隠居たるもの、短い秋を慈しむ。うっかりすると秋を感じることなく冬が来る。「温暖化でいいこともある。北海道の米がうまくなった」とトンチキなことをおっしゃったのは、性根の曲がり方が口元に現れる麻生太郎自民党副総裁だが(毎年のこと選挙区である九州が豪雨災害におののいているのに相変わらず呑気なものである)、これも気候変動の影響だろう。3月から5月までが春で、6月から8月までが夏、そいでもって9月から11月が秋で、12月から2月までが冬、私の幼少のみぎり、季節認識はかように3ヶ月ごとに別れていたものだ。それが今は通用しない。2月半ばから4月までが春、うっかりすると5月から始まってひどい時には10月上旬まで夏、10月半ばから11月のたった1ヶ月半が秋で、12月から2月半ばまでが冬、こんな塩梅であろうか。兎にも角にも、白馬にも遅い秋がやってきた。四季を過ごしてみて、ここ白馬が最も美しい季節は秋である。それに合わせて、2021年10月27日、またしてもきれいどころの襲来を受けた。
もう少しで「紅葉が降りそそぐ」
私が「きれいどころ」と呼ぶ、つれあいの古くからの友人たちがいる。私からしてもすでに四半世紀に近い友人であって、この省察にもこれまでに2度登場している。今から3ヶ月前の7月末、彼女たちは満を持して散種荘を襲来した。秋の彩りに感極まり「紅葉が降りそそぐ in 白馬」という省察を記したのはちょうど1年前のことであるが、襲来時にその「感極まり具合」をたっぷり語ったところ「だったら秋にも来る」ということになり、「まあ社交辞令ということもあろう」とタカを括っていた部分もあったのだが、蓋を開けてみると本当にやって来た。「何かをしようとすると決まって晴れ」というのが「晴れ女」ではないのだそうだ。「何かをしようとした日の天気予報がかんばしくなかったとしても、結局は晴れてどうにかなる」というのが本物の「晴れ女」なのだそうだ。自らを「スーパー晴れ女」と称する彼女たちにかかって、山を覆っていた雲は風ですっかりどこかに飛んでいった。
「三段紅葉」というものの、晴れた日には「四段紅葉」
昨年に比して紅葉が遅れている。しかし到着以来、日一日と目に見えて明らかに彩りが増している。その進み具合を間近で体感するのもこれまた贅沢なものだ。28日、私たちはきれいどころを裏の平川の河原、そして岩岳マウンテンハーバーに案内した。必殺フルコースである。山の上に積もった雪の白、山の中腹を彩る紅葉の赤、麓に残る緑、これを称して「三段紅葉」というわけだが、晴れた日にはその上に空の青も加わるから、「こいつはいわば『四段紅葉』であろう」などと私なぞは申し立てるわけだ。河原ではトビが気持ちよさそうにホバリングし、岩岳の上では羊が静かにモリモリ草を食んでいた。
「私は松本に行ってみたいの」と彼女は言った
きれいどころは29日に散種荘を後にする。28日に道の駅 白馬に立ち寄って買い求めた、アジサイ、ニッコウキスゲ、コオニユリの株や球根を庭に植える。その後、片割れの「私は松本に行ってみたいの」という先からのリクエストにお答えして1時間20分ほどの「秋のドライブ」に出かける。山を縫って進む安曇野アートラインは見事な紅葉であったが、ハンドルを握っていたのがいかんせん私だったがゆえ写真がない。松本城を見物し(岩岳マウンテンハーバーもそうだったのだが、修学旅行の学生が多い。松本城には画板を抱えた小学生の一団もいた。写生教室だろう。長らく続く新型コロナ禍、控えられていたものがぼちぼちと再開している)、老舗の蕎麦屋こばやしで昼食をとり、文化がかおる松本の街を散策した。
「嵐が去った後」に湖畔にたたずむ
私たちはそのまま松本で別れた。彼女たちは東京に向かう電車に乗り、私とつれあいはそのままレンタカーで白馬に帰る。次回のテーマは「日本酒祭り」だそうだ。民主的に決定するというよりも、てんでが好き勝手に振るまうアナーキー具合が好ましい。彼女たちが去った車の中は静かなものだった。途中、もう少しで白馬村というところで幹線道路を外れ、夕暮れの木崎湖と中綱湖の湖畔にたたずむ。北アルプス国際芸術祭が会期中で、これらの湖畔にもポツンと作品があったからだ。木崎湖畔の作品ふたつは鑑賞したものの、中綱湖の作品ひとつを味わうのは後日に回すことにした。すべてが一体となった完璧な夕景、それだけで満ち足りてしまったからだ。寒いと思いきや気温は7℃でそそくさと家路を急ぐ。レンタカーは引取りに来てもらうことにした。一夜明けた30日の午前中、私は今これを記している。衆議院選挙の期日前投票を済ませたつれあいと、今しばらく白馬でゆっくりしよう。もう少しで次の来客もやってくる。ああ、もうすぐ隠居の身。私が待っているのは移り気なメロン坊やだ。