隠居たるもの、形見のレコードをともに聴く。中学1年の時より交友が続くヤスから、「もうレコードプレイヤーなんか持ってないしさ、兄貴のレコードもらってくれねえか?」と声をかけられたのは、いわゆる「新型コロナ禍」が始まった2年前の春から梅雨にかけてのことだった。私たちが通う学校の2年先輩でもあった彼のお兄さんは、不慮の事故で19年前に亡くなった。私はレコードを2度にわたって「形見分け」のような格好で貰い受けた。「そのうち聴きに来たらいい」と誘ってはみるものの、「人との接触を控えろ」と叫ばれ誰もが「孤立」した当時の世情、「そのうち」がやってこないまま「兄貴の形見」はプレイヤーもろとも白馬に引っ越してしまう。あれから2年と少しの時が過ぎ、経営する美容院が夏休みを迎えた2022年9月5日、ヤスは満を持して白馬を訪れた。

ジェフ・ベックが出す4弦の音はおかしい

「4弦てえのは太い巻弦だから、普通はこもったような音がどっかするもんで、こんなに綺麗には鳴らせねえんだよ。だからこのジェフ・ベックって人はおかしいんだ。」お兄さんの形見、ジェフ・ベック「WIRED」を聴かせたなり発した第一声だ。お兄さんはブラスバンドのトランペッターだったが、ヤスは何を隠そうギター部だった。散種荘に着く頃には酔っ払ってすっかり怪しくなってたのに、今はさわりもしないくせギターの音を聴かせたら急にシャキッとするからこいつも「おかしい」。ヤスというのは万事において「ぬかり」のあるやつで、1人で白馬に来れるかといったら(本人も自覚している通りに)まず難しい。そこで、早いとこ招待しようとも思っていた、やはり同級生でヤスの店で髪を切るSKにアテンドを打診したところ、万事において完璧にぬかりのない彼は快く応じてくれ、休みを合わせてこうしてヤスを連れてきてくれた。

ものすごく楽しいみたいですので。

「上野駅で早めに待ち合わせ、すでに生中2杯、新幹線に乗る際にキリンのレモンハイを3缶」彼らが到着する日の朝、SKからそう連絡が届いた。「それすべてヤスが飲み、そして飲むんだろ?」という私の返信に、SKはおそらく「なんで飲ませるのか」という非難らしきものを感じ取ったに違いない。朝、SKが待ち合わせ場所に着いた時にはすでに生中の2杯目が半分ほどになっていたそうだ。うっすら赤い髭面をにっこりさせながらSKにあいまいに手を上げるヤスの顔が目に浮かぶ。SKの連絡はこう続く。「ものすごく楽しいみたいですので。」どうにも止めようがない、そういうことだ。途中休憩をはさみ、そこそこ暑かったこの日の晩、またしても庭で炭火焼きをした。SKはこの新型コロナ禍で酒をいっさい飲まなくなったそうだ。「飲みたくて飲んでたわけじゃなかったんだ。つきあいっていうこともあったし、なんだか酔うためだけにこれまで飲んできたんだって気がついてね。もういいやって思ってさ」朝から飲んでいて足元の怪しいヤス、陽が落ちてからいつものように飲み始めた私、飲めるけどまるっきり飲まないSK、キリギリスが興味深そうに私たちのことを見つめていた。

お大尽はお土産を買いたがる

つれあいが面白がってヤスのことを「お大尽」と呼ぶ。キャッシュレス決済が信用ならないのか、彼はいつだってニコニコ現金払いだ。それでいて娘や孫たち(そう、彼にはすでに2人の孫がいるのだ)にたくさんのお土産を買って宅配便で送りたがるものだから、あちこちで頻繁にお札をやり取りすることになる。また、「ものすごく楽しいみたい」で2泊3日の滞在中は毎日朝から酒を飲むから、その様子がなんとも無防備で危なっかしい。それらを目の当たりにして「ほら、お大尽、大丈夫?」とつれあいがくすくす笑う。すると「お大尽」は「今日1日でもう2年分歩きました。もう歩けない」などとおどけて私に叱られる。とはいえ背が高くポキポキやせぎすなヤスは確かに体力がない。岩岳でゴンドラに乗って山の上にも行ってみたことだし、ならば帰って「兄貴の形見」を、今日は「マンボNo.5」や渥実二郎あたりをいっしょに聴こうじゃあないか。

撮影現場の裏側

冒頭に掲載した写真、「兄貴の形見」のレコードを見やるヤスの後ろ姿、実は私が注文してポーズを取らせたものである。「やっぱりヤスはギターが好きなんだから、5歳の孫に教えながらいっしょになってまたやってみりゃあいいじゃねえか」現在に趣味らしい趣味を持たない彼に持ちかけてみる。「それ、いいなあ!」と応じるヤス。そうやって皆で面白がって撮影していたのだが、筋力らしい筋力のないヤスが「もういい?腕がプルプル震えちゃって…」と音を上げる。それを合図に4人はレンタカーにいっしょに乗り込む。東京に戻る2人のレンタカーに便乗して、私たち夫婦も長野に買物に行くことにしていたのだ。運転する私が「えーと」と目的地のBurton長野店をカーナビに打ち込もうとすると、SKが「もう登録してある」と即座に設定を呼び出してくれる。まったくもって万事にぬかりのないやつである。

あの人、なんであんなに黒いの?

「そうだ、お前のこと『あの人、なんであんなに黒いの?』って言ってたぞ」終始ご機嫌なヤスがビールを飲みながらゲラゲラ笑う。先日の一時帰京時に彼の店で散髪し帰ったあと、店に残ったお客さんが私を指してそう言ったそうだ。あらためて3人が並んだ写真を見ると、確かに私の黒さは際立つ。4人は長野駅ビルMIDORIで最後の昼食を共にしていた。レンタカーはガソリンを入れた上で返却してある。そうこうしているうちに私のスマホに電話がかかる。大学の大先輩の訃報だった。ひとり家にいて入浴中に心不全を起こし、前触れもなくそのまま突然に亡くなってしまったんだそうだ。とてもよくしてくださった先輩だった。「白馬の君のところに遊びに行くのを本当に楽しみにしてるんだ」とおっしゃってくださっていた。新型コロナ第7波や今夏の酷暑、そんなこんなでお誘いしそびれていたら…、なんたる無常…。

ヤス、楽しい心持ちの休みの日にあんまり野暮なことも言いたかないがな、ここでは忌憚なく小言を並べさせてもらう。酒はほどほどにしておけ。そして運動もしろ。ああ、もうすぐ隠居の身。なぜなら、いい歳になった私たちは長生きをするんだ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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