跨いで午前1時過ぎまで飲んだ。
この秋もなんとか山に湖に紅葉狩り
「大阪が暑いくらいだったから、つい油断してしまった。もちろん上着を余分に積んでいたからなんとかなりはしたけど、いっときは帰ろうかと思ったよ。いやあここまでとは…」一夜明け11月の白馬とは思えないほどに暖かい朝になっても、先輩は身を切る前夜の寒さが頭から離れない。一年ほど前に東京のとあるパーティーでばったり顔を合わせたときに「ツーリングがてらの白馬来訪」を約束し合ったものの、いかんせん居住地が離れていて日常的に酒を酌み交わしたりしないものだから、具体的な日程も決めずここまでグズグズしてしまった。うかうかしていると雪が降り始め道も凍結してしまう。せっかく来てくださるなら「白馬、いいねえ」と感じ入ってももらいたい。つまりこの紅葉シーズンが、今年最後の機会だった、とまあそういうわけだ。
暑すぎた夏のせいで色づく前に枯れてしまった葉も多く、しかも異常な高温が続いて紅葉そのものが遅れており、どうなることかとヤキモキしていたが、散る前に見得を切らないことには樹木も気が済まないようで、10月も末になるころにどうにかこうにか帳尻が合う。もうひとり、バイカーである5学年下の大学の後輩も誘ってあるのだが、彼が横浜からやって来るのは午後も遅くなってから。借りてあったレンタカーで私は先輩をドライブに誘い出す。蕎麦膳で十割蕎麦を食し、観光客でごった返す岩岳を避けて八方尾根のゴンドラでうさぎ平まで標高を稼ぐ。風もなく穏やかで雲ひとつない秋晴れ、少し霞みがかった空にパラグライダーが飛び立っていく。
紅葉狩りドライブは山から湖へ。この11月4日は3年に一度の北アルプス国際芸術祭の最終日、せっかくだから過日にハーモニカのT師匠と訪れたケイトリン・RC・ブラウン&ウェイン・ギャレット「ささやきは嵐の目のなかに」を再訪してみた。この作品は背景となる天候によって著しくその表情を変える。曇天の下ひっそり囁くようだった過日と違い、雲ひとつないこの日はまるで光を放ち浮いているかのよう。先輩の日頃の行いだろうか、山の中でここまで穏やかな晴天という日は一年のうちにそうそうもない。三連休と会期の最終日が重なり、木崎湖畔は思いのほか賑わっていた。
Googleマップの「スケキヨ」ポイント:https://maps.app.goo.gl/auag8vcxasDHqyaUA
青木湖の「犬神家の一族」ポイント
青木湖を一周していると「助手席っていいね。オートバイを運転していると色々なことを注意しなければならないから景色ばっかり見てるわけにいかないし」と先輩はご満悦だ。そんなころ後輩から「小谷の道の駅を出ます。これから向かいます」との連絡が届く。「なぜ白馬を通り越して小谷なのか」と首を捻るが、鬱蒼とした湖畔のワインディングロードをぐるっと回ったら散種荘に帰るつもりでいたからちょうどいい。そして青木湖の隠れ人気スポットにさしかかる。あれ?ついこの前までGoogleマップでここは「スケキヨの足」と表記されていたのに、今は「犬神家の一族 スケキヨ」に変更されている。う〜ん…、なんらかつまらない理由があるにはあるのだろうが、ここはなんとか踏みとどまって「スケキヨの足」と洒落てもらいたいところだった。
バイカー談義
郷の湯でそろって温泉につかりながら後輩に聞くと「せっかくなので日本海が見たくなり糸魚川まで足を伸ばした」とのこと。朝に横浜を出発し本州を縦断し、少し引き返して白馬に到着というわけだ。なんともバイカーらしく「自由」である。還暦を前にして「何か新しいことを始めたくて」4年前にバイク免許を取った先輩は、30年来のバイカーである後輩の話に興味津々だ。6学年の差があり実は面識のない二人を引き合わせてみた私からすればしてやったり。免許を取ったはいいがコロナ禍で市場にオートバイが出回らずやっとのこと手に入れた愛車の話や細々とした装備の話、二人のバイク談義はつきない。途中に入る学生時代の話はさしみのつまだった。
ワイルドでいこう!
油はね対策にAmazonなんかで過剰包装の果てくしゃくしゃと同包されている梱包材を、テーブルクロスに再利用して敷き詰める。ジンギシスカンを食して夜が更ける。欲張ってプロジェクターでソン ガンホ主演「タクシー運転手〜約束は海を越えて〜」まで観てさらに夜が更ける。日が変わっていたことは間違いないが、寝床に入ったのがどれくらいの時間だったかははっきりと憶えていない。
ジョギングも済ませた先輩が先に旅立ち、「恥ずかしいからお見送りは結構です」と後輩も昼前には散種荘を後にした。夜には暮らす集合住宅の定例理事会があって、私もその日のうちに東京に戻った。そして11月6日、「ピーター・フォンダ演じる『イージー☆ライダー』の主人公の役名ってキャプテン・アメリカだったよな」なんてことを米国大統領選挙のニュースを目にしながら思い出す。そもそもあの映画、「自由」を体現しようとする主人公たちが行く先々で沿道の排他的な人々から思わぬ拒絶に遭いついには殺伐としたアメリカの現実に直面し幻滅する、ってそんなストーリーだった。やれやれあれから55年も経ってるのに似たような話、なんだかなぁ…。バイカーたちとの語らいが楽しかったがゆえ、余計にもの悲しい気分になった。ああ、もうすぐ隠居の身。まあ気を取り直してワイルドでいこう!