隠居たるもの、好んで愛でる雪景色。私はスノーボーダーである。しかしスキーをしたことはない。スノーボードが日本で流行り出したのは25年ほど前、私がもう30歳になろうかというあたりだ。そんな計算をしている風の対面者に、「なんでどうして始めたの?」ときっかけについて頻繁に尋ねられる。当時つきあっていた若い友人に、ほぼ無理矢理突然に始めさせられたのである。その者たちと遊ばなくなってからも、うまくできないのが悔しくて、ぎっくりばったり毎冬ムキになってやっていたら、途中からつれあいも加わり、いつしか四半世紀が経っていたというわけだ。

豪州スキー客「ニセコ離れ」

昨日、Yahooニュースにこんな見出しの北海道新聞の記事が掲載されていた。(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200114-00010001-doshin-bus_all)ニセコを訪れるオーストラリア観光客が2015年度から比較して2割減っていると書かれていた。混雑していて宿泊料も高いニセコを避け、本州のスキー場に行き先を変えているのだという。さもありなん、実は私たちも一昨年の冬を最後にニセコに行くのをやめにした。2004年の1月に初めて訪れて以来、母の看病と東日本大地震があった2011年を除いて、15年にわたりシーズンには必ずや足を運んでいたニセコ、私たち夫婦にとっていわばホームゲレンデだった。

ニセコの雪は別格だと聞いたもんだから

2003年から2005年くらいの間だったろうか、錦糸町にあるスノーボードショップをよく覗いていた。ギアのことを教えてもらったり、感化されて手にして買ってみたり。その店に、バイトしながらプロを目指している若者がいた。シーズン中はずうっとニセコにいるという。雪質のレベルが違うという。スノーボードを始めてほぼ10年、教えられるのが性に合わなくて、見様見真似でやってきたものの、このところなんだか頭打ち…。思いきってニセコでコーチしてもらうことにした。「北海道で滑る」、響きもなんだか刺激的だ。

自宅から6時間半かかったニセコには、乾いた雪が舞っていた。1本滑って嬌声をあげてしまう。降り積もった雪はまるで筋斗雲のよう。広くて変化に富むゲレンデに魅了され、あらためて基本を教えてもらったことも相まって、私たちは完全にスノーボーダーになった。

ニセコはあっという間に変貌する

「へえ、本当にオーストラリアから来てるんだねぇ」、2004年当時のニセコは呑気な感じだった。私たちが投宿したのもプリンスホテルだった。その後、オージーは驚くほどに増え続け、プリンスはヒルトンにホテルを売却した。夕食のついていないペンションを根城にしたこともあり、ある晩に町の居酒屋に席を占めたところ、日本語を解するのは私たちと店員さんだけ、なんてこともあった。後ろのテーブルで若いオージーたちが合コンをしていて、私たちの隣ではおじさんオージーが手酌で熱燗をすすっていた。今でも目に浮かぶ微笑ましい光景だ。体の大きな彼らがゲレンデではみんなヘルメットをつけているから、もらい事故が怖くて自分たちもヘルメットを装着するようになった。2010年を過ぎると、オージーだけでなく香港や中国、シンガポールからいらっしゃる方々が目立つようなる。彼らは一族郎党でやって来る。祖父母が小さな子の面倒を見て、若い者たちはゲレンデで転げ回る。食事は郎等で一緒にするから飲食店は大変な混雑。春節ともなると思い通りの時間に夕飯にありつけない。そうこうしていると、新しい高級コンドミアムが行く度に建っている。ロシアからもお客さんがいらっしゃるようになった。ニセコはいつの間にか高級リゾートに変わっていた。

ニセコから“卒業”した

“南の島”に憧れない私たちにとって、ニセコはバカンスの地だった。40代後半からの定宿は東急のニセコアルペン。1日中ゲレンデにいることもなくなった。朝から昼くらいまで滑って、どこかで昼食とって上がり。明るいうちにゆっくり温泉に入って寝転がって本を読んで、再び温泉に浸かって夕飯は北海道の食材を使ったホテルの和食屋さん。いつも同じ店に行くから、ここに流れ着いた東京都江戸川区鹿骨出身の店長や鹿児島県出身の気の利くホール担当の女性とも馴染みになった。だけど、宿の予約をとるのも大変になり、ゲレンデに人はあふれ、いつも行く店のメニューも客層の推移に合わせて変化しながら値段も高くなる。馴染みの二人もいなくなった。私たちは一昨年の冬を最後にニセコに通うのをやめることにした。

今年は雪が降らない

今日時点、ニセコの積雪は220cm。私たちが来週後半に出向く蔵王温泉スキー場はなんと40cm…。これ、セクシーかい?財務大臣のお言葉に触発されて、アイヌ語で「切り立った崖」という意味のニセコにまた行きたくなった。羊蹄山が恋しい。でも、来シーズンには自前の「山の家」もできるはず。ああ、もう直ぐ隠居の身。ジェイク・バートンを偲んでこの冬も滑る。

*ジェイク・バートン:2019年11月20日、スノーボード界のパイオニアでありBURTON創業者。家族や愛する人たちに見守られながら亡くなった。享年65歳。ガンの再発による合併症が原因。https://backside.jp/news-594/

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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