隠居たるもの、来し方や行く末を考える。年が変わって鏡開きを経て、正月気分もすっかり遠のいた。それならば静かな日常が穏やかに戻ってくるかというと、東京で暮らす分には中々にそうもいかない。地下鉄の駅構内なぞはどこもかしこも工事中だし、“オリンピック!オリンピック!”とわけもわからず煽り立てる空気がなんとも騒々しい。昨年の5月に誕生日を期して唐突に始めたこの省察、そんな8ヶ月を過ぎてこれで第100段目に至る。なんとも修行に励んできたことよ。それを記念し、ここで考えを軽く整えてみたい。
老成しようとしているわけではない。
我が庵の書棚にある広辞苑 第三版によると、隠居とは①世事を捨てて閑居すること②家長が官職を辞しまたは家督を譲って隠退すること、とある。私が“隠居”という語に託しているのは「官職を辞し世事を捨てること」にある。
「まだまだ老け込む年じゃないじゃないか」とお声がけいただくことも多い。ご安心いただきたい、そんなつもりは毛頭ない。なんとかなりそうだから官職を辞して世事を捨てて、惑わされずに自身の興味に純化した生き方をしようというわけで、“隠退”という言葉も当てはまらない。ゆったりするよう計らうだろうが暇に過ごすわけでもなかろうから“閑居”というのも的を射ていない。フェーズを変えるのである。お金の必要があれば必要な分だけ働くし、新しいことを面白がって始めるかもしれない。私が生まれた年に発表されたボブ・ディランの「My Back Pages」という曲の中に、こんな歌詞がある。
Ah, but I was so much older then,I’m younger than that now.
「ああ、だけれどもあの頃の私は今よりよっぽど老けこんでいた、今の私の方がずっと若い」
無体な要求に応え何者かであろうとあがくが故に、「こうあらねばならない」という頑迷な考えを後生大事に抱えていたりしないだろうか。見聞も経験も足りない若い頃だと尚更である。無理矢理に信じ込もうと、有り余る体力が手を貸したりもする。しかし、見聞と経験を重ねてそれはゆっくりと溶けてくる。ボブ・ディランが「今の私の方がずっと若い」と歌うのはそういうことだ。とらわれずにそうありたいと願う。「それぞれがあるように、なるようになれば」いいと思う。“隠居”を志してというもの、心持ちは生まれてからこのかたもっとも軽やかだ。うっかりすると体力が落ちて身体の自由は効かなくなるが、落ちるスピードをコントロールしながら付き合うしかない。必要以上に抗うのも「こうあらねばならない」のひとつだ。だって仕方ないものは仕方ないし、失くすものもあれば得るものもある。狭量な蒙昧から解放されフリーハンドになること、つまりより自由になること、それを指して私は“隠居”といっている。
欲望にまつわるあれやこれ
だからといって悟りを開こうというわけではないから、物欲から解放されるわけではない。たとえば、私とつれあいがこのところ喧々諤々と胸ぐらを掴み合わんばかりに話し込んでいるのは、薪ストーブについてである。「山の家プロジェクト」の目玉だ。ノルウェーのものにしたい。その他にも、くたびれた山用ウェアやスノーボード周り一式を、来シーズンには一新したいとも思っている。遊ぶ道具は欲しい。高級自動車や高級腕時計なんかに興味はない。酒だってそう。まっとうで楽しい酒を酌み交わしたいだけだ。
Forever Young
「この省察」とカッコつける。僭越にも、16世紀フランスの隠居文学の金字塔 モンテーニュの「エセー」を真似ている。「第100段」という。これまた日本の隠居文学の金字塔 吉田兼好の「徒然草」が「第◯段」としているのにあやかっている。ちなみに「徒然草」は第二四三段まで続く。雅号のように乙にsanshuと名乗っている。これはジャック・デリダの初期哲学書「散種」から拝借している。
これは「四捨五入したら60歳」を機に始めた、新たな隠居像を確立する修行なのだ。日々、ヌケがよくカッコいい現代の「隠居」を模索している。いつまでも若々しく自由であるために。ああ、もうすぐ隠居の身。まだまだ修行は続く。