隠居たるもの、求めにそぐう引出しを持つ。時節は忘年会のピークといったところだろうか。かつてほどにそうした会合が持たれなくなったと言われてから久しく、確かに「仕事」を取り巻く年忘れの宴は少なくなっている感はある。しかしお年頃なのだろうか、ひまになった友人同士でとぐろを巻くことが増えていて、先週なぞは月曜から土曜までで5度あった。いなしたり手加減したりしながら、なんとか大過なくやり過ごせたことにほっとしているのだが、それもつかの間、「新年会をどうする?」という声がそろそろ聞こえてきた。
Think Global,Act Local.
ひとつの町内といってもいいくらいにそこそこの世帯が入っている集合住宅に暮らし、理事とかいう世話役を仰せつかっている。その世話役から退く人、新しく加わる人、それに関係者を混じえて、いわばご近所さんで年に1度だけ新年会の時期に懇親の宴席を持つ。みなさんから集めた公費からの補助もいくらかあるものだから、「私物化」のそしりを受けないよう会場選びにだって気を使う。まずは気取らない地域の店でなくてはいけないし、もちろん低廉でなくてはいけない。だからといっていつも同じ店だとつまらない。来年早々の会を決めるにあたり、常日頃からパトロールに勤しむ私に期待のまなこが集まるのは仕方がないことだろう。このところ好んで足を運んでいる「おでんやすだ」はどうだろうかと紹介した。
あるものを出すだけ
小名木川と仙台堀川にはさまれた路地裏にある「おでんやすだ」、小さな店の奥に、12人ほど入れる小上がりがある。ちょうどいいかと思い、他の方々の同意も得て、昨晩の理事会の最中に電話してみた。「うちに来たことある?じゃあ座敷の様子はわかるね。」味も安定していれば料金がとっても良心的なことも存じ上げている。だけれども、いつもふらっと立寄るようにうかがっただけで、ここで宴会をしたことがない。間違いなかろうと思いながらも、低廉であることが絶対条件だから、「あのぉ、メニューはどうなりましょうか」と尋ねる。
「うちねぇ、宴会用のコースとか用意がないんだ。そん時にあるものを出すだけだから。だから、そん時に品書きを見て、食べたいものを頼んでよ。」
うちから連絡することはないから
即座に返ってきた潔い答えに目が醒める。「わかりました。こちらは集合住宅の寄合いで、まあ私が幹事です。連絡先をお伝えしますね。090の…」ここで、しゃらくさいとばかりに遮られた。
「連絡先は別にいいよ。うちから連絡することはないから。そちらで何か変わることがあったら、また電話ちょうだいよ。そしたら待ってます。」
屋台から始めた下町の古い飲み屋の心意気。痛快で背筋が伸びる思いである。電話のやりとりを聞いていた他の世話役のみなさんも予約がとれたこと、その内容に気持ちよく微笑んでいる。
世知辛く口先ばかりのご時世で
いろんな言葉をあてがって、表向きだけ心にもないことを言うんだ。「顧客中心」とか「ほにゃららファースト」とか「喜んで」とか、闇雲にそう連呼しているうちに麻痺して正反対のことしていることにも気づかなくなっていたり…。宴席だって望んでもいないものをずらりと並べられて辟易することが多い。それにひきかえどうだ、「おでんやすだ」は。お為ごかしでなく、よっぽどお客さんを尊重し信頼してるじゃないか。さっぱりしていて面倒くさくなくていいやな。勉強になった。この店がやっぱり好きだ。
ああ、もうすぐ隠居の身。新年も、川のほとりで「いい加減」に徘徊する日々であろう。