隠居たるもの、馴染みの歌を口ずさむ。ずいぶんと昔のことだ、RCサクセションの「いい事ばかりはありゃしない」という歌を毎日のようにひっそり口ずさんでいた。たまに「あの娘が電話をかけてきた」りしていい事もないわけじゃないんだけど、大体は「金が欲しくて働いて眠るだけ」のままならない日々、なんともやりきれなくて切ない歌だった。下町で吹けば飛ぶような町工場を経営していた当時、理不尽を背負いこまされるのは日常茶飯事で、むしろ理不尽なことが何も起きない一日の方が少なかった。そんな夜、私は「いい事ばかりはありゃしない」をひっそりと口ずさんでいた。そうするとやり場のない心持ちがゆっくりとほぐれたんだ。
「恥知らず」はいけしゃあしゃあと微笑む
庵の近くの江東区の自由民主党広報板を最近に撮影したものである。ご存知だろう、元IR担当副大臣だ。カジノを展開する中国の会社から賄賂をもらったカドで逮捕され、保釈されたものの「裁判で偽証してくれ」と今度は贈賄側を2000万円で買収しようとしたのが明るみになって組織犯罪処罰法違反(証人等買収)の疑いで再逮捕されている。自由民主党はとっくに離党しているにもかかわらず、幹事長の派閥 二階派の特別会員のままだそうだ。ポスターから「自由民主党」のネームは外れても、自由民主党広報板によるといまだに自民党衆議院東京第15選挙区支部長で、またここにポスターがかかっているところをみると、自由民主党は江東区においては離党したはずの彼をこれからも推すということなのだろう。そもそも、組織犯罪処罰法とは「組織犯罪」という法律名からも明らかな通り、「マフィアなど国際的な犯罪集団(つまり反社会的勢力)を摘発」するために制定された法律である。「常に前へ」って、「どの面さげていってやがるんだ」とも思うが、厚顔無恥なこの面をさげてなのだし、考えてみれば、間違いなく次の総理大臣、つまりは自由民主党総裁になるだろうと目されている御仁にしたって、「桜を見る会」で複数の反社会的勢力とツーショット写真を撮影していたことが槍玉にあげられると、「反社会的勢力の定義はない」などとアゴが外れるようなことを平気でうそぶく人なのであった。
白日に晒された「鬱々とした気分」の正体
今年の3月20日、森友学園に関する公文書の改ざんを強要され、心身をむしばまれ自死に至った赤木俊夫さんの手記が週刊文春に掲載されたのを受けて、私は「白日に晒された『鬱々とした気分』の正体」(https://inkyo-soon.com/depressed-air/)について省察した。そこでこう記している。
“森友学園、加計学園、起訴されない安倍総理大臣のお友だちの強姦事件、デタラメだった「入試改革」、こじつけばかりのIR、明らかに違法な「桜を見る会」疑惑、番犬を検察のトップにするための定年延長問題、(新型コロナ禍にも関わらず)小池都知事を含め政治家だけがこだわるオリンピック予定通り開催、すべて同じだ。税金は私物化され仲間内の運転資金と化し、利権と富は彼らの間だけを循環し、ご相伴に預かろうとする者をかしずかせ、検察や警察を従えてやりたい放題に振る舞い、納税者を顧みることは一向にない。脱法行為が露見したところで、言い訳するどころか悪びれることなくすべてをなかったと言い張って、追求する者をニヤニヤと罵倒する始末。あげくに善良な公務員が自死に追い込まれ、内実を知る彼の手記で告発がなされているにも関わらず、態度はいたって「どこ吹く風」。こんな人たちが堂々とのさばっている、これが私たちの頭上に垂れこめている空気だ。”
そこにデタラメな新型コロナ対応、アベノマスク、「うちで踊ろう」、豪雨災害と新型コロナ第2波中になぜ今?の「Go To キャンペーン」が積み重なる。菅官房長官は上記すべてで片棒を担いできた。それどころか、3代目のお坊ちゃんの代わりに「危機管理」と称して汚れ仕事を一手に引き受けていた感すらある。そのまま総理大臣に昇格というわけだ。街道の町を代々アコギに牛耳る古い家についた、腕は立つけど心のない用心棒、黒澤明の時代劇に照らしてみればあの顔つきはそんな風情に思える…。
「誰かを憎んでも 派閥を作っても 頭の上には ただ空があるだけ」
「考えが違うからといって、そこまでひどくいうなんて人間性を疑う」大きな声を張りあげて、今般の安倍退任ドタバタ劇を擁護しているのは、普段は「考えの違う人」を物凄い勢いで罵倒する者たちだ。呆れかえるけれども、論点をずらす彼らの常套手段だ。そもそもここにおいては「考え」が違うことが核心的問題ではない。「正義」と「公正」を著しく蹂躙しているその倫理観こそが問題なのだ。総理大臣に就任した後が怖いのか、テレビ各局は菅官房長官が総裁選に立候補した途端に節操もなくあからさまに尻尾を振り出した。それに合わせていつしか「歓迎ムード」の世論がでっち上がる。それが気持ち悪くてここしばらくテレビを見ていない。「鬱々とした気分」は当分のこと続きそうだ。
清志郎が生きていたらどんな歌を作っただろう。バブルに浮かれてどうでもいい曲ばかりが巷に流れていた1988年、それに苛立った彼は反戦、反核、反原発をテーマにしたアルバム、あえて全曲洋楽カバー(歌詞は原曲のニュアンスに合わせたオリジナル)で構成した『COVERS』を作る。ところが、同作の発売元 東芝EMIに親会社の原発機器メーカーである東芝から圧力がかかって、広島の平和記念日に合わせて設定された8月6日の発売日直前に発売が中止、東芝EMIが「素晴らしすぎて発売できません」というお詫びの新聞広告を出して大騒ぎになる。あげく急遽レコード会社をKittyに変えて今作は終戦記念日の8月15日に発表された。清志郎がこの世を去ったのは11年前だが、苛立っているのなら苛立っている曲をそのまま作る人だった。疑問に思うことを疑問に思うと詞にする人だった。「変えよう」ではなく「考えよう」と歌う人だった。ついこの間のこと東芝は倒産寸前になった一方で、福島第一原発の事故があっても原発推進の方針は変わらない(総理大臣が替わっても変わる見込はさらさらないだろう)。32年前にリリースされたこの「COVERS」は、いま聴いてこそ美しい。あくまで私見ではあるが、ジョン・レノン「イマジン」のカバーなんか原曲の数倍も素晴らしい。そういえば、「いい事ばかりはありゃしない」はこう締めくくられる。「最終電車でこの町についた 背中まるめて帰り道 何も変わっちゃいないことに気がついて 坂の途中で立ち止まる 金が欲しくて働いて眠るだけ」ああ、もうすぐ隠居の身。清志郎、今こそあなたと歌いたい。