隠居たるもの、世界的隠居文学の金字塔、「エセー」くらいは目を通す。宗教革命で混乱する16世紀フランスで記された人類普遍の思索の書、大きな書店には必ず置いてある古典中の古典。かくいう自分は、昨年の年頭より1年5ヶ月の歳月をかけて、一昨日ようやく読了したところ。ワイド版岩波文庫で全6冊、合計で 2162ページ…。
モンテーニュとの長い闘い
この古典文学との出会いは1984年大学2年の4月にまで遡る。「1年かけて『エセー』をかいつまんで読む」という古典読解カリキュラムの教材だった。他愛のないキッカケであり、「大学生協で運命的に邂逅した」といった類の劇的なものではない。教養のかけらもないふざけたガキでしかなかった当時、16世紀に記された隠居文学を味わうには私はまだまだ幼かった。精髄にかすることすらできるわけもない。しかし、小僧は小僧なりに「何かがあるはずだ、いつかは読みこなしてみせる」と勝手に野望を抱く。だから卒業後、ワイド岩波文庫全六巻が発刊されるやいなや、教科書だった2冊の抄版をうち捨てて1991年の1刷りを買い直したのだ。
真新しい28年前の本
以来、「今度こそ取り組んでみようか」と(一)をなんど取り出したことか。その度に、第一章から先に進まないまま、しばらく放置されて箱に戻される。だから、これだけの歳月を経ているにも関わらず、(二)から(六)の5冊は少しも黄ばんでいない。モンテーニュが最初の隠居宣言をして「エセー」を書き始めたのが38歳、1571年。最後まで書き綴りながら亡くなったのは59歳、1592年。昨年初頭、50代中盤にさしかかり「いい加減に読まないと彼より年上になってしまう」と焦ってようやく重い腰をあげた。そして、最初から勘定したら実に35年越しに読み終えたというわけだ。
全6冊 合計107章 合わせたら2162ページ
えーと、内容はというと…。うーん、冒頭の方はもはや思い出せないな…。「どんなことであれ、囚われすぎてはいけない。それは自身の自由をすら脅かす。誇り高く精神的自由を堅持することが重要事、中庸の美徳を心がけたい。」こんな感じなんじゃないかな…。激動の時代だからこそ、こうしたモンテーニュのバランス感覚は稀有だったのだろう。38歳で隠居宣言してからも、彼は表舞台に何度も引っ張り出される。「現場」を知る人が遠回しに語るサン・バルテルミの虐殺などの歴史的事件や、ギリシャやラテン(ローマ)の文献から盛りだくさんに引用しつつ様々な角度からなされる省察は絢爛だ。
とにもかくにも、これだけの大著を読了して達成感に首まで浸っていた。うすら笑いを浮かべて仏文学者 故 落合太郎氏の解説に至る。「一度読んだくらいでわかるはずがない。少なくとも三度は読め。」てなことが書いてありました……。もうすぐ隠居の身、まだまだ修行は続く。だけど、あと2回か…。とほほ…。