隠居たるもの、節目に越し方行く末を思い巡らす。2026年5月18日夜のこと、階段を下りた銭湯でゆっくり身体をほぐしたあと、私たちは再び階段を上って自室で夕食のテーブルについていた。メインメニューは牛肉にごぼうを絡めて煮るように焼いた「牛ごぼう」。見るからに美味しそうだったのに「レジにて50%引き!」とシールが貼られていた牛肉はやはり申し分なかったのだけれど、ささがきにされて野菜コーナーに並んでいたごぼうの方はというと歯応えがなくてどうにも拍子抜け。「自分好みにしようってえなら横着しちゃいけない、ってことだな」などと夫婦で教訓を確かめ合っていたら、姪からなにやら動画が送られてきた。なにをどうしたって照れ臭くてついふざけてしまう小学一年生のメロン坊やが、「お・お・お・じ、お・た・ん・じょ・う・び・お・め・で・と・う、い・つ・も・あ・り・が・と・う」とクネクネしながら丹精込めてふざけていた。この日、私は62歳の誕生日を迎えたのであった。

運河の街の部屋に朝一番に電話がかかる

 「それでは誕生日をおっしゃってください。えっ?今日なんですか?おめでとうございます!」、運河が縦横に走る街の部屋に朝一番にかかってきた電話で司法書士さんから祝辞をいただいた。なぜに司法書士さんから朝一番に電話がかかってきたのかというと、この日がほぼ四半世紀を暮したマンションの最終的な引渡し、契約完結の日だったからである。「すべての関係者が銀行の一部屋に一堂に会して手続きを執り行う」、それがこれまでの常識だったが、雁首そろえたところで、ことここに及んで売主と買主にはその実さしてすることもなく、司法書士のすべての作業が終わるのを手持ち無沙汰なままただ待つ、そんな塩梅だった。当事者からすればその間どんな話をしとけばいいのかわからないし、しないならしないでぼうっとした間抜けな顔を無防備にさらすのもどうかと思うし、何度も経験することではないとはいえ、いささか困った局面であることに間違いはなかった。そこに昨今さすがに「いかがなものか」と気づいたようで、一堂に会することもなく事前にそれぞれが書類のやり取りを済ませておいて、この日の主役たる司法書士が淡々と事務的に作業を進める、そういう形態が一部で生まれたようだ。しかし最終的にフィジカルな本人確認は当然のこと必要で、そのため朝一番で「一方の当事者はあなたで間違いないね?」という電話が待機している私にかかってくるという寸法なのであった。兎にも角にも、この電話確認をもって、昨年の5月に始まり一年の月日を費やした私たちの「マンション売却計画」は、ひっそり無事に完遂したのだった。

まずは両親の墓前に報告する

 洗濯なぞを済ませてからまずは両親の墓参に出向く。そもそも引渡しがこの日になったのは「5月後半」と打ち合わせていた中で「忙しい月末は避けたい」という買主さんの希望に沿っただけであって、なにも私の誕生日に合わせたわけではない。だから私が62歳になったことを伝えるためにわざわざ墓参するはずもない。今は亡き両親に「江東区近辺のことはすべて滞りなくケリがついた」ことを報告すべく足を運んだのである。上の写真の奥に鎮座ましますのは、大河ドラマ「べらぼう」でお馴染み「寛政の改革」を断行した松平定信が眠る霊巌寺であるが、清澄白河というのは江戸時代にできた寺町で、私の両親を納めた墓もこの界隈にある。墓参とくれば昼食に向かうは深川の銘店 香取鮨、私たち夫婦の何ヶ月かに一度の愉しみだ。ましてや私がたまたま誕生日である上に、一年にわたって取り組んだ「計画」の打上げといって過言でない特別な昼食である。品格あふれる大将が握る鮨を食したところでバチはあたるまい。

あれよあれよという間に8年目

 「いつものでよろしいですか?」と聞かれたので「いつもので」と答えた。大将おまかせ握り、季節に合わせた旬のネタを大将が12〜13貫に選りすぐり、それでもって津田梅子一枚、破格である。カツオやらキンメやらイトヨリが美味い。端正な鮨をつつきながら、節目に際した私たちは越し方行く末に思いを巡らす。「ブログ『もうすぐ隠居の身』を始めたのはまさに55歳の誕生日その日だ。一年もしないうちにコロナ禍がやってくるなんて思いもしなかったが、56歳の誕生月に勤め先を辞めるということを念頭に置いてのことだった。あれからもう7年も続けてんだ。山の家プロジェクトはぼんやりと構想していたが、でもそこまでがいいところさ。マンションを売っちまうとか#山の家プロジェクト最終章が待っているとか、そんなことあの頃に想像したか?そして今日から「もうすぐ隠居の身」は8年目に入るんだぜ?」、特別な日だからと珍しく昼からビールを飲みながら話していたら、若いインバウンドさんカップルがおずおずと店に入ってきてカウンターに座った。大将に「Cash Only , OK ?」と確かめられうなづいた小綺麗で可愛い二人、カウンターの下で手持ちの北里柴三郎を数え始める。そしてヒソヒソ相談してからスマホの翻訳機能を使って注文した。「大将おまかせ握りを渋沢栄一のグレードの方で」。その様子をうかがっていた私たちは己の至らなさにハッと気づき涙を流して笑った。「そうだよ、今日は特別だったんだからさ、私たちだってこの日ばかりは渋沢栄一のグレードにしたってよかったんだ、こんな機会なんざ滅多に訪れないんだから。はあ、思いもしなかったねえ、まだまだだな」と。

数えてみれば600段

 空いているスペースの寸法を確認した上でインターネットで探し注文していた組み立て式のコートハンガーが届いた。ホームセンターに通い収納棚やボードの自作までしたが、これで銭湯の二階はおおむね整った。いくつかの住所変更の手続き等、東京で済まさなければならない引越し・引渡しにまつわる用事もあと少しだ。週が明けたら#山の家プロジェクト最終章に専心することになろうか。そういえばこのブログ「もうすぐ隠居の身」については経過年数の他にもうひとつ気にかけていた「数字」があった。「はてさて何段目?」言い換えれば「何回目の配信か」ということである。それが節目ともなれば相応に感慨深くもあったのだが、このところはほぼ決まったペースで淡々と書いていたものだから数えることすら忘れていた。なのであらためて調べてみた。今作が603段目であった。つまり記念すべき600段目は「社長たちが再び集い、いよいよ#山の家プロジェクト最終章の幕が開く」だったのであり、華々しく600番代の端緒を開いたのは「引越しGW直前と直後の陣」二連作だったのである。またぞろ訪れた変転の兆し、気づいてみればそれが算段することなくピッタリブログの節目の数字双方に当たったというのはなんとも象徴的に思える話ではある。

妖怪ツツジわらしと戯れる

 先週末、仕事をしなければならなくなった両親に成り代わりメロン坊やの面倒を見ていた。こやつのこのところのマイブームが「ツツジの蜜を吸う」ことなのである。夕暮れ時に散歩に出て見つけては摘み、いちいち吸っては「こっちの方が甘いぞ」などとわかったようなことをのたまう。吸い終えたツツジの花を咥え、それを吹きつけようと私たちを追い回す。妖怪ツツジわらしである。この春に小学一年生になったメロン、子どもなりに環境が激変した中でこう見えても張り詰めて緊張した日々を送っているようではある。まあ人間なんざいつだってそんなもんじゃないか?55年前にツツジの蜜を吸っていた私にしたってそうだった。A Rolling Stone Gathers No Moss(転がる石に苔は生えない)。本来は「職業や住居および考え方を頻繁に変える者は信用を得られず財産や成功を築くことができない」という意味だったそうだが、それも今や「常に活動的で動き回っている者は古い殻にとらわれず常に新鮮でいられる」へと解釈が変転している。そもそもこのブログが始まったころ、メロン坊やはまだ生まれてすらいなかったのだ。ということでいよいよ8年目に突入。ああ、もうすぐ隠居の身。現代あるべきヌケがよくカッコいい隠居へと転がりたいのである。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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