隠居たるもの、雪に埋もれて精を出す。「緊急事態宣言」が「発出」された翌日の1月8日金曜日、東京駅の23番線で、午前9時4分発の長野新幹線「あさま605号」を待っていた。日本海側から北日本にかけて襲来しまたも大雪をもたらしている寒波の影響で、上越新幹線は水上より北への運転を見合わせていた。川端康成が「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と書き出した、その「長いトンネル」の手前で新幹線は立ち往生、「雪国」までは届かない。私たちが待つ長野新幹線はというと、同じ線路を使う北陸新幹線の影響でいくらかの遅れは出ていたが、ほぼダイヤ通りに運転されていた。峻険な北アルプスに守られた白馬に向かう。

雪は白馬に深々と降る

混雑を避けるべく平日に予約した新幹線はガラガラで、9号車には7人しか乗っていなかった。長野駅からバスに乗り白馬駅で降りる。ここから新宿行きの「あずさ46号」に乗って白馬を後にしたのは10日前のことだ。明らかに雪がどっさり多くなっている。大雪というほどではないが、この日も深々と雪が降る。いつものように食料の買い物を済ませ散種荘におもむく。到着日を知らせておけば管理事務所が道から玄関までの雪かきをして通路を確保してくれる、このサービスは本当にありがたい。通路を通って体感する積雪量は、膝より少し上だった10日前に比べて順調に伸び、もう少しで胸という高さになっていた。

近所の中古レコードショップで手に入れたソウルミュージックを

この10日間の間にどれくらいの雪が降ったのか、同じ場所の写真を比較すれば一目瞭然。上の写真、到着直後に撮影したウッドデッキの様子である。屋根のあるテラスまで見事に雪が吹き込んでいる。さて、10日ほど前の写真は下である。無防備にテラスに出しっぱなしにしていたサンダルは、端から端まで雪に包まれ、つま先部には氷となったものがはりついている。なるほど、いずれにしろ春まで履けそうにない。

深々と雪は降り続いている。通水や給湯は大丈夫、玄関からの通路は確保されている。今日のところはウッドデッキの雪かきをいくらか済ませ、窓の開閉を加えて確保しておけばとりあえずは事足りる。午後3時までに一段落、ストーブに薪をくべ、家を暖めながらコーヒーを飲み、近所のアカルレコーズ(参照:「ソウルミュージックを近所の中古レコードショップで」https://inkyo-soon.com/soul-music-records-at-a-neighborhood-store/)で見つけ、ジャケットに一目惚れして購入したロバータ・フラックのセカンドアルバム「Chapter Two」(1970年発表)、東京から持って来たこのレコードをかける。これがどうにもハマる。彼女の1972年の大ヒット曲「Killing Me Softly with His Song」はネスカフェのCMに使われていたっけ。その日はそのまま呑気にまったり過ごした。日が暮れた後も、そのまま雪は深々と降り続けていた。

スノーボードに出かけようと玄関を開けて仰天する

翌1月9日は一応は3連休の初日だ。ようやく「Go To キャンペーン」が中断となり、さらに1都3県に「緊急事態宣言」が「発出」された状況下とはいえ、しばらくぶりに雪に恵まれたスキー場の人出がどうなるかは予測がつかない。白馬は関西や名古屋からの客も多い。オーソドックスに考えると、それ以前以後の時間は「移動」に充てられるから、ゲレンデが混むのは初日9日の昼から最終日11日の昼までだ。9日の午前なら天気予報も悪くない。実際に雪も小降りになっている。「よし、午前中だけ滑る」と計画し、9時過ぎた頃のシャトルバスに乗るべく準備万端、意気揚々と玄関を開けた。仰天した。雪国は甘くない…。整地されていたはずの玄関アプローチに、膝の高さになろうか、新しい雪がたっぷりと積もっている。外に出られない…。積雪量自体は肩くらいになっていた。

シャトルバスを1本あとの10時過ぎのものにし、それまで雪かきに取り組む。私は玄関アプローチ、つれあいは水道バルブから給湯器にいたるライフライン回廊。常時ここで暮らしておられる隣家の奥様と話す機会を得たが、「冬はねえ、毎日のことだから」と微笑まれていた。勉強になりました。

2時間35分

そういえば、RCサクセションの名盤「初期のRCサクセション」の中に「2時間35分」という曲がある。この日の私たちのゲレンデ滞在時間はぴったり2時間35分。シャトルバスを1本遅らせたけど、帰りのバスは予定通りのものに飛び乗った。これくらいでちょうどいいのかもしれない。天気予報通り、私たちがそこにいた時だけ晴れたし、オーストラリアや中国からのインバウンドさんもほぼおらず、とても空いていた。気持ちよく滑り、満ち足りた心持ちを抱えて、「昼ごはんは何にする?」などと軽い応酬を交わしながら、シャトルバス停留所から散種荘への雪道を用心して歩く。そして我が家の前に立ち、またしても仰天する。分厚く屋根に載っていた雪が、片側だけきれいさっぱりドーンと落ちていた。その下にはライフラインが置かれている…。

ライフライン救出作戦

スノーボードウェアのまま無印良品のレトルトカレーでランチを済ませ、落ち着き払ってそれぞれにシャベルをつかむ。雪に埋もれたからといってライフラインが使えなくなるわけではないのだが、なにか支障が起きた時にあらためることができなくなる。役割を明確にし、二手に別れる。小さいシャベルを持ったつれあいがライフライン回廊の復旧を担当し、大きな雪かき専用スコップを持った私がウッドデッキにうず高く積もった雪をはるか先へと投げ捨てる。作業は2時間にも及んだだろうか。明るいうちに作業は終わった。1日中すっかり体を動かしていたことになる。10年後にこの暮らしを始めたとしたら、すぐに音を上げることになったかもしれない。雪に埋もれた1日はこうして過ぎる。この8日から大寒波が襲来すると天気予報が伝え始めたころ、つれあいは少しだけ眉間に皺を寄せた。私はこう言った。「すでにずいぶん雪が積もっているから、何が起きてもおかしくない。大雪が降れば、ここで起きる可能性も高い。ゲレンデで滑れないかもしれないが、ちょうどそんな時に滞在できてまったくもって幸運だ。なにかあろうものなら放置することなく即刻対処できるではないか」案の定、最も気がかりだった場所にことが起き、放置することなく即刻に対処ができた。これでしばらくは大丈夫、まさに幸運、この疲れは心地いい。ああ、そうすぐ隠居の身。こちとら常から「先手、先手」なのである。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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