隠居たるもの、先達からのご恩を忘れず、後進に伝承することを心がけなくてはいけない。私は、年かさの先輩に囲まれることが苦にならない。だから、お声がけいただき席を同じくすることも多い。もしかしたら先輩方は、態度が大きい後輩を「どうしたものか」と苦にしているのかもしれないが、そうだとしても気づいてはいない。
「この傘もってけ!」
その日、夕方から雨が降り出した。大先輩たちと食事するお店は地下鉄の駅から直結していた。スマホで天気予報を調べると、「一時的な雨で帰宅する頃には上がるでしょう」となっている。どうにかなったし到着もギリギリだったから、傘はとりたてて用意しなかった。なのに、楽しく食事を切り上げるとまたひどい雨が降り出す。止みそうにもない。駅直結の店から地下鉄に乗ったまではいいけれど、この先どうしようと車中で思案していた。すると、同乗していた先輩は気配を察したのか、乗り換えのため先に電車を降りようとする私に、持っていた傘を押し付けた。
「傘、持ってないんだろ?俺は駅からタクシーに乗るから大丈夫だ。この傘もってけ!」
閉まるドアの向こうで、先輩は手を振りながら微笑まれておられた。先輩とは本当にありがたいものだ。
見慣れたシンボルマーク
先輩は、宴席で対角線の向こうに座っていらした。アジアツアーがどうのとお話しされていたのを聞いていた。だからこの短めの傘は、台湾あたりから持ち帰って会社に置いておいたものだろう、それを急な雨でひっつかんできたのだろうと思っていた。輪ゴムで丸めてあったし、そこから見える漢字の断片とか黄色い色とかそのキッチュな風貌からしても。地下鉄を降りて地上に上がり、先輩のありがたさを噛みしめながら傘を広げる。「松坂屋施設間連絡用」ときっぱりと書かれている。ご丁寧に反対側には松坂屋のシンボルマーク。
梅雨が明ける前に
多分、私が立っていた清洲橋通りは松坂屋の施設を連絡していない。先輩が経営されている会社の立地から考えるに、上野店のものと思われる。先輩にとって、松坂屋の範囲とは何処から何処までなのだろうか。スケールの大きい方だ。
黄色い傘は、まだ私が預かっている。予期せず雨が降りそうな日に、後輩を食事に誘いたい。若い者は用意が足りないものだ。ああ、もうすぐ隠居の身、連綿と伝え継がなければならないものがあるのだ。