隠居たるもの、散種荘で友を待つ。一昨日2021年7月28日午前11時40分、私はつれあいと白馬駅の改札に立っていた。新宿午前8時発 あずさ5号に友人2人が乗っている。昨年9月、彼女たちは私の「定年退職」を祝うため我が庵に駆けつけてくれた。その時、目前だったとはいえまだ散種荘は完成していなかった。「その暁には遊びに来て」「ぜひ行こうじゃないの」と「近い将来」の約束を交わすばかりだった。しかし、新型コロナが収束する見通しは一向に立たず、その約束が果たされることはなかった。ご高齢のお母さんと一緒に暮らしている彼女たちである、無闇な行動をとるわけにはいかず身動きが取れない。この度、お母さんそれぞれのワクチン接種2回を終え、ようやく満を持したというわけだ。そもそも彼女たちと顔を合わせるのも昨年9月以来のことである。
マスクを二重にかけたきれいどころが白馬駅に降り立つ
「東京の新型コロナ新規感染者が1日に3,000人を超えている緊急事態宣言下に、いったい何をやっているのか」と非難される方もおられよう。ごもっともだからそれは甘んじて受けるが、いささかなりとも弁解はさせていただきたい。私たちはお互いを「非常識な人間ではない」と信頼している。つまり「感染してもおかしくない日常」を送っていないことを知っている。それに酒類提供に踏み切った東京のごった返す飲食店で会おうとしているわけではなく、4連休も終えた人影まばらな白馬で邂逅しようというのだし、それぞれの都合を何ヶ月も前から見計らってきたのだ。だからマスクを二重にかけるなど移動中のリスクに細心の注意を払うことにして、「アルマゲドンが起きないかぎり」私たちなりの「バブル方式」で予定通り白馬で再会することにした。マスクを二重にかけた彼女たちが改札の向こうで手を振っている。
駅近くで昼食をとり共に買い物などして彼女たちを散種荘に迎える。陽射しがいくらか弱くなった午後3時30分ころ、散種荘にほど近い平川を4人で散策してみる。少し離れたところで白人男性と日本人女性のカップル、そして彼らの幼い子供2人が水着姿で川遊びをしていた。せいぜい膝下までの浅い川に流れる水がとても冷たい。私たちも年甲斐もなくはしゃいだ。夏休みのスタートである。
ヒグラシの声を聴きながらウッドデッキでコロナビールを飲む
「ビールを送っといたから」よってたかって飲むことを気にかけて手配してくれていた。平川から帰宅すると間も無くして宅急便が届いた。「ライトで何本飲んでも楽だから」とコロナビールにしたそうだ。バケツに冷たい水をはって冷やし、かわりばんこに風呂に入る。そのうちヒグラシが鳴き始める。心持ちのいい風が吹くのでそれぞれが2本目に手を出す。するとヒグラシがすぐそばの木に移ってきて、私たちに共鳴して涼しげな声を張り上げる。ウッドデッキはこうしたときに持てる力を発揮する。きれいどころたちは自分たちを「晴れ女」だと自讃する。確かに台風は予想された進路を変えたし、変わりやすい山の天気だというのにこの滞在中、彼女たちが屋外にいるときは雨が降ることもなかった。昨日7月29日の夜も、やはりコロナビール片手にウッドデッキで談笑した。考えてみれば、満点の星空を見上げながらここでビールを飲むのは初めてのことだった。
きれいどころと白馬五竜高山植物園に足を運ぶ
7月29日、植物好きの彼女たちを白馬五竜高山植物園に案内することにしていた。天気予報がコロコロ変わり、レンタカーを走らせた途端に雨が降り出しどうしたものかと不安を抱えていたが、「晴れ女」の力技は凄まじく、ゴンドラに揺られて標高1515メートルの植物園に着くころには雨が上がっていた。獰猛な陽射しに苛まれることもなく、しっとり雲が漂う高山植物園はかえって絶好のコンディションだったかもしれない。こちらでは栂池自然園にない花が今を盛りと咲いている。時期を変えてこれで3回目の訪問だが、ヒマラヤの青いケシやコマクサなど、この7月後半がどうもこの植物園の「見頃」といってよさそうだ。
二段ベッドに就寝した初の来客
考えてみれば、来客があることを想定して二段ベッドをしつらえた散種荘であるが、新型コロナ禍、今までに宿泊を伴う来客といえばメロン坊や御一行しかなく、当時1歳と2ヶ月でことのほか自由気ままに二足歩行を楽しんでいた姪孫を2階寝室の二段ベッドに寝かせるのはおそろしくて、わざわざ1階にマットレスを運んだりしたから、彼女たちが2階の寝室のこの二段ベッドで私たち夫婦と一緒に就寝する初めてのお客さんとなった。そして一晩は連れ立って温泉に行き、滞在中7度の食事のうち3回はゆったりしていることをよく知っているいつもの店で外食をした。驚くことに、その店の中にいるときだけザッと雨が降って、店を出ようとするころにあがったりもした。「脅し雨(おどしあめ)ですねえ」と馴染みの「一成」の大将がおっしゃっていたが、なるほど素敵な言葉だと感心した。
「晴れ女」たちは午後2時20分にタクシーに乗った
きれいどころは午後2時20分、荷物をまとめ、散種荘からタクシーに乗って八方バスターミナルに向かった。ゆっくり起きた今日は近くをウロウロ散歩し、無印良品のレトルトカレーで昼食を済ませ、せっかくだからとコロナビールを飲んだ。そしてタクシーから手を振る彼女たちを送り出した。家に戻り、拡張機能を発揮させてワイドにしていたダイニングテーブルを元のサイズに戻す。一昨日の朝まで何ひとつ不自由を感じていなかったのに、なにやら小さくなったように思える。それもおそらく今日のところまで、明日の朝になればこれまた何事もなかったようにこのテーブルで目玉焼きを食べているだろう。これから散種荘はぼちぼちと来客を迎えるに違いない。今は午後5時を回ったあたり、そろそろ彼女たちが長野駅から新幹線に乗るころだ。ああ、もうすぐ隠居の身。白馬では土砂降りの雨が降り始めた。
参照:「きれいどころに定年退職をあらためて祝福される」https://inkyo-soon.com/blessed-graduation/