隠居たるもの、暦の推移に想いを馳せる。記録的に雪が降らない今年の冬である。東京のこの2月に限っては一度も雪が降っておらず、今までに例のないことだという。先日、親父の5回忌を迎えた。葬儀の当日にうっすらと雪が降ったことなどを想い出す。冬になってどっさり雪が降ると、親父はその様を眺めながら必ず同じ話をした。16歳だった1936年の2月26日、「あまりの大雪に人通りもなかった四つ木橋を“シャンシャン”と音をたてながら戦車が渡ってくるんだ、それを見てなあ。」語り出しはいつもこうだった。

命とられるわけじゃあるまいし

先日、仕事でしくじりがあってくよくよしていたつれあいが、神頼みとばかりに、私の両親が鎮座まします仏壇に手を合わせた。母に優しい言葉をかけてもらえることを期待したそうだ。なのに聞こえてきたのはどう考えても親父の声。「仕方ねえじゃないか、まずいもの出しちまったんだろう?命とられるわけじゃあるまいし、ま、頭下げてくるんだな。」つれあいのボキャブラリーにはない単語でまくしたてたという。本当に親父が出てきたのかどうかはさておいて、笑ってしまって気が晴れたそうだ。サバサバしているというかなんというか、けっこう波瀾万丈な人生を送ったから、もしかしたらそうでなければ生き抜けなかったのかもしれないけれど、とにかくそういう人だった。

彼が生まれた1919年とは

親父は、4年にわたった第一次世界大戦終結から5ヶ月後の1919年4月、韓国南部の小さな島の貧しい農家に生まれた。真意や背景はさておき米国大統領ウィルソンが大戦終結の講和原則のひとつとして提唱した「民族自決主義」、それに鼓舞された人々が立ち上がり韓国全土に広がった3・1独立運動、それから数えて2ヶ月経ったころのことだった。それから16年、父親(私からすれば祖父)を早くに亡くし、歳の離れた兄(私からすれば叔父)夫婦に養ってもらっていた親父は、義姉の意地悪にも耐えかね(親父談)、ど田舎には仕事もないからと海を越えて1935年9月に東京にやってくる。江東区亀戸は五の橋あたりのてぬぐい屋で、住込みの丁稚に雇ってもらったそうだ。中秋の名月の頃になるとこれまた必ずする話がある。「その頃は日本語も全然わからねえから、誰も話ししてくれなくてよぉ、ぽっかり浮かんだまん丸の月を見ながらひとりで団子を食って泣いたよ。」その他にも、「ざる蕎麦の食べ方がわからなくて往生した。」ともよく話してたっけ。

四つ木橋を“シャンシャン”と音をたてながら戦車が渡ってくる

しばらくして、親父はてぬぐい屋さんをやめ、同郷人に口をきいてもらって墨田区は八広の荒川の土手に面した鉄工所に夜逃げ同然で移り、そこに落ち着く。親方の女将さんに可愛がられすぎて怖くなって逃げた、「まだ16の子供だったから」と本人は言っていた。年が明けて1936年2月26日朝、居室から荒川にかかる四つ木橋を眺める。すると、あまりの大雪に人っ子ひとり歩いていない橋を、葛飾区側から“シャンシャン”と音をたてながら戦車が渡ってきたというのだ。「軍事演習でも始めんのかと思ったんだけど、そのうちなんだか騒がしくなってきてな、ありゃ2・26事件を鎮圧しに向かった戦車だったんだって、まだまだ日本語が存分にできない俺にだって少ししたら知れたんだ。」

今日はあれから84年

雪が降る冬の日、親父はいつも昨日のことのように2・26事件を語った。考えてみればそりゃそうで、2020年2月26日の今日をしてもたった84年しか経っていない。親父は“あの時”を知っているのだ。そして、親父の話をいつも聞かされていた私は、四つ木橋を戦車が渡る光景を想像することができるし、親父の想い出話のもうひとつの定番、「たぬき湯の煙突にかかるくらいに低空で飛行するB29」だって同様に頭に描くことができる。親父がずうっと似たような地域で暮らし、私もそこで育ったことにもよるだろう。

2・26事件は、原理主義者である若い将校が引き起こした愚かしい軍事クーデター未遂事件だ。あれから84年が経った今日、権力の座にあるのは、変えることのできない歴史的事実も、積み上げてきた法的根拠も、間違いがないよう記してきた書類も、なにもかもを力づくでなかったことにし、姑息にもなかったものをあったように作り変えようとする者たちだ。そうやって威張りくさっているにも関わらず、新型ウィルスの前では情けないことにいたって無能に見える。親父だったらどう言ったろう。古代ギリシャの哲学者、パルメニデスは少なくともこう言っている。ああ、もうすぐ隠居の身。あるものはあり、ないものはない。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

うちの親父と2・26事件件のコメント

  1. お父様の一言一言がしみますね。
    親の年代は、私達の年代に無いモノがありますよね。
    この歳になって感じます…父と飲みながら。

    髙橋秀年

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