隠居たるもの、雪にまみれて談笑を交わす。「俺はサムっていうんだ。プレゼントとしてお宅の除雪も少ししようか?」私たち夫婦と似たような年恰好と思しき気さくなオーストラリア人は、笑みを浮かべてつれあいにそう言った。軽トラックにHONDAの除雪機を積んで、お隣の貸しコテージに彼はやって来る。そこの営業を委託されている会社で働いているのか、それとも仕事を請け負っているのか、とにかく駐車スペースの簡単な除雪をするために彼はやって来る。この冬、白馬は雪で大変なことになっている。だから彼は頻繁にやって来る。雪かきをする私たちとも頻繁に顔を合わせる。自動車を持たない私たちに大掛かりな除雪は必要なく、玄関アプローチの雪かきだけでこと足りる。私たちは「ありがとう、必要な機会が訪れれば頼むよ」と答える。そしてその機会が訪れた。

ヴィラ 殺風景 あるいは コテージ ベルリンの壁

昨夏の省察「『デレク・ジャーマンの庭』のような庭」で紹介した通り、主にぺんぺん草も生えない砂利じきの「庭」をくさしつつ、私は隣の貸しコテージを密かにそう呼んでいる。実はそれ以外にも重大な問題がこの建物には潜んでいる。雪深い地に建立されたにもかかわらず、大雪への備えがまるでなっていないのだ。まず暖房機器が電気に頼るエアコンしかなく、外壁に沿ってずらりと並べられた5台の室外機は腰より高い位置にあるとはいえ雪囲いも設置されておらず丸裸。我が散種荘に面するもう一方の外壁にはガラス窓が散りばめられているのだが、とりわけても1階の窓を守るべき雪囲いなどなくやはりこれまた丸裸。数日おきに大雪が降りさらに加えてその上に屋根雪が落ちるとなると、5台の室外機と4つある1階の窓は完全に雪に埋まってしまう。エアコンは動かせなくなり下手をすると雪の圧力でガラスは割れる。もちろん宿泊者の身にも危険が及ぶ。

「仕事になるからいいんですけどね」

「ええ、その通りですよ。本来は雪囲いを作りつけなくちゃダメですよ。どんどん雪が積もって下の方が固くなったら絶対にガラス割れますって。だけどまあ、俺からしたら仕事になるからいいんですけどね。」えへへ、という感じで40歳になるかならないかというアンちゃんが除雪に勤しむ。彼が繰るマシンはYAMAHAだ。外壁沿いの除雪を担当するのはサムではない。農業に携わっているが冬の間は「便利屋」をしているという風情のこのアンちゃんだ。うずたかく積もった雪の上部に除雪機の刃は届かない。また室外機や外壁や窓には刃を直接あてることができない。まず最初にシャベルを振り回して上部の雪を崩し、また最後に室外機や壁面やガラス周りに残った雪をシャベルや手でこそげ落とす。骨の折れる仕事だ。ごそっと屋根雪が落ちたころに彼はやって来て、すぐに声をかけ合う仲となった。除雪機が飛び散らかす雪の一部はうちの庭に着地するのだけれど、袖すり合うも他生の縁、細かいことには目をつぶる。

雪を処分する場所がない

一日の終わりを一杯のウィスキーで締めくくることが多い。それに必要なロックアイスを切らしてしまったから、冬の間は「オージーストリート」となる一帯のど真ん中にある簡易コンビニまで少し山を下りた。途中で除雪作業をする別荘管理会社の担当者に出くわす。積雪量から勘案するに、積もるままにまかせていた管理物件にようやくお客さんが来るといったところか。彼が繰るのもYAMAHAだ。うちの隣も「最初はこちらに依頼が来たんですよ。(雪囲いもない)あの作りなのにけっこうほっといたでしょ?まあ、オーナーはここにいませんからね。いけないと気づいて慌てたんでしょうけど、急に言われても対応できなくて。今年の冬は毎日あちこちの除雪依頼を受けてますから。またこのところの建設ラッシュで空き地が減ってしまって雪を処分する場所が足りなくて困ってますよ。まあ、どうにかこうにかやってますけどね。」

2025年1月15日の朝

昨年末12月後半からときに警報を伴い断続的に雪が降り続く。せっかくの晴れ間にゲレンデを謳歌したのも束の間、気がつけば深々と雪が舞う。2025年1月14日もそうだった。前の晩からお隣に泊まっている元気なチャイニーズと早朝にあいさつを交わし、のんびりしている彼らを尻目に朝一番から八方尾根スキー場に足を運ぶ。昼過ぎに帰宅し洗濯なぞしているうち白いものがちらほらと落ち始める。降雪の具合は夕刻を過ぎたころになって「こりゃまた大変なことになりそうだ」とおののく域に達し、15日に目を覚ましてみるとやはりとんでもないことになっている。ひと晩で「膝まで」というのは幾度も経験したが、「すっぽり腿まで」となるとそうそう記憶に残っていない。

天気予報に照らし合わせ「自宅待機の一日」と予定していたから、ゆっくり朝食をとり一段落してから玄関アプローチの雪かきを始める。相変わらずのんびりしている隣の若いチャイニーズご一行もようやくに動き出す。車の荷台にスーツケースが詰め込まれているところを見るとこのままチェックアウトするようだ。しかし前の晩に考えもなく頭から駐車スペースに車を入れてしまったがゆえ、あまりの積雪にバックのままハンドルを上手く切って車道に出ることができない。おちゃらけた元気さは影をひそめ、悲壮感すら漂うすったもんだの末に彼らがようやく去ったころ、サムが軽トラックにHONDAの除雪機を積んでやって来た。

「HONDAは素晴らしい」

「エアコンの室外機を5台並べるなんて、Bad Designな建物さ。でもほら、俺の除雪機はHONDAなんだ。HONDAは本当に素晴らしいぞ。手伝ってやろうか?」サムは相変わらずお節介で、私が雪かきを終えようとしていた玄関アプローチを覗き込む。そして、黒部アルペンルートのように整備された背丈を超えるアプローチを目にし、「なんてこった!これは立派なエンジニアの仕事じゃないか!」と感嘆する。私はつれあいを指し「彼女のお兄さんはHONDAのエンジニアだったんだぞ」と簡単な英語で伝える。隣町で暮らしているという彼の白馬村在住歴は長いようで、私たちのコミュニケーションは簡単な英語と日本語を交えて滞りなく成立する。「本当か?オートバイか?車か?」「車だ」「すごい兄さんだな。俺はオーストラリアでずっとJAFのようなロードサービスで働いてきたんだ。だからHONDAの素晴らしさをよく知っている。」

「性根に染みついているんだ、人の手助けをすることがね」

そして彼は頭と心臓のあたりを右手で交互に触りながらこうつけ加えた。「困った人を手助けする仕事をずっとしてただろ?だから性根に染みついているんだ、人の手助けをすることがね。」すでに散種荘の雪かきを一段落させていた私たちは、駐車スペースの除雪をサムが終わろうとしていたその貸しコテージを越えてすぐのご近所さん、雪かきに孤軍奮闘するご高齢のご婦人のお手伝いに向かおうとしていた。ご婦人は雪の中から彼女の足である軽自動車を「発掘」しようとしていた。「そうだ、サム、やってあげてよ」私がそう声をかけると、サムは「お安い御用」とばかり嬉々としてHONDAの除雪機を操った。「お礼とかいいんですか?」と気にするご婦人に、私は「いいんですよ、人の手助けをすることが性根に染みついているんですから、彼は」と答える。居合わせる私たちはこうしてどうにかこうにかやっている。ああ、もうすぐ隠居の身。いつかサムと肩を並べて「男はつらいよ」を観てみたい。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です