隠居たるもの、初老5人でショロー5と自称する。2025年8月17日、大学時代の同期4人につれあいを交えた初老5人が、白馬乗鞍高原スキー場下りてすぐのペンションで顔を合わせた。咄嗟に命名されたグループ名は「ショロー5(しょろうファイブ)」、ほぼ「40年ぶりのサマーキャンプだな」などとおどけて笑い合っているが、なにもフィンガー5を気取っているわけではない。ドッグランも完備するこのペンションの経営者が高校ラグビー部の先輩であることをいいことに、元中央総本部中央常任委員会副委員長が、ここに新たに増築されたコテージに元京都府本部委員長団であった夫妻を、子どもたち3人と飼い犬であるシベリアンハスキー2頭ともども誘い出し、そこに八方で暮らす元中央総本部中央常任委員会委員長である私を夫婦そろって呼び寄せた。想い起こしてみれば、信州の高原で催された4泊5日のサマーキャンプで私たち4人が初めて顔をそろえたのは42年前、以来4年間いつも夏ともなれば信州で寝食をともにしていた。そこから数えてほぼ40年、それぞれに還暦を超えた面々が再び夏の信州で一堂に介した。

40年ぶりのサマーキャンプ

東京、京都、大阪、兵庫から総勢100名超で集まるサマーキャンプだったから、私たち同期だけでもその4分の1の25名くらいはいるはずで、ここに集った4人だけで全員集合というわけではもちろんない。今となっては笑ってしまう、時代がかって仰々しい中央総本部中央常任委員会というネーミングも東京という土地に由来するだけであって、そこに属した二人はそもそもが東京生まれでそのまま東京の学校に通いそのまま東京圏で暮らしてきたいわば腐れ縁だが、京都の夫妻と再会を果たしたのは悲しいこと兵庫県本部に属した同期の友だちの死に接した6年前のことだった。以来、せっかくだからと私たちはSNSで交流を深めた。するとなるとお互いにどう暮らしているのか気になるし、それが袖擦り合わせて他生の縁を呼び込むのか、示し合わせたわけでもないのに先の3月に47スキー場でばったり遭遇するなど、アラウンド還暦に際してあらためて親交を深める結果となった。今回ほぼ「40年ぶりのサマーキャンプ」とあいなったのは、子犬だった2頭のシベリアンハスキー兄弟の成長物語をSNSで見守ってきた犬好きの元中央総本部中央常任委員会副委員長が、「犬同伴OKの先輩のペンションがあってさ、新しくコテージも作ったことだし夏そこにおいでよ。そしてその子たちと遊ばせてくれ」と呼びかけたのが発端だった。

なにも変わっちゃいないように思えても(笑)

同い年の他の友だちと面つき合わせて酒を酌み交わしながら笑い合ったときの会話だ。「俺たちが若いというかまだ子どもだったころ、60歳くらいの人たちを見て『演歌しか聴かねえし、まったく古くせえなあ』とか思ってたじゃん。そして『でも60歳になった俺たちは違うぜ。古いったって聴いているのはなにしろローリングストーンズだからな』なんてどこかで思ってるじゃん。だけど俺たちが気づいていないだけで、若いやつらからしたらそもそもそのローリングストーンズ自体がもはやまがうことなき『演歌』なんだよな」そう、エコーチェンバーとでもいうのか、昔からつきあう同じ年恰好の者たちと集っていると、「自分たちはなにも変わっちゃいない、まだまだいけてる」とつい錯覚してしまうことがある。しかし実のところはすっかり時代遅れで、『まったく古くせえなあ』とずれていることが多々見受けられる。それが高じて老害を撒き散らしていることに気づかない人も多い。その点、成人した子どもたちが同席してくれる食卓というのはありがたく、酒も進んでついつい調子に乗りがちなショロー5男性陣に「そいつはお門違いですぜ」とブレーキをかけてくれる。初老ともなればここは「なるほど、そうだったか」と虚心坦懐に膝をうち、なにものにもとらわれることなく自由闊達な心持ちで受け止めたい。

しかしやっぱりなにも変わっちゃいないようで(笑)

とはいえ三つ子の魂百までも。人の性根というのはそうそう変わらない。どこかそれぞれのキャラクター通りに還暦を過ぎていることがまた面白くもあり、山から涼しい風が吹き下ろしてくるころにはバーベキューも佳境に入る。当時のサマーキャンプが禁酒だったことを想い出したのだが(飲み方もわかっていない学生100名超が泊まりがけだもの、解禁していたらどんなことになっていたか想像するだに恐ろしい)、その点ショロー5のサマーキャンプはそもそもが飲み会だ。この歳になればそれぞれの仕事に対する「取り組み強度」もまちまち、「苦さも含めていい味が出るんだよ、初老になって酌み交わすと」などとあくまでも饒舌。しかし学生の時分と違って4泊5日というわけにはいかないし、だからといっていつまでも飲んでいられる体力もすでになし、大変に楽しい時間も適度な余韻を残していつしかお開き。酒は飲まないという息子さんの運転で私たち夫婦は散種荘まで送ってもらった。そのままペンションに一泊した面々は少し遠回りして糸魚川まで出てカニを食べてから帰ると言っていたが、はてさてどうしただろうか。これを端緒に可能なかぎり同期みんなに声をかけ、あらためて「サマーキャンプ」を計画するのも悪くない。

「息子はいるの?」

実は私たち夫婦はバーベキュー2連チャンだった。ショロー5で食卓を囲んだ前日も、散種荘のウッドデッキに初めてのお客さんを招き、浅草は合羽橋商店街 釜麻商店の炭焼き台を真ん中にして総勢6人車座に座っていた。北欧系のダンナさんと日本人の奥さんとその息子たち二人、この春にご近所に移住してきた一家だ。こちらの息子は散種荘に入ってくるなり「息子はいるの?」と私に質問を投げかけた。もちろん「ボクの遊び相手になるような男の子はこのうちにいる?」との意であると推察し、「きみはいくつになるんだ?」と訊いてみるとメロン坊やと同い年、「こんどその子がうちに来たら遊びに連れていくよ」と約束する。遡ること7年となる2018年10月のこと、今や散種荘が建つこの地を購入するかどうかのちにメロン坊やの母親となる姪を伴い現地視察していた際、「ここ買うんですか?」と声をかけてきた感じのいい若夫婦がいた。近隣にすでに土地を購入していたこの夫婦である。

「そういえばあのあとさ、岩岳に行ってゴンドラに乗ったんだ。あなたたちマウンテンバイクに乗ってたでしょ。『へえ、あの二人アグレッシブなんだなあ』って斜面を走り降りる姿を追ってたんだ」と話すとダンナさんが「え?!そうなんですか?じゃあ私が骨折する直前ですね」と答える。「え?!あのとき骨を折ったの?」「はい、北欧と日本では自転車のブレーキの位置が左右反対なんですよ。ちょっと慌ててブレーキをかけなきゃならないことになって、後輪にグッとかけたつもりがそれが前輪で、バーンと一回転しちゃって鎖骨を折りました😅」そして5年前に私たちは散種荘を作り、彼らは子どもが生まれたりコロナ禍があったりしてどうしたもんか逡巡していたけど仕事はリモートで事足りるし意を決して家を建てこの春に東京から移住してきた。そうして7年越しに晴れてご近所さんになったというわけだ。彼が日本に住むようになった経緯もじっくりと聞いた。開口一番「息子はいるの?」と言った息子はすっかり私になついた。なんとなく「もう8年前となるヴェネチアが最後だし、あと一回だけどこか海外旅行に行ってみるかな」と考えてもいたのだが、その行き先を北欧にして、この一家が里帰りするときに時季も合わせるというならば、案内してもくれるという。こっちのサマーキャンプもなんとも悪くない…。ああ、もうすぐ隠居の身。古かろうが新しかろうが人づきあいに歴史あり。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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