隠居たるもの、若い衆に耳を傾ける。彼は25歳くらいになろうか。昨日2021年6月19日、大学の後輩にあたる若者が我が庵を訪ねてきた。私たちが属する大学の同窓会にまつわる話をしようと、ひと月前からけっこうな要職をおおせつかった私が呼び出したのだ。うっかり不用心になってはいけないから、食事を伴うこともない午前10時に彼はやって来た。「いずれ同窓会なんてえのは君たちのものになるのだし、結果『実は同窓会なんかいらないんじゃない?』だっていいんだけども、オヤジたちの顔色を気にせず、自分たちに望ましいものを考えながら、君たちなりの集まり方を模索してもらいたいのだよ」と議論したかったのだ。話は私の予期しない方向に進んだ。

新型コロナ禍で社会人となった彼らの環境は思いの外に厳しい

彼は昨春に大学を卒業し、名前の通った大きな会社に就職していた。社会人となったらいきなり新型コロナ禍でちょっと戸惑っている、とは聞いていた。世間話よろしく「勤務体系は今どうなっているんだい?」と質問して少し驚く。「この1年ちょっとで出社したのは合計6回です。あとはずっとオンラインで…。まあ、在宅で仕事はできるんですけど、1週間に一回くらいは出社できるといいんですが…」

そして「自分たちなりの集まり方を模索する」ことの必要性を理解はしつつも、すぐには取りかかれないという。理由はこうだ。難しい環境下で社会人となった同年代の友人たちはみな、仕事を覚えるのに大変な思いをしているだろうし、だけど気晴らしに他人と気軽に酒を飲んだりもできないから愚痴をこぼしあうこともできないし、(オンライン飲み会ではやはりニュアンスが通じないからやらなくなったし)、「どうせ会えないから」と思ううちに連絡もあんまり取り合わなくなって各々がどんな状況になってるかもよくわかんなくなっちゃったし、そうなるとうっかり無闇な打診もできないし…。

確かにみんなで食事をしたのは16ヶ月も前、卒業前の2月のことになる。ワイドショーに出てくる無法者たちと違って、ちゃんとしているほとんどの若者はじっと我慢しているのだ。「焦らずフィジカルに顔を合わせられるようになってからじっくり進めさせてください」との返答に、おじさんは当然「任せるよ」と相槌を打った。

「私たちはお互いが酒飲みだから助かっているが」

つれあいとこのところに確認しあっていることがある。「これを忘れちゃあいけないが、私たちはお互いに酒を飲み一緒に晩酌をするからやり過ごしていられる。幸いなこと私はちょうどモラトリアム期間だったし、(これからはわからないにしたって)今のところうちの仕事に大きな影響は出ていない。一日を終えて二人で言いたいこと言ってゲラゲラ笑い合っていれば、溜飲も下がるというものだ。しかし、そろって晩酌できない環境にある家族は多いし、そもそも一人暮らしだと相手もいない。狭い部屋で暮らす若いやつらなんか気の毒なばかりだ。なのに店はやってないは酒は出ないわ、止まり木をなくした人たちの心中は察してあまりある…」実際、この新型コロナ禍でうつ病の発症が倍増しているそうだ。特に若い世代で深刻化しているという。(読売新聞「コロナで日本人の「うつ」倍増、米も3・6倍…若い世代や失業者ら深刻化」よりhttps://www.yomiuri.co.jp/medical/20210619-OYT1T50169/

私は休憩時間に「つげ義春日記」を読んでいるが

何事も経験だ。新しく始めたアルバイト、金曜日は夜にシフトを入れてみた。緊急事態宣言最終日たる日曜日の今日2021年6月20日の昼にもシフトを入れてみた。当初「おじさんなんかオレっち一人しかいねえじゃないか」と恥ずかしがっていたが、時間帯や曜日を変えてみると、若者に混じって御同輩をちらほら見かけたりするし、それ以上に若者にもいろいろなタイプの子がいることがわかる。髪を一部だけ奇抜な色にしている子、斜に構えて「近寄るな」オーラを出す子、休憩のたびに机に突っ伏して寝ている子…。ただ共通していることもある。スポットバイトだしそりゃあそうなのだろうが、誰も話をしない。大概の子はスマホを眺めて休憩時間を過ごしている。その光景が少し痛々しくて、私は今日から「つげ義春日記」を持っていくことにした。ペーソスを漂わせながら尽きぬ人生の悩みに向き合う脱力した日々、それを短く断片的に集積している本で気を紛らわす。そして、ときおり中学生の突拍子もない珍回答を思い出してほくそ笑む。

「東京五輪の開会式 観客2万人を上限に検討」

友人がFBで日テレのニュース「東京五輪の開会式 観客2万人を上限に検討」を紹介し、「あほくさ」と毒づいていた。記事によると、大会組織員会などは開会式のみ観客2万人を上限にしようと調整しているとのことだった。「これまでの計画では、一般へのチケット販売で9300人、スポンサーなど大会関係者への販売で1万0500人、IOCや国会議員といったセレモニー関係者で7300人の、合わせて2万7000人あまりとなっていました」ところを「大会関係者を1万0500人から9000人に、セレモニー関係者を7300人から6000人に絞」り、チケット販売を抽選にするなどして一所懸命2万人に減らすんだそうだ(1万人ではなくその倍の2万人にだ)。「孤独」のフレーバーが散りばめられた世情などお構いなく「こちらのパーティーは予定通り開催する。パーティーの招待状はすでに発送済み。そしてパーティーの参加者を減らすことはしない。よって下々の者および部外者がガタガタ騒ぐな」そういうことだろう。あまりの腐臭に絶句する。

昨日、若い後輩は今後の独自の企画例としてポツリとこんな案を言い置いて帰って行った。「ただ集まって飲もうと声をかけただけでは多くは集まらないと思うんです。学生をダシに使うというのもなんですが『後輩の就職相談に乗ってあげよう』と『就職相談会』みたいなもんが企画できれば、それならみんな来るんじゃないかな」おじさんは感心したのである。自分たちだけのパーティーは面倒くさがるくせに、誰かの役に立つなら重い腰を上げるというのだ。誇らしい。奇しくもこの日は、密にならないよう参列をはばかった、90歳で逝去された私たちの偉大な先輩のご葬儀の日であった。おじさんは君たちを「孤立」させたりはしない。今度、ビールを奢ろう。ああ、もうすぐ隠居の身。いくらか暑苦しいことは容赦したまえ。

参照:「東京五輪の開会式 観客2万人を上限に検討」https://www.news24.jp/sp/articles/2021/06/20/07892497.html?fbclid=IwAR06R33uE32aAG27DYNzrhuz4dqn_41qCCBY2hMake87yXfEBWHtL8F2IXI

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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