隠居たるもの、身体の始末に気を配る。久しぶりに体重計に乗ってみた。ベスト体重からすると2.3kgも重い。そりゃあどうにもズボンのウェストがきつくなるはずだ。この数ヶ月というもの、運動量が足りていない。各地で豪雨災害が生じた長梅雨で、その梅雨が明けたと思えばいきなりあの酷暑、ようやく外に出られる気温に落ち着いたかとほっとしたのも束の間、1日通して晴れる日なぞ滅多にない「秋の長雨」に支配された。やっとのことで空から雲がどいてくれた先の週末、気持ちのいい秋晴れにすかすがしく身体を伸ばす。そしたら、つれあいが挑発するのだ。「ハードワークに出かけてみようじゃないか。」
牧伸二が突然に降りてきたあの初夏の日
小名木川の遊歩道を東に向かっている。この遊歩道、いたるところに釣り人がいる。気持ちのいい秋晴れの日曜日である、当然のことにいつもより釣り人も多く、のんびりと楽しそうだ。そういえば、5月初旬に遡る初夏のこと、やはりここを歩いていて突然に牧伸二の啓司に打たれたのだっけ。(参照:「あゝ やんなちゃった、牧伸二が突然のこと私に降りてきた」https://inkyo-soon.com/anana-yannattyatta/ そこでも「小名木川は江東区北部を東西一直線に横断する全長約5kmの運河である。ともに運河の横十間川、大横川と交差しつつ、荒川の支流である旧中川と隅田川を結んでいる。江戸の世の物流の要で、江戸城に直結するよう徳川家康の命で建造された。隅田川にほど近い西に位置する我が庵から、この日は一気に東を目指す。」と著していた。)とりあえず行けるとこまでと足を東に向けたあの日と違って、この日は中川との合流点である中川船番所、つまり明確に東のどんつきを目指したのである。それは往復すると10kmほどになる行程だ。
歩けども、歩けども
いまだ隠居にたどり着いていない我が身がいまだ在職中だった3月、安倍晋三前首相が唐突に思いついちゃって、なぜか学校だけを休みにしたことからちぐはぐな「新型コロナ期」が始まる。幸いに職場が遠くはなかった私は、それをきっかけに徒歩通勤を始める。その結果、3月の全歩行距離(徒歩通勤やウォーキングなどの意識的な歩行活動のみ、日常生活や仕事のための歩行は除外)は149.5km。在宅勤務に完全に移行した4月、体力を維持しなければとよりムキになって123km、そのまま5月も121.9km、梅雨空となった6月でも82.1km、とにかく歩いた。それが、雨が激しくなってきた7月になると65km、酷暑の8月にはなんと33.5km、酷暑と秋の長雨に移行した9月には悲しいかなたった23km…。ここまで鈍(なま)らせてしまうと、ついつい腰を怪しくしたり右上腕筋が軽く肉離れを起こしたりして、余計に身体が動かせなくなる。それらの不具合を騙し騙し、帳尻を合わせながら白馬への荷物搬入を終え、ようやく癒えてきたところにやっとこの秋晴れであった。風もないサニーサンデー、日が落ちるのも早くなったから早々に出発しよう。昨秋に旅した瀬戸内国際芸術祭で購入したサコッシュにつれあいがにぎったおにぎりと水筒を入れ、川に下りて東を目指す。
日曜日の川辺
例えば「男はつらいよ」の冒頭主題歌の江戸川土手のシーンが好きだ。中川船番所を背に鮭が入ったおにぎりを頬張り、小名木川から中川の日曜日の情景を目にして、それがなぜだかわかった気がした。静かに釣りをする人、ゆっくりと単独でカヤックを漕艇する人、午後から練習が始まるのか静かに集団でカヌーの準備をする方々、リモコンヨットの大会レースに興じる一団、私たち同様ピクニックのお弁当を囲むカップルや家族もしくはおじさんの友だち同士、各々が休日を穏やかに享受している。明日の月曜日には仕事がまた始まるのだけれど、その前日のこの明るい時間に、そこにいる誰もがそれがなにかは各々わからないままに、それでもなにがしか大切なものを取り戻し確かめているかのようだ。この風情が私は好きなのである。だから私は「川っ子」とうそぶくのだろう。
全歩行距離は12kmに及んだ
庵には直接に帰らず、深川江戸資料館通りの青葉堂さんが催す土鍋フェアを見物しに遠回りしたり(散種荘用にひとつ買い求めた)、釣りもしないのに釣具屋hageに寄り道して友だちとコーヒーを飲んだり、全歩行距離はなんと12kmに及んだ。身体の目が醒めた。なにかが起きたわけでもないけれど、明るいうちに始末のついた秋晴れのなんとも素敵な日曜日だった。幸いで「ありがたいこと」である。一方では、派遣切りされいくつもの日雇い仕事を掛け持ちし、休日もなく働いている方々、なにがしか大切なものを取り戻し確かめる時間もなく、この日も働いている方々がたくさんいらっしゃるのだ。それを「自助」の一語で済ませて良いのだろうか、疑問に思う。どちらにしろだ。ああ、もうすぐ隠居の身。秋の日はつるべ落としなのである。