隠居たるもの、齢(よわい)を重ね覚悟を決める。このブログを始めたのは一昨年2019年5月18日のことであった。その記念すべき第一段の省察「Why『もうすぐ隠居の身』?」の末尾に、「『四捨五入したら60歳』になった今日、現代あるべきヌケがよくカッコいい『隠居』とはなにか、それを模索し準備を始めようと思う」という一文がある。つまり55歳の誕生日を期したのであって、あれから2年を経た2021年の今日5月18日、1964年生まれの私は、めでたく57歳とあいなった。これまでに重ねた省察は全部で285段、これが第286段目となる。なんと吉田兼好「徒然草」全243段をとうに凌駕している。もちろん「歴史的マスターピースを持ち出すなど不届き千万」なことは重々承知しているが、一方で「ふふ、無駄にがんばっているじゃないか」と自身の「非効率」な道楽者ぶりをほくそ笑んだりもするのである。

誕生日プレゼントは醤油さし

「誕生日プレゼントは必須にあらず」2年ほど前に夫婦で決めた合意事項である。以来、「あってもなくてもいいし、食卓周りで日常的に共用する食器やらカトラリーやらを記念品として代用することも可」となった。つれあいがいうには、「お前さんの57歳の誕生日プレゼントは醤油さしだよ」なんだそうだ。質素でなんとも奥ゆかしい。飲食店に出張ったところで生ビールの一杯も飲ませてもらえないご時世であるし、せめて新顔が映える食卓を演出したい。「それじゃあ寿司でも取ろうじゃねえか」と近所の松葉寿司に出前を頼もうってことになって、「すぐそこで暮らす身内なんだ、だったらチー坊たちも呼ぼうじゃねえか」ということにもなって、いろいろ都合を合わせてたら1日だけフライングした昨日が「誕生日パーティー」ということになった。チー坊のカッパと納豆の「巻物桶」と、いくらか奮発した握りの寿司桶4つがテーブルに並ぶ。「おめでとう」と祝われるのは、いくつになろうが満更ではない。

木場 松葉鮨 http://shinise.tv/matsubasushi-miyoshi/

この24ヶ月のうち…

さて「もうすぐ隠居の身」と称して過ごしたこの24ヶ月、「世界」はすっかり様変わりした。「定年退職」を果たした私事からいえば、姪孫(てっそん)がこの間にふたり生まれ、孫と変わらないものたち合計3人に取り囲まれる喜ばしい身分となった。最も近くで遊ぶメロン坊やあらためチー坊が生まれたのは20ヶ月前のことだし、もう一人の姪孫が生まれたのは8ヶ月前の2020年9月のことだ。一方、24ヶ月のうち今にも続くこの17ヶ月、人類は「打ち勝つ」ことができないまま新型コロナウィルスに「世界」を支配されている。この間、数えきれない「命」があらゆる場面でないがしろにされてきた。まざまざと目の当たりにするこの「現実」は、実際は少数派でしかない愚かで無能な者たちに、不釣り合いなほど過大な権力が、ここでもあそこでも、世界各地で与えられていることを炙り出す。「24ヶ月前の世界に戻りたい」と無邪気に願うことは、もはや「犯罪的」なのかもしれない。オリンピックのあり方も含め、「世界」は抜本的にガラガラポンと変わるべきだろう。だから「ヌケがよくカッコいい隠居」たらんと目論む修行の途中ではあるが、ここはひとつ、重い決断を下すことにした。

「東京オリンピックの年生まれ」の家督は譲らない

記念すべき第一段の省察「Why『もうすぐ隠居の身』?」からこれまた引用したい。「また東京オリンピックが開催されようとしている。1964と2020、書き記すとふたつの字面がずいぶんとかけ離れていることにあらためて気づく。個人差を考慮に入れても、くたびれていることを隠せない2020年には56歳になる一群と、新たに世界に現れるその年生れの0歳ピカピカの新生児たち。並び立つ『東京オリンピックの年生まれ』、両者は字面だけでなく、わかりやすくさっぱりとかけ離れている。 だから、これを機会に『東京オリンピックの年生まれ』の専売特許は君達に譲ろう。(中略)『キミに家督を譲りたい』(by レキシ)のだ。そして、『家督』を譲った者をなんと呼ぶか。世界はそれを『隠居』と呼ぶ。」その後1年延期された東京オリンピックは、果たして2021年7月23日に開催されるのだろうか。そして開催が強行されたとしたら、私は一年ずらした2022年元旦をもって、2021年生まれの新生児たちに「東京オリンピックの年生まれ」の家督を譲るのだろうか…。前言を撤回する。家督は譲らないことにした。だから「家督」を譲ることによっての「隠居」はしない。

「やっとのことで隠居の身」もしくは「ようやくにして隠居の身」

だって忍びないじゃないか。仮に開催されたとしても、「東京オリンピック2020」からネガティブなイメージを払拭するのはいたって難しい。それどころかずうっとつきまとわれるに違いない。罪のない子供たちだけにそれを背負わせるわけにはいくまい。手に手をとって「専売特許」を分かち合いたい。そして、姪孫たちと君たちが作り直す「世界」の末端に、「隠居」としてちんまり加わりたいのだ。1年前の省察にこうも書いている。「『世事を捨てて、惑わされずに自身の興味に純化した』暮らしができていると判断した時に、自分からひっそり名乗り出ることにする。その際、この省察の看板もこっそり『やっとのことで隠居の身』とか『ようやくにして隠居の身』あたりに掛け変わっているやもしれぬ。」このご時世、そう簡単に仕事は見つからないが、お小遣いが心許なくなりつつもあり、バイトを探そうとも思っているところだ。57歳になり3年目に差し掛かっても修行はまだまだ続く。ああ、もうすぐ隠居の身。こうとなったら覚悟を決めた。

参照:「Why『もうすぐ隠居の身』?」https://inkyo-soon.com/why/

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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