隠居たるもの、いつまでも忘れ得ぬ見得がある。先日、42年を超えるつきあいとなる中学高校の同級生、男子校出身でそれぞれの事情を抱える55歳のオヤジたち20人ちょっとで忘年会をした。肩から少しずつ責任を降ろされ始めているのか、連絡もなく勝手に来る者もいたりして、思いの外に集まった。話題は相変わらずくだらなくむさ苦しいのだがやっぱり楽しい。笑いの絶えない会の中で「Kさんはどうしてる?」と質問を受けた。Kさんとはサッカー部の1学年上の先輩で、私が “スーパースター”と呼んでいる憎めない人のことだ。

インフルエンザ大流行の冬の最中に

街中のドラッグストアからマスクが消えた。すわパンデミックか、というくらいにインフルエンザが流行った冬だったから2009年のことだろうか。鉄道会社が経営する駅ビルで、ショップを経営していたスーパースターから電話がかかってきた。

「顔の広いお前を見込んでの頼みだ。マスクを調達できないだろうか。」

鉄道会社から「店員に着用させるマスクは当然に用意してあるでしょうな」と釘を刺されたそうだ。もちろんスーパースターは用意していない。そんな瑣末なことを気にかける小さい人間ではない。私の手元には潤沢にマスクがあった。勤務先から50枚支給されたばかりだったのだ。さらに幸いなことに、サッカー部1学年上の先輩たちがその日の晩に集まることになっており私も呼ばれていた。「20枚お持ちします」と約し電話を切った。「お前は本当に使える男だ」とお褒めいただき嬉しかった。

伏魔殿 錦糸町の世界旅行

金曜日だというのに、飲み会はなぜかあっさり終わってしまった。先輩たちは錦糸町の駅に向かって早々に帰るという。この宵を楽しみにしていたスーパースターは収まらない。私の左腕にからみつき「もう一軒行こうぜ」「錦糸町ならではの世界旅行に出かけようぜ」としつこく熱い息を吹きかける。お世話になってもいるから、仕方なくつきあうことにした。まずはフィリピンに飛んでみるという。

「お前ら、いま大変なんだから、これをやる」と言って、スーパースターは最初の訪問国の女性たちに気前よくマスクを10枚あげてしまう。呆然とする私に構うことなく、生来陽気なたちにできている彼女たちは、早野凡平の帽子芸https://mobile.twitter.com/samasuyaO/status/962267034682720257/photo/2 がごとく、それをアイマスクにしてみたり絶妙にふざけ始める。斜に構えていた私も思わず笑い転げてしまった。明日12月14日は赤穂浪士討ち入りの日だが、敵を欺くために遊び呆けていた大石内蔵助も、実は楽しかったのではないだろうか。「払っておいてくれ」と言われたから、料金は私が支払った。

ニンニクに埋もれる深夜のステーキ

次の訪問国はタイだった。スーパースターはその次に中国に渡るつもりだったようだが、すでに随分と酔いが回っていて入国を拒まれた。「仕方ない、メシを食おう」と言う。ラーメン屋を探そうとしたら「違う、ステーキだ!」とビリー ザ キッド錦糸町店を指し示す。深夜1時だというのに、さすがだ。スーパースターは「精をつけろ」と肉全面にわたり、私の分にまでおろしニンニクを塗りたくる。「やめてください」とナイフでこすり落とすと、しつこく同じことを繰り返す。手がかかるったらありゃしない。なんとか完食する頃、皿の端でおろしニンニクが山盛りになっていた。

スーパースターは大見得を切る

いっぱい遊んで帰る段になり、駅前のタクシー乗り場に赴く。スーパースターは駅の北側、少し歩いたところに家がある。私は南側、寒い深夜に酔っ払いが歩くような距離ではない。「先輩、ありがとうございました」とタクシーに乗り込む。すると、スーパースターも乗り込んでくるではないか。「遠回りして家まで送れということか?」と訝しんでいると、スーパースターは運転手さんに大きな声をかけた。

「運転手さん、俺の可愛い後輩を無事に送り届けてくれよ」

泣かせることを言うじゃないか。あれ?低い位置に構えた右手に千円札をつかんでいる。スーパースターは、それをタクシーの天井めがけて振り上げて放つと吠えた。

「行き先は、ロッサンゼルス‼︎ じゃあな‼︎」

スーパースターは颯爽と車から離れ、千円札1枚がスローモーションのようにヒラヒラとシートに着地する。我に返った運転手さんが私に尋ねる。

「どちらに行けばよろしいでしょうか」

「四つ目通りをまっすぐ行って、東京ガスの角を右に曲がってください」スーパースターには敵わない…。

翌日、二日酔いの重い頭を抱えてゆっくり起きると、その日も仕事だったスーパースターから電話があった。「二日酔いですっげえ苦しい。教えてくれ、なんでこんなにニンニク臭いんだ?」

今日の昼下がり、いまだ隠居にたどり着いていない我が身、勤務先の引出しを整理していて、あの時のマスクの残り21枚を見つけた。マスクが好きでないからほとんど使っていなかったのだ。ああ、もうすぐ隠居の身。スーパースター、世界旅行はもう無理です…。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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