隠居たるもの、巡り合わせに抜け目ない。1月12日、朝8時を過ぎた頃だった。つれあいのiPhoneに電話がかかる。「はて、誰であろう?」メモリされていない番号かららしく、つれあいは怪訝な顔をする。とんでもなく早朝というわけではないが、知らない人からの電話だとしたら微妙に時間が早い。恐る恐る出てみたその先から、テーブルを挟んだ私にも聞こえるような元気な声が発せられた。「連絡もらった白馬ファームの武田です」私たちが社長のエネルギーの渦に巻き込まれた瞬間だった。
「え?え?車ないの?」
薪をどうするべきか頭を抱えていた。白馬ファーム株式会社のホームページ(https://www.hakubafarm.com、薪のパンフレットPDF https://www.hakubafarm.com/panf.pdf)を見つけ、3連休の中日である10日にメールで問い合わせをしていた。ホームページに載る武田昭彦社長のご尊顔を拝見して、「話好きのおっちゃんって感じだね」などと話していた。その武田社長が、連休が明けた早々に電話をかけてくださったのだ。
「要望に応えられる薪、うちにはあるよ。いずれにしろ最初は工房まで来てくれないかな。太さとかさ、長さとかさ、どんな木からどんな風に作ってるのか、そんなとこ見て確認して欲しいんだよな。納めたのはいいけど、これは違うとなったらお互い困るものね。え?え?車ないの!」
武田社長は驚愕されていた。地元の方からすれば当然のこと、車なしで白馬で暮らすなど想像したこともないのだろう。「これは私たちの挑戦です」と返すと、「しょうがない、今日、迎えに行くよ!」とのこと。電話を切ってから2時間後、社長と待ち合わせた場所に向かって雪道を用心して歩いていると、後ろから軽自動車がそろそろと近づいてくる。歩いているであろう私たちを探してくれていたようだ。こうして、車で20分ほどかかる栂池の武田社長の工房に、私たちは拉致されるがごとく連れていかれた。
このままだったら今月で薪は底を突く
10月の省察「薪ストーブに火を入れる」(https://inkyo-soon.com/put-a-fire-in-the-wood-stove/)にあるように、薪ストーブに関してはファイアーワールド永和さんにおんぶに抱っこでお世話になった。うちの小さな薪ストーブに入る25センチの短い薪を、10箱250キロ、わざわざ東京の墨田区から持ってこれるだけ持ってきてくれた。これだけあればひと冬は優に過ごせるだろうとのことだった。それが、今のペースだと今月いっぱいできれいさっぱり底を突く。永和さんは、私たちの「外で遊ぶ時間」と「家にこもる時間」を読み間違えたのだろう。短い薪はなかなか売っていない。通信販売もあるにはあるが、発注したいのは150キロ、送料がとんでもないことになる。だから頭を抱えていた。武田社長は「うちにあるから任せろ」とおっしゃる。寒い冬ともなると売り切れることもあると聞く。「工房を見ればわかる。うちは1年通じていつだって大丈夫」とおっしゃる。
武田社長はすごい人だった
「ここはさ、昔リフトを作る工場だったんだ。だから天井にクレーンとかあるだろ?スキー人口も減っちゃってさ、メンテナンスはあるんだろうけど、もう新しいリフトなんかどこも作らない。売りに出たから、野菜の栽培工場とかにできないかと思って買ったんだよ。そんな頃に知り合いがさ、「薪はいいぞ」って言うんだ。うちは主には米を作ってんだけど、冬に仕事がないだろ?この広い倉庫だったら貯木するスペースもあるし、じっくり乾燥させるスペースもある。焚き火とかソロキャンプとかサウナとか流行ってて確かに需要がある。だからやってみることしたんだ。なんだか面白いことになってるよ。ほら、この長さでいいだろ?」
社長が指し示した薪は、私たちがイメージしていたものからすると短すぎる。しかしそんな逡巡を武田社長は意に介さない。「ストーブに入って燃えればいいんだから、かえって短いほうがどんどん放り込める」とおっしゃる。「まあ、コーヒーでも飲んでゆっくり話そう」と促される。豪快に薪がくべられている温かい休憩スペース、社長の奥様も加わって、初対面とも思えないほどに私たちは話に花を咲かせる。肝心の薪のことはあまり話さなかったが…。
「俺はサラリーマンだったんだ。それを53歳で辞めてさ、奥さんにも手伝ってもらって、生まれ育った白馬で農業を始めた。最初の1年は体が慣れなくて使いもんにならなくてな。1日中ずっと陽にあたってるだろ?ぐったりしちゃってどうにもならないんだよ。ああ、前はね、JAで畜産の仕事をしてたの。だから東京を含めてあちこち行ったよ。白馬ポークって知ってる?あれ、俺が働きかけて作ったんだ。今でこそ名物になってるけどな、昔は豚を飼っている家なんかなかったんだよ。ああ、スノーピークのレストラン「雪峰」に行ったことあるの?ああいう店は今まで白馬になかった。あそこの野菜はうちのなんだよ。特にキャベツの評判がいいな。」
武田社長は白馬の偉人だったのである。
参照:「はくばの豚を一升瓶のワインで」https://inkyo-soon.com/a-isshobin-of-wine/ 「浅見さんの卵とレストラン『雪峰』」https://inkyo-soon.com/sanshuso-dining-table-2/
「アスパラガスなんかいいよ」
「入れ物はこれでいいかな?次に納めに行った時に空になったやつを回収するから、一番簡単でしょ」150キロの薪はとっくに用意されていた。料金もとても安い。送料込みだからといって、薪とともに私たちも散種荘に送り届けてくれた。そうそう「季節労働者として働けませんかね」などと少しおどけて社長に尋ねた時だ。社長はこう答えた。「こういう人がいてね、農地を借りてアスパラガスを栽培することを勧めたんだよ。アスパラガスは確実に売り上げが立つ。主には春から始めて夏の前に収穫が終わるしな」
想定になかった短い薪は、投入量を意のままにできることにつながって、綺麗に炎をあげる。社長のおっしゃる通りだった。お好きなようだったし、流行り病が落ち着いたら一杯おつきあいさせていただきたい。好ましくお節介で、頼りになるデッカい人である。私はその証拠だって目にしている。ああ、もうすぐ隠居の身。社長の「社会の窓」は全開だった。