隠居たるもの、晴れ女の力量に舌を巻く。2025年10月31日、大学の若い後輩二人が白馬に遊びに来ることになっていた。高田馬場で催された9月末の大学同窓会行事の夜、腕を引かれて三次会までをともにした、来春には社会に出る、男女の二人組だ。「白馬に行ってみたいです!」「遠慮することはない、学割を使ってやって来たまえ」というその三次会でのやり取りを経て、若い後輩たちは早速に予定をすり合わせた。その意気やよし。若いもんは「図々しい」くらいでちょうどいい。「ならば遊びに来い」と言っているのだから、「合点承知の助です!」と即座に行動に移すべきなのだ(若いあの二人は間違っても「合点承知の助」などと口にしないが)。山はちょうど数日前に冠雪し、紅葉もそろそろ盛り、訪れるタイミングも絶好だ。しかし、ここで問題が生じる。よりによって彼らが白馬に滞在するこの二日間、天気予報が思わしくない…

晴れ女、おそるべし
天気予報によると雨が降り出すのはかろうじて夕方以降という。日中に遊び歩くのになんとか差し支えはなかろうが、観光という視点に立った場合ここ白馬において「曇り」という天候表示には重大な支障が加味される。標高1,600mを超えたあたりからかかり始める雲が、最大の観光資源である山の頂をすっぽりと隠してしまうのだ。おりしも10月末から11月頭にかけてのこの時期は、山の上部は雪の白に覆われ、中腹は紅葉の赤に染まり、ススキがそよぐ麓にはまだ緑が残る、他所ではそうそうお目にかかれない三段紅葉の季節。なので「せっかくなのに天気があいにく…」などと連絡を取り合っていると、二人のうちの一人、卒業する来春から某国営放送で働くことになっている学部生の後輩が、あっけらかんと「私、晴れ女なんです。だから大丈夫です」とのたまう。「だからといっていくらなんでもなぁ」と微笑ましく思いつつ駅まで迎えに出てみると、あにはらかんや、曇りは曇りでもいっさい雲がかかっておらず、白馬三山は後輩二人を出迎えるかのようにくっきり全容を現している。こうした空模様、実は滅多にない。晴れ女、おそるべし。


早稲田松竹の向かい、酒ト肴 オンザコーナー:https://tabelog.com/tokyo/A1305/A130503/13270031/
暗殺者の麻婆パスタ
そういえば10月26日も、文学部ドイツ語Q組の同級生4人組、久しぶりにそろって高田馬場で飲んでいた。「せっかくだし母校の近くでどう?」と相談しつつ、友だちの一人から「娘に教えてもらったここは?」と提案されたのが懐かしの早稲田松竹真向かいの2階「酒ト肴 オンザコーナー」、日曜だしもういい歳なんだし早くから始めたってよかろうということで、遅い昼食という設定で午後2時より集う。いい店だった。窓の向こうに映画館を眺めながら映画の話なぞあれこれしつつ、締めに注文した「暗殺者の麻婆パスタ」、これがまた美味しかった。フライパンでパスタを焼きつけるスパゲッティ・アサシーナの麻婆仕立てなんだそうだ。なるほど、アサシンだけに暗殺者というわけだ。この間それぞれ個別に落ち合って遊ぶことも何度かあったが、趣味の合う4人がそろって顔を合わせたのはほぼ一年半ぶり、興が乗って結局はもう一軒、歩いて1分くらいのCafé Cotton Clubにハシゴして7時半まで楽しく話す。何を隠そうこのハシゴしたカフェこそが9月末に同窓会行事を催した店。42年前の同級生たちは「まだあったんだねぇ」と感嘆するが、今もあるその店でいっしょに飲んだ同じ大学の後輩たちが、高田馬場から遠く離れた白馬までこうして遊びに来たのだった。

白馬岩岳マウンテンリゾートで三段紅葉を浴びる
新宿から直通の午前11時41分着 中央線特急あずさ5号で白馬駅に降り立った後輩二人をピックアップし、新蕎麦が出回り一年のうちもっとも美味しい時期を迎えている蕎麦を昼食にすすり、途中「ここら辺でよくクマが目撃されている」などと教えながらレンタカーを走らせ、岩岳マウンテンリゾートに出向いた。いつ雨が落ちてくるか予断を許さないから、散種荘に荷を下ろすのは後回し、降らないうちに観光を済ませておこう、という作戦である。やっぱり白馬は山に上がってなんぼ。そうだとしてもあまりにも見事な三段紅葉。「うわっ!きれい!」とか「ひゃあ!」とかいちいち感嘆の声を上げる若者二人。大学院ロースクールを卒業し10日ほど先に出る司法試験の結果を待つ後輩は果敢にも白馬ジャイアントスイングに挑戦、顔をひきつらせつつ標高1,100mの空中遊泳を楽しんでみせたのであった。

晴れ女が屋根の下に入った途端に雨が降る
若者二人と私たち夫婦が代わりばんこに風呂に入ったのではずいぶんと時間がかかってしまうから、岩岳からの帰りがけ白馬三山を見晴らす線路向こうのハイランドホテルの温泉に皆で入り、そのまた帰りがけジャンプ台に立ち寄る。学部生の後輩が「先日に通信社の人と話していて、『こんど白馬に行くんです』と言ったら『原田が長野オリンピックのとき“ふなきぃ〜“と泣いたジャンプ台のとこね』と返されたんですけど、あれですか?」と遠くから指差したからである。長野オリンピックが開催されたのは1998年、二人ともまだ生まれていない。先輩は1994年リレハンメルオリンピックから続く原田雅彦のドラマを懇切丁寧に解説する。タイミングよくその時たまたま高校生と思しきジャンパーたちが練習飛行を繰り返していたので、幸いなこと原田がどれほど爆発的な大ジャンプを飛んでみせたのか、K点を示しつつ具体的に説明する。「ひょえ〜」と口にする若い二人にはなかなか得難い経験だったのではなかろうか。

雲が山にかかり始めた午後4時くらいに散種荘に帰り、薪ストーブを焚き、早い時間から飲み始める。西側に北アルプスという3,000mの高い壁がある白馬は「日の入り」が早い。楽しく会話していたから気づかないでいたが、どうやら私たちが屋根の下に入るなり雨の滴は落ちていたようで、暗くなってしばらくする頃には雨音がはっきりと聞き取れるようになった。旅行先で彼女が外にいる間は雨は降らず、屋根の下に入った途端に降り出す。まさしく正真正銘の晴れ女である。つれあいが提供する料理に皆で舌鼓をうち夜は更けた。

みるみると雲が切れて青空が顔を出す
司法試験の結果を得ないとなにも始まらない彼と違って、学部生の彼女は白馬でなにも遊んでいたばかりではない。酒を飲んですっかりいい心持ちになっていた私に、卒業論文執筆真っ最中の彼女、インタビューを敢行したのである。1960年代から1980年代にかかるころ、その当時に現役学生だった先輩方が発刊していた「サークル機関誌」があった。今日から考えて学生だけで作ったにしてはあまりに高尚なそれらを読み通すことで知りうる、組織的後ろ盾を持たない在日コリアン学生の「政治意識の変遷」、それがどうやら彼女の卒論のテーマのようだ。その時々に執筆していた先輩方やその背景を直接に知る私は「生き証人」という立ち位置だ。酒も入っていたから問いかけられる根源的な質問にどれだけ応えられたかはわからないが、いい加減な先輩と違ってこれから彼女はさぞかし立派なジャーナリストに成長することだろう。また、その様子を傍で感じ取っていた彼だって、正義感あふれる弁護士になること間違いない。還暦を過ぎ「研究対象」となった先輩は、そんな後輩たちを頼もしく思う。

一夜明け、「裏の平川の河原に行ってみるかい?」と後輩たちを誘い出す。天気予報は思わしくないままだが、とりあえず空は持ちそうだ。ところがどうだ、河原に出てみると驚くことに空はすっきり青く抜けている。晴れ女はあっけらかんと「当たり前です」という顔をしている。高田馬場に端を発して白馬に集う。来年の初夏、散種荘に離れができる頃合いに、文学部ドイツ語Q組の4人組で雁首そろえることを画策したい。ニッチな音楽を好む少数派な私たちが、完成なった離れにそろい、そうした音楽を取っ替え引っ替えこれでもかと大きな音でかけるのだ。東京じゃあるまいし、ご近所さんといっても距離がある。おののくものがいたとしても、せいぜいどういうわけかうっかり通りかかったクマくらいなものだ。そんな妄想を逞しくしながら時計を見ると、後輩たちが乗った新宿直通中央線特急あずさ38号が長野県を通り過ぎ山梨県に入るころだった。するとなんということだろう。ああ、もうすぐ隠居の身。思い出したように雨が降ってきたのだった。