隠居たるもの、筋肉痛を耐え忍ぶ。とりわけても大胸筋と腹直筋がことあるごとに痛む。それもそのはず、一昨日の2022年9月2日、ひと月半ぶりにジムでトレーニングをしたからだ。7月21日に「夏休み」に突入してからというもの、ほとんど東京にいないこともあって(8月についてはジムに「休養届け」も提出してある)、まるっきりジムに足を運んでいなかった。もう8月も終わろうかという29日、私は「夏休み第2クール」を打上げ、蕎麦の白い花が咲きほこる白馬を後にした。「第1クール」と「第2クール」の間の「小学生の登校日」のようなお盆少し前の前回の帰京と違い、足掛け5日に及んだ今回の東京滞在はみっちりと多忙。「夏休み」後を見据えその準備を整えておくこと、それが主眼だったからだ。ジムワークもその一環というわけだ。
「パソコンにこんがらがって:インターネット接続再設定地獄篇」に終止符を打つ
インターネット接続再設定に手間取り、業を煮やして深川の庵のプロバイダー契約を解約したのが6月後半。現代社会において、中心であろうが周縁にいようが、いや周縁にいるからこそ余計に、通信環境の整備は重要だ。だから9月に「再設定」する算段はとうにしている。となると少しでも早いに越したことはないから、ずいぶんと前から新たに契約したauひかりに9月1日早々に工事に来てくれるようねじ込んでもあった。しかし、その日の早朝に突如として東京を豪雨が襲う。「工事の人、来れる?」と心配しているうちなんとか雨はやみ、約束の午前9時、輪にまとめられたコード類を右肩にひっかけ担当のKさんは現れた。
不安定な上空に豪雨の余波は残り、庵の片隅で作業が進む間もひっきりなしに雷が轟く。同年輩の私たちはその度に窓の外を見やり顔を合わせる。そこでほのかな紐帯らしきものが出来上がったのだろうか、20分ほどで工事を終えた彼はそのまま居残り、私が手持ちのwi-fiルーターを繋げて接続再設定するのを手伝ってくれた。しかし、やっぱりうまくいかない。
「LINKSYSのこのwi-fiルーター、いちいち注文が多いですなあ」とKさん、確かに肝心なところで「メールアドレスを打ち込め、パスワードを打ち込め」と邪魔を入れる。そもそもどのパスワードのことを指しているのかもかわからないから、どうにもこうにもいっこう先に進まない。「ここ最近のルーターは、こんな野暮な念押しをすることもなくたやすくサラッと流してくれますよ」と彼は言う。「ならば今後のこともあるんで取り替える。だとしたらこんなんでいいのかい?」と私がスマホで検索して機種を物色すると、「この部屋の大きさだと、みなさん大体このあたりを使ってますね」と指差し教えてくれる。礼を言って10時前に彼を送り出し、ビックカメラ有楽町店へ出かけるべく支度を急ぐ。午後になるころにはケリをつけたかったからだ。
怒涛の足かけ5日の果てに
BUFFALOのWi-Fiルーターに付け替えると接続は造作もなく回復した。機器も一新されて通信速度もアップした。「大仕事」を成し遂げたら細々とした仕事である。このところのプリンターはWi-Fi回線を通じて無線でPCとやり取りしたりするものだから、回線が復活しないと自由に使えない。私は、ある寄り合いの案内往復ハガキを作成し、270枚ほどプリントし、9月2日までに投函する重大な任務を引き受けていた。実のところ猶予などなかったのだ。その他にも、つれあいの会社の経理月次処理、もうひとつ大きな寄り合いの準備、神保町で半日ほどの用足し、ブログを1本アップ、青砥のヤスの店で散髪、なまった筋肉を起こし始めるため久しぶりにジムワーク、そしてトドメに世話役を務める集合住宅の防災訓練…。ひとつひとつは大それたことではないんだけれども、よくもここまでこの5日に集中させたものである。それも呑気に涼んできたツケなんだから、まあ仕方はない。
「夏休み第3クール」に死角なし
9月3日土曜日午前、集合住宅の防災訓練の終了をもって、足かけ5日、多岐にわたる細々としたTo Do Listをすべて完了させた。午後から信州に向かう中央線特急あずさの乗客となり、手前勝手な充実感に満たされ、いそいそと「夏休み第3クール」に向かう。到着予定の午後6時半あたり、目的地の白馬はそこそこに強い雨だという。散種荘に美味しい冷凍ハンバーグと卵がふたつずつ残っている。ならば雨に降られて買物をしなくてもいいようにと、つけあわせの野菜、つまみに加える惣菜、明けてからの朝食パンとハム、それらを東京で用意し小さな保冷バックにつめて持参した。駅からすぐタクシーに乗ればいい。「なんて周到なんだろう」と浅はかにも悦に入る。しかし好事魔多し、あんな大事件が起きるとは想像すらしていなかった。
予期せぬ大事件
つれあいが唐突に「あっ!」と声を発し、なぜか両手をピンクレディー「UFO」の振付けのように体の前で空虚に交差させる。松本発信濃大町どまりの大糸線鈍行から信濃大町発南小谷行きに乗り継ぎ走り出してしばらく経ったころだ。私はすべてを瞬時に悟る。私たちの保冷バックは去ってしまったのだ。信濃大町で降りた鈍行電車は折り返して松本行きとなる。座っていた席の真上の網棚にひとつだけポツンとつれあいが置いた銀色の小さな保冷バック、主人とは反対方向の松本へ、それこそポツンと去っていってしまったのだ…。いろいろな感情が渦巻き歯噛みするするつれあい、とにかく車中で策を練る。幸いにも深川のNOBUの美味しいパンだけは私のバックに移し替えてあった。お互いめでたく初老にさしかかっているんだもの、こんなこともあらあな。検討の結果「駅前のラーメン屋で唐揚げと餃子のテイクアウトを手に入れタクシーに飛び乗る」ことにした。しかし好事魔多し、ラーメン屋には灯りがついていなかった。
「大町から来てね、これから帰るところだったんだ。でもお客さんたちがいたからもうひと商売するかってさ」結局は雨が小降りになっていたのでスーパーで買物をした。その短い間に地元のタクシーがすっかり出払っちゃって困り果てていた。そしたら大町から流してきたこのタクシーの運転手さんが私たちを拾ってくれた。「ついさっきまで、こんな雨が1時間も降ったら大変なことになるぞ?ってくらいの降りだったんだよ。大丈夫だった?」私たちはその雨を経験せずに済んだ。「端数はいいよ、ピッタリ1800円で」おじさんは料金のうち端数の40円を受け取ってくれない。どうやら「隣町の自分は白馬の道をよく知らなくて遠回りしただろうからそれを差し引く」というのだ。捨てる神あれば拾う神あり。その晩の夕食は少し遅くなったが、いつもと変わらず美味しかった。そして一夜明けたら爽やかな晴天。ああ、もうすぐ隠居の身。最終「夏休み第3クール」の幕が開く。