隠居たるもの、下り電車に乗り込み信濃路へ。2024年8月5日月曜日午前11時、松本に向かうあずさ17号が定刻通りに新宿駅を出発する。早々に車掌が車内アナウンスしたところによると、全席指定の中央線特急は「指定席完売、満席」だそうだ。あぶれてしまった方々が連結部で壁に寄りかかりスマホを眺めている。深川から新宿に向かう地下鉄に乗り込んですぐ、車内に漂う空気感が普段と違っていることに気づく。大きなスーツケースを手にした乗客が多かったのだ。新宿駅にたどり着き、階段を上り下りしてあずさ17号に乗り換える。様々な客層の中に、介助者に付き添われて車椅子に座るご高齢の一団もおられた。どうやら「夏休み」などという悠長なものでもなさそうだ。「もっとも的確」と頭に浮かんだ言葉、それは「疎開」だった。
クロスシートを回転させて、子どもたちがキャッキャとはしゃぐ
新宿を出発した特急電車、東京都内の停車駅は立川および八王子のふた駅だ。降りる人はまずおらず、反対に周辺駅に住まう方々が大挙して乗り込んでくる。この日もご多聞にもれず、ところどころ空いていた席は八王子を過ぎてすっかり埋まり、車掌のアナウンス通り満席となる。私たちが最後尾に座る11号車に、何人かの母親が数人の小さな子どもを連れた一団がふた組あって、それぞれにクロスシートを回転させて対面になり、ひと組は子どもたちが、ひと組は母親たちがキャッキャとはしゃいでいたのだが、彼らは八ヶ岳の最寄り駅である小淵沢でそろって降りた。所有しているのかそれとも借りたのか、避暑地の別荘でしばらくともに過ごす計画を思い切って立てたのだろう。介助者に付き添われたご高齢の一団は、風が渡る諏訪湖を臨む下諏訪駅で違う車両から時間をかけてそろって降車、停車中の窓の向こうをゆっくりと横切っていった。提携する施設に高齢者ホームごと「避難」してきたのかもしれない。
リュックサックを背負った小さな子どもと祖父母
終点の松本駅でJR大糸線の普通列車に乗り換えるのだが、その松本駅でも、そして大糸線の車中でも、あちらこちらで似たような光景を垣間見た。祖父母と思しき方が、リュックサックを背負った小さな子どもを世話しているのだ。私の推理はこうだ。週末に祖父母と思しき方々が、都会で働き暮らす息子もしくは娘のところに出向き、「東京は本当に暑いねえ」とぼやきつつ、明けた月曜日に息子もしくは娘の子どもたち、つまりは孫たちを連れて自分の家に帰るその途上なのだ、と。共働きする子育て夫婦に夏休みは鬼門、ましてや気温のタガが外れたこの酷暑である。幸い実家は涼しい信州、お盆休みになったら自分たちも合流するとして、子どもをまずは親に託したのだ、と。「疎開」とは「都市に密集している住民を分散すること」を指す言葉。なにかしらに恵まれた方々ばかりだとしても、これらはこれらで「疎開」に他なるまい。
「東京、とんでもないすよ」
済ませるべき仕事や用事および浮世の義理を片づけるため、私たちは7月30日の夜に白馬から深川に戻ってきた。実質5日間という慌ただしさの中、接する方々みなが口をそろえて「東京、とんでもないすよ」とうんざりした顔をする。ほんの数日とはいえ起居すればわかる。深川の住まいの近くに消防署がある。ここ数年というもの夏は必ずといっていいほど、ここから出動する救急車のサイレンで早朝に起こされる。寝ている間の熱中症、もしくはそれを起因とした脳梗塞か心筋梗塞…、そんなあたりだろう。大学の先輩がよく「天気予報の最高気温というのは、土の上でしかも風が通るように小高く設置された百葉箱の中にある温度計が指す数字」とおっしゃる。つまり、鉄筋鉄骨で建てられ蓄熱する高層ビルに風をふさぐかのように囲まれ、見渡すかぎりの地面が陽光を照り返すコンクリートに覆われ、しかも四方八方のエアコン室外機から排気を浴びせられる、ヒートアイランドの実のところの体感気温は、天気予報発表数字からして少なくとも5℃増しで判断しなければならない、ということだ。汗がひくわけがない。
「寅ちゃんが観たくなっちゃった」
「明日からまた白馬」という夜、近所の友だちと食事をともにし「さてどこで2次会をしようか」と裏道を歩いていた。どこからか太鼓を叩く音にかぶせて「はぁ〜♪」と聞こえてくる。祭囃子に導かれて公園に入ってみると、ああやっぱり盆踊り、みんな楽しそうだ。暑さにすっかり辟易していたが、こちとら下町育ち、こんな光景を目にするとなんだか心持ちが華やぐ。「ここで飲んじまおうか」と出店を見回してみると、テキ屋ではない、町会の方々が模擬店のようなものを広げていたようだ。そして盆踊りは最後の一曲だったようで、すべからく店じまい。つれあいがポツリとつぶやく。「なんだか寅ちゃんが観たくなっちゃった。」ここに登場する「寅ちゃん」とは、話題の朝ドラ「虎に翼」で伊藤沙莉が演じるところの佐田寅子ではない。「男はつらいよ」で渥美清が演じる車寅次郎のことである。
https://www.cinemaclassics.jp/tora-san/movie/28/
「男はつらいよ 寅次郎紙風船」
期間限定レンタル料100円でAmazonプライムが配信していたから、白馬に移動するなり1981年公開 第28作「男はつらいよ 寅次郎紙風船」を観た。魅力全開これぞ岸本加世子という好演、ワケアリでしっとりとした音無美紀子の切なさ、佳作である。なぜにつれあいが珍しく「寅ちゃんが観たくなっちゃった」のかというと、「情緒」ある東京を感じたくなったからなのだろう。それぞれの街がまったく趣きを異にしながら、市街地と地元商店に根ざしたヒューマンスケールな暮らしが共存していたあの東京を。上の写真は音無美紀子が演じる光枝が働く本郷の旅館前の図である。どこからどう見てもこの情景は本郷の裏手の坂道でしかあり得ないのだが、ヒートアイランド化が顧みられることもなく、画一的な「開発のための再開発」が「目先の利潤」のために野放しに進む東京である、果たして同じ場所の現在の図を見せられて今も同じように感じられるかはわからない。
「デレク・ジャーマンの庭」のような庭への来訪者
さすがに肩にとまりはしないけど、すっかり慣れた小鳥たちは平然と私たち夫婦のそばに飛来する。庭をいじって遊んでいるうちに、四十雀の他にキビタキやジョウビタキなどが頻繁にやってくるようになった。加えて「ひまわりの種の棚」をこしらえてみたら、このヤマガラまでが仁義を切る。隣地のカエデにとまって順番を待っているのはゴジュウカラだ。そんな小鳥たちを眺めていて、あずさ17号の車中でのエピソードをもうひとつ思い出した。単調ではあるが耳につくメロディーが前方から流れてくる。どうやら携帯電話の着信音のようだ。大変にご高齢な男性が立ち上がり、左脚を遅れ気味に運びながら通路をゆっくり私の方に向かってくる。マナーを守るべくドアの向こうの連結部に移動しようとしている。そして最後尾通路側の席に座る私の脇まで到達し、自動ドアが開くのと時を同じくして、あろうことか彼は私の耳元で囁くように「ぶっ」と放屁した。私はしばらくの間、声を出さずに涙を流して笑った。ああ、もうすぐ隠居の身。「東京砂漠」を後にすると、なにかしら人は緊張を解くのである。