隠居たるもの、友に手を貸しレイを編む。先日のこと、つれあいの30年来の友人ふたりが我が庵を訪れた。私とつれあいが共に暮らすようになってからというもの、私だって友だちづきあいをさせてもらっているから、そこから数えてもとっくのとうに20年を超えている。彼女たちは同じセレクトショップでいっとき働き、そこからそれぞれの選択でそこから離れたとしても、ずっと友だちであった。そんなきれいどころふたりが、私の「定年退職」を祝わないわけにはいかないと、いくらか落ち着いたかに見える新型コロナの間隙をぬって、満を持して我が庵に乗り込んできたのである。この4人がそろって一緒にテーブルを囲むのは実に久しぶりのことだった。

A rolling stone gathers no moss.

平日の白昼に堂々と酒が飲めるのは、過度な責任を負っていない「もうすぐ隠居」に至った者の特権であろう。来訪したふたりは共にご高齢のお母さんと暮らしていて、あまり夜遅くなることや不必要にリスクを背負うことは好ましくない。だから都合をしめし合わせて「ランチで」ということになったのだが、昼日中にゆっくり長居できる店というのもそうそうないし、この面子で「じゃあ葛飾は立石で」というわけにもいかない。「それならそれで我が庵」ということになり、それならそれで飲むもの食べるものをそれぞれがふんだんに持ち込むものだから、なんとも豪華な「卒業祝い」となる。そう、きれいどころたちが「卒業」と言うのである。それを受けた私は、斉藤由貴「卒業」の一節を持ち出し、「泣かないと冷たい人と言われそうだね」と応じたのだが、どうにもまったく伝わらない…。まあ、よくあることさ。ちょっとやそっとの齟齬(そご)を気にかけていたら、彼女たちのグルーヴに乗り損なう。案の定、アイドリングの必要もなく、約束通りの待ち合わせがうまくできなかったことから始まって、会話はあっという間にドラマチックに転がり出す。この4人の中、実は私が最年少だ。とはいえ、50代後半にもなると2つ3つの生まれ年の違いはもはや誤差だから、いわば私たちは長年にわたる「ご同輩」なのである。

友に手を貸しレイを編む

今が盛りと庭で咲き誇っていたジンジャーの中から、もう少しでというやつを見繕ってお祝いとして摘んできてくれた。その彼女はフラをやっている。もうひとつ、私の「卒業祝い」にこの場でティーリーフとドラセナでレイを編んでくれるという。ハワイ文化には不案内だったのだが、これを機会に「レイ」についてネットにあたってみる。Lighthouse Hawaii(https://lighthouse-hawaii.com/guide/hawaiian-culture/hawaiian-lei.html)にこうした記載があった。

「ハワイのレイの習慣は、ハワイに移り住んできたポリネシア人と共に渡ってきたと伝えられ、その起源は、歴史をさかのぼること紀元前。魔除けや幸運祈願、 神々への信仰、また権力の証として古代人によって身に付けられた。植物など生物を使用したレイが歴史上の記録に残っているのは、紀元前750年のギリシャのオリーブと月桂樹の葉を使って作られた冠で、実際にはさらに古くからレイを身に付けることが生活の一部になっていたであろうといわれている。世界中の文明が発達した都市にはレイがある。ハワイに渡ったポリネシア人たちは、もともとアジア圏から巡り巡ってハワイにたどり着いたといわれていたことから、レイは長い歴史を経て多くの人々の文明を伝い、ポリネシア人と共にハワイに根付いたのである。 

古くは、ハワイでは森羅万象に神が宿るとされ、レイは、さまざまな植物や動物に宿る神々を崇める手段のひとつとして、また、フラで祈りを捧げる際にも用いられた。現在もなお伝統的な文化イベントが行われる際には、欠かせない文化象徴の存在となっている。だが、そういった伝統的な場面だけでなく、ただ単純に誰かを思い、時間をかけて素材を集めてレイを作る。または時間をかけて選ぶ。こうした贈り手の思いが込められたレイは特別な機会がなくとも、アロハの気持ちとして贈られるのがハワイのレイでもある。」なるほど、なんとも嬉しいかぎりである。

気がつけば陽が沈んでいた

午後1時過ぎから始めて楽しくやっていたら、なんということでしょう、もう陽が沈んでいる。気がつけば、きれいどころふたりはベランダでゆらゆらとフラを踊ってる。そして、完成したレイは私の大きな頭にすっぽりと収まる。記念撮影するにあたって慌ててシャツのボタンをしめたのだが、悲しいかな酔っ払い、第2ボタンがあいたまま…。楽しさにはどうにもキリがない。ここが潮時と断じた彼女たちは、意を決してそそくさと我が庵を後にした。多分、午後7時半くらいのことだったと思う。はっきりと覚えてはいない。まだまだ暑くて夜ぐっすりと眠れない昨今のこと、心地よく疲れた私たち夫婦は、シャワーも浴びず気絶するように寝てしまったからだ。翌日に確認すると、ふたりは無事に帰宅したそうだ。

ジンジャーは香りたつ

つぼみだったジンジャーはその日のうちから咲き始め、翌日には大きく開いて香りたった。そして儚く萎れていった。と思えば、新しいつぼみがすでに膨らんでいる。30度をようやくのこと下回った今日、それぞれの世界観に基づいて相変わらずスタイリッシュだった彼女たちとの邂逅をあらためて楽しく思い浮かべる。「ぼくらは薄着で笑っちゃう」これは忌野清志郎がジョン・レノンの「イマジン」のカバーにあてた詞であるが、なんで「薄着で笑っちゃう」かというと「ひとりぼっちじゃない」し「仲間がいる」からで、そこでは上着を着込んで気取る必要なんかないからだ。ああ、もうすぐ隠居の身。レイは無造作に、だけど目立つところに飾ってある。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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