隠居たるもの、迫り来る冬に死角なし。2026年10月28日、私たち夫婦は山を縫って白馬から小谷村(おたりむら)へと向かう国道148号線に車を走らせていた。前夜からみるみると下がった気温は昼を過ぎてもいっこうに上がらず、日が変わったばかりの午前0時に記録された8.5℃がこの日の白馬の最高気温だという。その上に深夜から朝にかけて雨まで降ったのだ。「こりゃ山の上は雪だな」と予想していたら案の定やっぱりそうで、午前中に買い物をしにスーパーまで下りて山を見上げてみると、雲の切れ間から鮮やかに白い雪が顔をのぞかせていた。今シーズン初冠雪だ。とはいえ昼前後になると空模様はまた怪しくなり、ときおり雨がぱらついた。そんな午後に私たちは羊飼いの友だちに会いに行く。ちょっとした用事があってつれあいが久しぶりに連絡してみたら「もう羊を連れて山を下り畜舎にいる」という。

KAMISUKI SHEEP FARMONY、2年ぶり
隣の小谷村で、友だちが3年前となる2023年から本格的に羊飼いを始めた。メロン坊やご一行を引き連れ、山上の楽園とも呼ぶべきKAMISUKI SHEEP FARMONYという名の牧場を訪れたのもすでに2年前の夏のこと。寒くなると彼らは羊を引き連れ山を下りる。そして畜舎に身を寄せ冬を越す。素人である私たちがそんなタイミングを予期したわけではないけれど、たまたま用事があって連絡したらすでに「畜舎にいる」という。まだ畜舎に足を運んだことはない。これ幸い「渡したいものがあるんで遊びにいくから」とちゃっかり押しかけることにした。彼らは育てた羊から毛を刈り取り出荷する。その毛が安曇野で毛糸に紡がれた。その毛糸を手に入れたつれあいが「せっかくだから生みの親である羊飼いたちに」とネックウォーマーを編んでいたのである。

39かーさん(さんきゅーかーさん)
羊飼いの二人が「39かーさん」と呼ぶ雌羊がいる。「39」は識別番号、「かーさん」というのは悠然とセクシーに闊歩するこの雌羊の「肝っ玉」な感じを讃えて彼らがつけたニックネーム。2年前の夏にも私たちはこの雌羊と山上で巡り会っているはず。つれあいが2025年の初秋に東京のとある街に立ち上がったポップアップショップに探し当てた毛糸、二人に聞くとこの39かーさんから刈り取った毛から紡がれたものだという。寒冷地である白馬、マフラーをぐるぐる巻きにするほどではないにしろ、首筋がヒヤリと心許なく体感されることは日常茶飯事。身体を動かす仕事である羊飼いならなおさらだろう、つれあいはそう考えプレゼントしようと編み始めた。しかし残念ながら先の冬が始まるまでには間に合わなかった。満を持して来たる冬の前に配色とサイズが異なるいくつかを持参、二人それぞれに好みを選んでもらってようやくのこと手渡すことかなったのである。下に並べた左の写真、興味津々で私たちに寄ってくる者たちを尻目に壁際で気持ち良さそうに居眠りしているのが39かーさんで、右は私たちの手元にひとつ残ったネックウォーマーである。


羊飼いの暮らし
雪が積もる冬を避け出産や採食のため山を下りてくるが、羊は寒いのは平気なんだそうだ。しかし山の中腹とはいえ畜舎は冷え冷えとしていて人間にはキツい。ここで羊とともに冬を越す羊飼いというのは大変な仕事だ。とはいえ羊は人懐こくそれぞれに個性がはっきりしていてとっても可愛く面白い。例えば、大枚はたいて迎え入れたのに、雌に囲まれたハーレム暮らしであるにも関わらず、肝腎要の使命はそっちのけ、のんびり草を喰んでばかりという種羊が顔に干し草一本ぶら下げて、「ところであなたはどなた?」と確かめがてら呑気に近寄ってくる。羊飼いは「もう…」と眉を八の字にして苦笑するが、「利害関係」のない私からすればなんとも憎めない。

年毎に生まれる子羊たちともなるとまた格別だ。先の春に生まれた子羊たちの畜舎は別棟となっている。それにしても3年半でここまで繁殖させるなんて門外漢とはいえ感心しきり。そしてまた夏ともなれば次の春に生まれたばかりの子羊たちを連れて山上の楽園が仕事場となる。食肉として出荷する牡羊に涙することもあるだろう。実際に彼らの初出荷となったラムをおっとり刀、深山成吉思汗(みやまジンギスカン)という店に食べに行ったことがあった。とても美味しくて目のウロコが落ちた(この店が白馬から松本に移転してしまったことは本当に残念)。私たちは食べることなく生きてはいけない。ならばこそ素性の知れた安全なものを身体に入れたいというのは人情。そんなこんなを差引き考えてみると、自然とともに過ごす羊飼いというのはどうしてどうして、喜びの方が勝るなかなかに素敵な稼業なのかもしれない。

羊飼いが羊を連れて山を下りる
羊飼いが羊を連れて山を下りてきたからには冬はもう目の前。実際にこの日、山の上は雪に覆われた。少しずつ進めてきた冬支度も急ピッチ、ひと息に本格化させなければなるまい。私たちはKAMISUKI SHEEP FARMONYからの帰り道、途上にある白馬ファーム(株)に立ち寄った。薪の調達を急がなければならないからだ。羊飼いと私たち夫婦を引き合わせ、友だちとなるきっかけを作ってくれたのは白馬の大立者であるここの社長だった。

新調した薪ストーブにぴったりの薪
私たち夫婦が初めてここを訪ねたのは6年前のこと。薪ストーブを初めて使い、なんとかリーズナブルに薪を調達できないか、そんな模索の果て辿りついたのだった。寒冷地にして豪雪地帯の冬をあれから6度経験し、私たちはこのたびストーブを長さ40cmの薪も入る大ぶりなものに入れ替えた。車も持つことにしたので配送に頼らず自ら買いつけにも行ける。米・野菜・薪を生産する白馬ファーム、この間に薪の売上げが右肩上がり、それに合わせて薪ビジネスを本格化させた。その結果、仕入れた木を乾燥させ薪に加工する倉庫の様子も一変していたのであった。

なにが違うといって薪の風格が以前と格段に違う。だからといって高飛車な値段になったわけでもない。むしろ安い。さすが社長、デッカい男である。自分で買いつけに行けば送料だってかからない。うちの車にだって一度に35cmの立派なナラの薪100kg超、余裕をもって載せることができる。雪が積もる前についでを見つけて何度か足を運び、700kgほど調達しておきたいところ。それでひと冬過ごすことはできないかもしれないが、そこそこいいところまでは持つだろう。シーズン通して合計3万から4万円、配送料を節約することだってできるに違いない。大は小を兼ねる、大きな薪ってえのは長く燃えてくれるから、ストーブの蓋を開けて頻繁に薪を入れる必要もないし、ゆったり冬を過ごせる。この冬は白馬ファームのこの薪一本槍でいこうと思う。

Makitaの充電式除雪機
来たる冬に向けてもう一つ新たに導入したものがある。充電式の除雪機だ。車を持ったがゆえにこの冬から駐車スペースを含むエントランスの除雪作業が頻繁にもなろうし範囲も広くなる。こちとら初老の身、人力で押し通そうというのはもはや年寄りの冷や水。とはいえガソリン駆動の除雪機は小さな散種荘にはあまりにも大仰。そこで充電式の除雪機だ。モーターで駆動する小型機械といえば世界広しといえどもMakita(マキタ)である。一応はAIに「豪雪地帯の白馬で暮らしているのだが、充電式の除雪機はどれを選べばいいか」と尋ねたところ、はたして最有力候補として挙げられたのは「マキタ MSN001GZ BL4080F」。「やっぱりそうか」と納得の上に思い切って購入、冬支度はここに大きな一歩を踏み出したのである。

結局のところ10月28日は一日を通して寒いままで薪ストーブがフル稼働した。日が変わった29日の深夜にもまた雨が降り、明け方の外気温は氷点下にまで下がると予報された。当然のこと山の上には雪が降る。そして朝になってみると雲ひとつない快晴、雪を被った山々が神々しくもとうとうあからさまにその姿を見せた。そういえば羊飼いたちはときおり山を下りて、自分たちが手塩にかけて育てた羊の肉料理を提供するレストランに足を運ぶのだという。今度ご一緒させていただこうじゃないか。ああ、もう直ぐ隠居の身。そして五竜スキー場は11月21日にオープンする。
