隠居たるもの、労働の後にはやっぱりビール。2021年6月16日水曜日の午前10時半ごろ、私はスポーツジムで大腿四頭筋を鍛えながら、流れている日テレのワイドショー「スッキリ」を漫然とみていた。「スッキりす」が「今日の運勢」を発表する。それによると今日の1位は5月生まれ、「得意分野で力を発揮して大成功の予感」だそうだ。私は5月生まれ、こいつはなんとも縁起がいい。前段で予告していた通り、この日の午後から初めての仕事に出かけることになっていた。大学生のとき以来だからアルバイトなんて34年ぶり。昨年7月に「定年退職」した前勤務先に転職したのは2002年4月、そこから数えたって19年と2ヶ月半になる。私はドキドキしていたのだ。

やっぱり働いたあとのビールは美味い

時代は変わる。今回の採用に際しては、応募・試験・事前研修、諸々すべてがインターネットで完結していた。だから、新しい「職場」となる都心のビルに足を運ぶのも今回が初めてだった。新しい「職場」は以前の「職場」の「隣町」だ。試験の結果、私は中学生の「国語」班に配属されていた。テストの採点が仕事だ。集まっているアルバイトの面々は「ついこの間まで学生」って感じでみな若く「国語」班だからか女性が多い。「中年男」もしくは「初老にさしかかっている男」なんて私しかいない。(この状況をつれあいは「おじ一点」と面白がった。)とにもかくにもシフトを入れた午後いっぱい、感心するほど達筆な子・解答欄いっぱいやんちゃに字が弾む子・限界に挑戦しているかのように薄い字を書く子・同じく限界に挑戦しているかのように微細な字で解答する老眼には厳しい子、種々雑多な答案に目を通す。終わる頃にはヘトヘト、外に出ると空はなんとか大丈夫そうだったから、緊張をほぐすために歩いて帰ることにした。うちに帰ればビールが飲める。調子に乗って先週ちょっと飲み過ぎてしまったので、今週に入り「ビールは初出勤の日までお預け」ということにしていた。

「勤務中に鼻唄を歌わないように」

つれあいが数日ぶりのビールに合わせたメニューを組んでいたこともあって、とにかくビールが美味い。塩をまぶして蒸し焼きにした枝豆、昨晩のカレイの煮付けの残り汁でさらに煮詰めた豆腐(食べきれずに残してあったカレイの卵つき)、季節がらさっぱり爽やかなそら豆と鶏肉の揚げ春巻き、背景には熱戦が連日に繰り広げられているサッカーヨーロッパ選手権・グループFのフランス対ドイツ戦。友人の昔のエピソードも酒の肴だ。「ただただ淡々と採点しているだろ?すると集中した時が危ないんだ。気をつけないと鼻唄を歌ってしまいそうになる。ほら、あいつさ、新卒で就職してまず簡単な仕事を任されそれをしてたらさ、隅に呼び出されて『仕事中に鼻唄を歌ってはいけません』って注意されて『あれは社会の洗礼だった。仕事中に鼻唄を歌ってはいけないということを生まれて初めて知った』って言ってたじゃないか(二人はここで涙を流して笑う)。ヨーロッパ選手権のハーフタイムに必ずかかるTikTokのCM、あれがニューオーダーの『ブルーマンデー』なのがいけないんだ。耳についちゃって…」

アルバイト初出勤に先立つ6月14日の月曜日、私はその日からつれあいの会社でも仕事らしい仕事を始めていた。そこで早速にとりかかった事務仕事の最中に、社長から声をかけられ注意されていたのだ。「仕事中に鼻唄を歌ってはいけません」と…。同日、私はAmazonを通してロンドンのお店に「ブルーマンデー」の12インチシングルレコードを密かに発注しておいた。

「WORKING CLASS HERO」

私が暮らす庵からすれば、新しい「職場」は以前の「職場」の少し先にある。馴染んだ同じ道が「通勤経路」で、そこを歩いて帰るのもほぼ一年ぶりだった。この間にいくつかの飲食店がなくなっている。中古のスポーツ自転車屋さんはワインショップに変わっていた。その道々、徒然に考える。ブラブラしていた割にすぐにアルバイトも見つかりまったくもって幸い。しかし、この仕事はひと月ほどの短期のもので場合によっては契約延長もあるとのことだが、今の段階でオファーがあるかはわからないし、あったとしてこちらが受けるとも限らない。

なんていうかな、与えられている「時間」をどう配分して何に使うか、その「主導権」を手放したくない。煽られて乗せられて、気づいたら主導権はすでに手元からなくなっていた、そんなことは往々にしてある。(もしかしたら、手元にあったことなんか一度たりとてなかったのかもしれないが…)とりあえず、CMから刷り込まれているからって「ブルーマンデー」をつい鼻唄で歌わないように気をつける。とにかく、「東京の7月下旬から8月上旬はスポーツに最適な温暖な季節」とした東京オリンピック招致委員会のIOCへのプレゼンとは裏腹な、殺人的に過酷な東京の夏から逃げ出せるようスポットバイトをがんばってみる。ああ、もうすぐ隠居の身。乗せられるのは「スッキりす」にだけでいいだろう。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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