隠居たるもの、自らの庵こそがユニバース。「不要不急の外出は避けてくれ」という。だから、韋駄天たちがすぐそこを必死の形相で走る気持ちよく陽光が射しこんだ日曜日の午前、そんな様子をテレビで眺めながら庵の居間で寛いでいた。3年前、暮らす街が東京マラソンのコースとなった。両国から清澄通りを南に向かって走ってきて門前仲町で折り返し、清澄通りをまたしても北上して蔵前に去っていく。都合2回、レース全体からすれば重要な中盤のポイントとして我が街を通る。新型コロナの影響で一般参加がなくなった今年は静かなものだが、37,952人(昨年の出走者)が走る例年の騒ぎときたら、それはそれは凄いもので、地域の子供たちと一緒に応援ボードを作るフカキタ ハイタッチ プロジェクト(https://www.facebook.com/Fukakitahighfive/)という取組みに、微力ながら私も駆り出されお手伝いなどしたりした。冷たい雨が降る昨年だってそうで、ランナーとして走る中学高校の同級生とハイタッチを交わしたのも楽しい想い出である。

そもそも「不要不急」とはなんだ?

書棚にある広辞苑第三版に記載はなかった。「不要」と「不急」がそれぞれに掲載されているから、それを総合すると「重要でもなく急ぐ必要もない」ことを指していると察せられる。わかりやすくいえば「重要でもなく急ぐ必要もない大した用事でないなら家にいてくれ」というわけで、はっきりいうと角が立つと思っているから四文字熟語に置き換えているのに違いない。そして、「あなた方の用事などというものは、そもそも私には関係ない」という無関心がその心根に隠されているから、なおさらそれが表に出ないよう故意に耳慣れない言葉に置き換えているのだとも推察する。だがしかし、なにが重要でどれを急がなくてはならないか、その基準はそれぞれ個々人に属することで、誰ぞに指図されるものではない。

そもそも東京マラソンからして、必要かつ急がなければならないイベントといえるのか?「予定通りに東京オリンピックを開催する」という観点からすると、代表選考のためにどうしてもやらなければならないイベントとなるのだろうが、「オリンピックより命が大事」という考えからすれば、中止もしくは延期するに越したことがないのは自明のことだ。一方からは「イベントにはあたらない」というオツムを疑う言い訳も聞こえてくるが、「本来はやるべきではないけれど、けつカッチンなんでやらせてください」となぜ言えないのか?「不要不急の外出を避ける」だって、「できるだけ外出はしないでほしい」と言えばよかろう。彼らは「あなた方の都合」はどうでもよいのだ。今年のフカキタ ハイタッチ プロジェクト、子供たちや高齢者が多数集まる取組みだけに、東京マラソン一般参加中止に先駆けてとっくの昔に中止にしていた。英断である。

パスカルの名言に唸る:人間の悪事はすべて、部屋の中でじっとしていられないことに由来する。

17世紀のフランスにブーレーズ・パスカルという人がいた。「パンセ」という偉大な書物を残した、哲学者で物理学者で発明家で実業家でもあった人だ。「人間は、考える葦である」を筆頭に、彼には名言が多数ある。私はこちらの方が好きだった。「人間の悪事はすべて、部屋の中でじっとしていられないことに由来する」こういうことだ。“部屋の中でじっとしていられたら、人間は悪徳に苛まれることもないだろうし感情が揺さぶられることもなく穏やかに幸せでいられることだろう。しかし、そうしていられないのが人間で、多くの者が外の世界や他者への好奇心を抑えることができず、刺激を求めて部屋から出て行きたがる。」とはいえ、それが人間だもの、仕方あるまい。” 若いころはまさしくそうだった。ようやく自分の趣味で固められた庵にこもることが苦にならない頃合いを迎えている。でも、それだってそう長くは続かない。だから、元気な子供たちが気の毒でならない…。

力なき正義は無力であり、正義なき力は圧制である。

「不要不急の外出を避けている」から、自粛を要請しながらも仲間うちで毎日おいしいものを並べた食事会をやっていて、それを正されると「どこがいけないんだ」と居直るあの方の昨晩の記者会見だって拝見した。唐突に学校を休みにして、逆転ホームラン打ったつもりが見当違いな三振ゲッツーに終わったから、慌ててまた打席に立ってやり直そうとしたようだけど、今度ばかりは無かったことにはできなかった。下手に出つつもドヤ顔の彼が語るのは「今までなにも考えず、なにもしてきませんでした」ということだった。“思いつき”の根拠もなにも示さない。とっくにすべきだったことや周辺諸国のこれまでの取組みを周回遅れでパクって「どうだ」と並べ立てているだけで、それだって具体策はなにも決まっていない。あげくの果てに、とったこともない「私の責任」を強調し、「勝利のためにみんなでがんばろう」と精神論で締めくくる。あまりの「凄さ」に腰が抜ける。この冗談は笑えない。パスカルはこうも言っている。「恥は一つしかない。すなわち、なんの恥も感じないということだ。

明日も私は電車に乗る

いまだ隠居にたどりついていない我が身、明日の朝も勤務先に向かう。9時に始まる会議に必ず出席するよう怖い顔で厳命されている。学校より通勤電車の方が危ないのではないかと多くの人が口にする。笑えないけど、笑うしかない。さあ、そろそろ部屋を出て散歩にだけは行ってみよう。それにしても大迫傑、成すべきことをきちんと成し遂げたあなたはカッコ良かった。ああ、もう直ぐ隠居の身。今日は3月1日だった。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

東京マラソンを沿道に出ばらず居間で観た件のコメント

  1. 出不精の私ですが、「出るな」と言われると出たくなる性分でもあります。
    マスク姿の少ない自然公園の散歩は、ホッとできる休日でした。

    髙橋秀年

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です