隠居たるもの、充血したまなこで昨宵を振り返る。2025年9月28日、目覚めたなり顔がパンパンにむくんでいるのが自覚される。よたよた洗面所に歩いて鏡を見ると、とりわけ右目が真っ赤に充血している。もうどれくらいになるのかすっかり忘れるほど昔のことになりはしたが、タバコを吸わなくなってからというもの、飲み過ぎたとしてもあのきっつい頭痛を抱えることはなくなった。とはいえ還暦を過ぎた今、ここまでの二日酔いを抱えることはそうそうあることでもない。前日の午後4時半頃から午後11時半頃まで、大学の同窓会の行事があってずっと飲み通していた。最後は20代の若いもん4人と私の5人で三次会まで行ったのだ。「ふう〜」とため息をつきつつソイミルクティーをたっぷり飲んで代謝を呼び戻す。これから白馬に移動しなくてはならない。

二次会はもちろん聖地 清龍で
まずはカフェの3階を貸し切って一次会、話し足りない老若男女が「聖地」安居酒屋 清龍に移動し二次会、それでも飲み足りない若いもん4人に腕を引っ張られて近場のバーで三次会、これだけ飲めば二日酔いになろうというものだ。それでは同窓会のどんな行事があったのかというと「奨学生証授与式」なる秋の定例行事があったのである。大学の同窓会というのは小中高のそれとは性格を大きく異にするから、まずはここから語られねばなるまい。都の西北にある大学を卒業して日本全国あるいは海外に散らばった者たちは、各地で地域に根ざした会を立ち上げたり、職域で集まってみたり、在籍したゼミや卒業年度でくくったり、同じ趣味を持つ者たちでグループを作ってみたりと、様々な形で同窓会を組織する。性に合わなかったり縁がなかったりしてまるで関わりを持たない卒業生も多いが、私が卒業後一貫して参加してきたのは128年の歴史を持つ在日コリアンの同窓会だ。還暦を過ぎて順番が回ってきて、今はその同窓会で要職を仰せつかっている。

ここまでくるともはや親戚
現役学生のころから顔を出していてそのまま今日に至るから、数えてみるとすでに40年を超えている。その途中、海の向こうの南北分断の余波を受けていっとき分裂したこともあったが、対立することでしか自身の「権威」を保てない愚かしい人たちを尻目に、思想信条の違いを超え親睦を旨とする同窓会として27年前にあらためて「統一」を果たす、そんな推移も目の当たりにした。この間に多くの先輩方や後輩たちと懇意になった。その親しさの深度たるや同窓というより親戚だ。出自を共にしているから結束が固いのか、実はそれだけが理由ではない、時代は変われど誰もが同じ類の「苦労」を抱えているからだ。「日本人ファースト」をキャッチフレーズとする政党がいきりたってこの国における「外国人優遇」を喧伝するが、その当事者である私たちは頭の中のどこをひっ繰り返してみても、差別された記憶はあれ「優遇」された経験がさっぱりない。

奨学生証授与式
もとより私は図々しく、年上の方々とご一緒することを苦にしない性格だったから、20歳以上離れた先輩たちがその生意気さを面白がって可愛がってくださった。そんな先輩たちが大学を卒業したのは私が生まれた1960年代、露骨な差別が色濃く残る時代、名門と言われる学校を出たところで先輩たちを受け入れ就職させてくれる日本の会社など当時は皆目ない。自ずと先輩がたは起業せざるを得なかった。もともと優秀な人がリスクをとって泥をすするような努力をしたのだ、資産家になった方も多い。そのうちのおひと方が、同窓会の会長を務めていらした10年ほど前その時に「後進を育てるため」と音頭をとり、私たちの同窓会独自の、返済義務のない奨学金制度設立をぶち上げた。共鳴して大口拠出してくださる先輩が何人も現れ、あっという間に基金が積み上がり制度が出来上がって周囲を驚かせた(見栄のためアリバイ的にではあるがほんの微々たる額を私も寄付していることをここに披露しておく)。その後も基金は増え続け、今現在あと10年は問題なく継続できる額となっている。「奨学生証授与式」とは、その奨学金制度の今年度の対象学生を皆で迎え祝う行事である。今年度の対象者は、学部生と大学院生合わせて5人となった。しかし基金を積み上げた先輩方はご高齢となり、今やせっかくの行事に参加することも難しい。私の仕事は、先輩方の意志を継ぎ母校奨学課と連携しつつ制度を滞りなく運営し奨学生に選ばれた後輩たちの成長を親戚のおじさんのように見守ること、そこにある。そこから先は奨学金をもらった君たちがどうするか考えて決めればいい。

薪活はじめました
今回の白馬滞在の主眼は「季節の移り変わりへの対処」である。最高気温が25℃から20℃の間に落ち着いた白馬はすっかり秋の空気に包まれている。まだ薪ストーブを焚くまでには冷え込んでいないが、モタモタしていると薪の調達に支障をきたすから、到着に合わせて届くよう東京滞在中にどっさりと発注してあった。昨冬から残っていた薪をいったん棚から空けて、新たに届いたものを下から積んで棚を構成し直す。こうした作業をするときのBGMは例えばオールマン・ブラザース・ハンド、今となっては「失われた古き良き時代」とでも感じるからだろうか、アメリカ南部に根ざす古いブルースロックがしっくりくる。今のアメリカから一掃された大らかな「自由」がそこにはある。「そういえば三次会をともにした若い後輩たちが『白馬を訪問したい』と言っていたが、どうなんだろう、本当に来るのだろうか」などと考えていたら、本当にその後輩からLINEが入った。春には社会に出る二人で10月末に白馬に遊びに来たいのだという。


優秀な後輩に先輩たちは目尻を下げる
選択肢らしい選択肢もなく卒業するなりとにかく「生き残る」ことに必死だった先輩たちからすると、後輩たちのとんでもない優秀さは嬉しくてたまらない。許可もとっていないのでいちいちここで開陳することは控えるが、奨学生となるような彼らの優秀さを聞くたび本当に驚く。例えば院生を含む4人の学生に囲まれた三次会ひとつとっても、彼らは日本語、英語、韓国語の3ヵ国語を混ぜ合わせながら冗談を言い合う(日本語と江戸弁のバイリンガルでしかない私もなんとか一緒に笑ってみせたが)。しかし「奨学金のおかげで交換留学に行けました」と感謝するような子たちだから恵まれた家の姉弟というわけではもちろんない。向学心によるところもあるのだろうが、就職差別だけは無くなった今日の社会に出る彼らからすれば、優秀さよりもバイタリティーが重要とされた先輩たちと違って、秀でることそれ自体が、いまだ世知辛い世の中で「生き残る」もっとも有効な術なのだろう。

「政治はロックだ」?
散歩している道すがら「日本人ファースト」をキャッチフレーズとする政党のポスターを見かけた。そこには「政治はロックだ!」と勇ましく大書されていた。違和感がとんでもなさすぎて居心地が悪くなる。そもそもここでいう「ロック」は何を指しているのだろうか。まず「ロック」といえば「反抗」とでもいうことなのだろうか。ではロックは何に反抗してきたのだろうか。半世紀近く和洋問わずにロックを聴き続けてきた私の考えからすれば、ロックが抗ってきたのは権威にである。ではロックはなぜ権威に抗うのだろうか。ロシアや中国やトランプのアメリカなど、権威的な国を見れば一目瞭然、権威は自由と愛と平和を抑圧するからである。つまりロックが目指すのは自由と愛と平和なのである。翻って「日本人ファースト」をキャッチフレーズとする当の政党はどうだ?憎悪を撒き散らした上で権威的な社会を復活させることを明確な党是としているではないか。ということは、「政治がロック」かどうかはさておいて、あなたたちがロックでないことだけは明らかだ。

白馬で生まれ育った人が自嘲気味に「インバウンドの波が来てなんとか生き残れたけれど、それまではみんなで『ハカバ村』なんて言ってましたから」と口にするのを耳にしたことがある。確かに「交通整理」を施し暴走を制御してほしいのは山々だが、鬱憤を晴らすために外国人を悪者にしたところで何も解決しない。とにもかくにも、先輩たちが若い後輩を思い立ち上げた奨学金が世代を貫いて、優秀な若者と虚心坦懐、日常的に酒を酌み交わせる私は果報者である。また二日酔いになるだろうが、月末に泊まりがけで遊びに来てくれるのが本当に楽しみだ。ああ、もうすぐ隠居の身。そのときは先輩がたっぷりロックを鳴らしてあげよう。