隠居たるもの、副反応を待っている。2021年8月1日、私たちは白馬駅から15時16分発あずさ46号に乗って東京に帰ってきた。ずっと白馬で涼んでいたいところだけれども、つれあいの仕事のすべてがリモートでこなせるわけでもなく、その他もろもろ雑事もあるにはあって、後ろ髪を引かれる思いで11日ぶりに東京の、それも午後7時過ぎの新宿駅に降り立った。前日7月31日の東京の新型コロナ新規感染者は4,058人。特急電車の車中で確認したその日だって日曜日というのに3,058人。新宿駅構内でマスクもせず堂々と歩いているいきがった数人の若造を見るにつけ、久方ぶりに「都会とはおそろしいものよ」と警戒心を呼び起こす。白馬駅と違ってどこのホームにもたくさんの人々が行き交う。

鳩がホームの下で雨宿りする

白馬ではこの日も陽が出て昼の気温が30℃を超えた。雲の様子を見回してみると、夕方までに必ずどこかで夕立が降るのは間違いない。歩いて下りるなら駅までの行程は40分ほど、頭上から駅の方にまだ雲は来ていない。午後2時過ぎ、なんとか大丈夫だろうと踏んで、タクシーは呼ばないことにした。道の端っこの日陰を選んで下る。左に曲がってまた下る。もひとつ左に曲がってまた下る。そうして20分も歩いたころ、行く手の向こうでゴロゴロと不穏な音が響く。「あちゃあ、なんとか駅までもってくれ」と私たちは先を急ぐ。すると線路の向こうの山に鮮やかな稲光が落ちた。時間をおいてあたりをつんざく雷鳴が轟く。ビクッとしている暇などない。先を急ぐ。駅まであと5分、いつも前を通る医院のあたりでサッと細い雨が降り出す。まだ雨足は強くなっていないが、私たちは観念して折り畳み傘を広げる。信号を渡って駅の軒下に駆け込んだとき、間一髪、ひときわ大きな雷が落ちて、雲が後生大事に溜め込んでいた雨が、綻びを見つけるやいなやそこから一気に落ちてきた。

「奇跡のように射し込む一筋の光」

東京に向かって直通する電車は1日にあずさ46号の1本だけ、夏の日曜日ということもあって、リュックサックを背負った登山客がたくさん駅に駆け込んでくる。改札まわりの待合所がいささか密になってきたものだから、私たちは切符を見せて早々にホームに入り、ベンチに座って列車を待つ。そのうち夕立は本格的になり、私が座っていたベンチの真上から雨漏りが滴った。仕方なく座るのを諦めて、立ち上がって斜め前に一歩だけ進み出る。その上下動の中で、ホームの下で仲睦まじく雨宿りする一対の鳩を見つけた。愛らしい影を写真に収めているうちに、乗客たちみなが改札を通り、列車が時間通りにやってくる。全席指定の各々の席に誰もが落ち着いたのもつかの間、次の停車駅「信濃大町」を過ぎたあたりで特急列車は「緊急停止」する。「安全確認のため」だという。「ははあ、こりゃあ雷だな?」などと隣に座るつれあいと話していたら、あにはからんや、右前方の山の頂にこの夏一番の物凄い稲妻が落ちた。7分間の停止の後、列車は無事に再出発する。途中、一筋の光が射し込んでいる光景を車窓から見た。切れた雲の間から注ぐそれは、谷間に暮らす集落をすっぽり奇跡のように照らしていた。

副反応を待っている

あずさ46号は、松本駅での停車時間を短縮したり、少しスピードを上げてみたりして、8月1日19時6分、7分の遅れを取り戻して定刻に新宿駅に到着する。以来、こちらで野暮用をもろもろ片づけているというわけだ。その野暮用の中に、新型コロナワクチン2回目の接種があった。昨日4日の午前11時少し前にかかりつけの医院でチクッとやってもらい、今はじんわり副反応とやらを待っている。1回目の接種をしたのは7月13日のこと、その時は針を立てた左肩がひどく痛んで難儀したものだ。その日の晩酌時のあっさりした夫婦の会話である。

友人 Hitomi Yoshida の作品

私「『利き腕じゃない方で』というからそりゃそうだと思って左肩に打ってもらったんだけど、ついさっきからすっごく痛むんだよ。うん、五十肩みたいな感じ?うっかり動かしたら痛いのなんのって。まだ右の五十肩も残ってるだろ?両腕とも思うように動かなくなっちゃって困ったよ。」

つれあい「どうせ五十肩なんだから、その右肩に打ってもらったらよかったのに。」

なぜ気がつかなかったのか、その通りだ。右肩に打ってもらったら少なくとも左腕は自由に動かせたのだ、洗濯物を干すのに悲鳴をあげる必要もなかったのだ…。教訓である。とはいえ3週間前と比較すれば右肩の具合もずいぶんと改善したし、私は直前までどうしたものかと逡巡した。そんな私に看護師さんが否応なく指示する。「はい、それでは前回と同じ方でお願いします」…。私は素直に左肩を差し出す以外に術を持たなかった。幸い今のところ痛みは前回ほどでなく、少しぼうっとした感じになって熱がちょっとだけ上がったり下がったりしているだけで済んでいる。

「一筋の光」を探す

つれあいがワクチンを接種できるのはようやく9月になってからだ。江東区の集団接種会場でなんとか予約が取れた。しかしそれも幸運で、今現在はワクチンの供給不安定のため予約自体が滞って進まないと聞く。一方で今日5日の東京の新型コロナ新規感染者は、しぼられた検査数の中でとうとう5,042人。デルタ株は滞りなくそして容赦なく陣地を広げている。ここでこの国のトップ、頑なに国会を忌避するガースー総理の政治理念をいまいちど思い出してみよう。確か「自助」「自助」「自助」そして「放置」だったっけ?名作「マークスの山」などを著した小説家 髙村薫はこう言っている。「私たちの行く手を塞ぐ 命を守る意思なき政権」(著作「作家は時代の神経である コロナ禍のクロニクル2020-2021」中のコラムのタイトル)。はたして嵐が過ぎた後、「一筋の光」はどの方角から射し込むのだろうか。それともこのまま…。みなさん兎にも角にもお気をつけあそばして。同じ集合住宅に住む友人にあらためて植物への水やりを頼んでおいた。ああ、もうすぐ隠居の身。私はそろそろ白馬に戻る。

参考:髙村薫著「作家は時代の神経である コロナ禍のクロニクル2020-2021」https://www.amazon.co.jp/作家は時代の神経である-コロナ禍のクロニクル2020→2021-高村-薫/dp/4620326941/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=1KNPIKTENY57P&dchild=1&keywords=作家は時代の神経である&qid=1628146790&sprefix=さっかは%2Caps%2C289&sr=8-2

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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