隠居たるもの、徒然なるまま思索を巡らす夢を見る。喧騒から離れた静謐な環境ならなおのこと望ましい。ヘンリー・デイビッド・ソロー「ウォールデン 森の生活」が読み継がれるのも、いつの世にもそうした憧れを持つ者がいるからだろう。もちろん、無産者の息子である私に、あり余る財力が伴っているわけなどなく、その実現が容易いはずは当然ない。ここで自問する。
私は道楽者なのか?
例えば車だ。年老いた両親を移動させるために購入したが、所有したのはその1台きり。二人を看取った後に潔く手放した。さっぱりした。綺麗なお姉さんがいる夜の店に行きたがるか?そんなこともあるにはあったが、今やすっかり枯淡の境地だ。音楽についてはどうだ?筋金入りのリスナーと自負するものの、演奏者でないから高価な楽器を欲しがることもない。年に数十冊の本を購入し読んだとしても、それがいかほどのことか。ゴルフもやらない。ギャンブルは一切しない。高級レストランより居酒屋を好む。そして「それは確かに」と残るのが、
普請道楽だ。そしてスノーボードである。
私以上の年齢で、スノーボードが私より上手な男性はたくさんいる。つれあい以上の年齢で、より上手な女性もたくさんいる。しかし、ふたり合わせて110歳というカテゴリーを勝手に作ったら、総合力で私たち以上に上手なタッグはそうそういない。私たちはスノーボーダーなのだ。だから「徒然なるままに思索を巡らせ、夏は涼しく植物を愛で、冬はウォーキングに行くがごとくゲレンデに足を運び、そして薪をくべながら友人たちと穏やかにカッコよく語らう」そんな山の家が、脚をバタバタさせるほどに欲しい。執念深く妄想してたら、ぴったりの候補地を見つけてしまった。
白馬で「山の家プロジェクト」
山と素晴らしいゲレンデに囲まれている。不動産はなんとかまだ安い。古い村だが外国人が入ってきて多様性が生まれつつある。何回か通って顔見知りができたし、美味しい店も見つけた。そこで暮らす人たちとも楽しくやっていけそうだ。
左上の「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしていただきたい。プロジェクトは立ち上げないかぎり動かない。飛んだホーム画面の背景写真は候補地である白馬の原野だ。このブログは、いわば山の家プロジェクトの顛末記でもある。青地の「What am I trying to be?」もクリックできる。「どうだろう、ああしたい」などと喧々諤々しながら楽しく過ごしている。だけど「それでいくら?」となると伏し目がち、決着はまだまだ先だ…。
そのうち知恵がひょっこり顔を出すだろう。ハードルは高ければ高いほど、下をくぐるのは簡単だ。粗末な小屋でしかなかろうが、森の中で集いたい。ああ、もうすぐ隠居の身。ニール・ヤングのレコードなぞをかけながら、乙にかまえてみようじゃないか。