隠居たるもの、口もあんぐり行く末を憂う。もしかしたら記憶にないだけで、酔っ払ってどこかでそうクダを巻いたことがあるのかもしれないが、自身が憶えているかぎり、これまでに「近頃の若いもんは」と口にしたことはない。育った時代と環境がそれぞれに異なるのだから、どこかしら違っていて当然、自身が抱える「価値観」を定規に「若いもん」を計ることが正当とは思わないからだ。しかし過ぎゆく2023年のこの冬、オージーやチャイニーズ、そして日本の学生さんたちがすっかりと戻ってきた白馬で、「これは…」という光景に幾度か出会う。その主人公は常に日本の学生さんで、しかも決まってスノーボードを抱えた男の子たちだった。
仲良く日焼け止めを顔に塗りたくる男の子たち
あれは栂池スキー場に足を運んだ3月7日のことだったろうか。頂上付近に、古いレゲエしかかからないJACKY’S kitchenというレストランがある。栂池に来たからには必ずや立ち寄りここでランチ休憩をとる。注文するのはいつだってイカフライをトッピングしたカレーライス、とても美味しい。空いている平日の店内に、横一列に4人並んで座り、大人しくまったりしている男の子たちがいた。ずいぶんと長くレストランに居座っているようで、カラフルな市松模様のレンタルウェアを着てそれぞれにスマホを眺めている。私が好物のイカカレーを平らげる間も微動だにしない。「ウェアもギアもすべてレンタルの初心者もしくは初級者だろうに、せっかくなんだからもう少し気合いを入れて練習したらよかろうに」などと食器を返却すべく私たちが立ち上がったころ、彼らもようやく動き出した。
ひとりの男の子がウェアのポケットからなにやら取り出して、「ほら」とばかり仲間たちを促す。残りの3人は片方の手のひらを返し、そこに配給されるものを待つ。それぞれの手のひらに日焼け止めがチュウっと押し出され、残った方の手のひらがそれぞれの顔におしとやかにそれを塗りたくる。食事を済ませ、ゲレンデに戻る横目にその光景を眺めていた私たち夫婦は思わず口あんぐり、しかし彼らはそれで安心したのかまたしばらくまったり動こうとはしなかった。
翌日、五竜スキー場いいもりゲレンデのレストランでランチ休憩をしていたときのこと。コントでたぬきメークをしているザ・ドリフターズか、と見まがうほど立派にスキー焼け(ゴーグルの形を残して鼻から下が真っ黒な顔)した青年が現れた。年恰好は昨日の日焼け止めの子たちとそう変わらない。仲間もあとに2人続く。最初に現れた子以外はそんなに焼けてはいない。私たちのすぐ横にテーブルを確保するなり、昼食そっちのけで彼らは胸ぐらを掴み合わんばかりに議論を始める。中国語だったから詳細はもちろんわからないのだけれども、身振りからして「スノーボードにおける後ろ足の的確な配置と角度について」滑り降りてくるなり口角泡を飛ばしていたと推測する。おそらくスキー焼けの子が白馬に先に来ていて、いくらか上手になった成果を後から来た友だちと共有していたのではなかったか。この光景を微笑ましく眺める一方、前日の日焼け止めの男の子たちを思い出し、「もう勝てないだろうな…」とどうにも寂しい気持ちが去来するのであった。
シャトルバスの発着時間を守れない男の子たち
メロン坊やが大きな声で「なんで発車しないの?」と疑問を口にしたのは2月24日、みんなでそろってエスカルプラザ行きのシャトルバスに乗っているときのことだった。途中に停まるあるホテルに滞在する男の子の学生グループは、どういうわけかすべからく決まって発着時間を守れない。ひとりが「すいません、もう少し待ってもらえますか」と言ったきり、残りの者たちが下りてくるまで5分も待つことはザラ。シャトルバスの運転手さんだって判断に困るし、待たされる方はいつだってどうにも不愉快だ。若いころてえのはどうにもだらしないものだからこちらにも覚えがないわけでないものの、つれあいが言うには「それでもリーダーって感じの子がいてさ『馬鹿野郎!早くしろよ!』とか友だちの尻をたたいたりしたもんじゃない?そして、声には出さなくてもバスに乗るとき『すいません…』ってみんなして悪びれた顔したもんだしね。だから『まったく若いやつはしょうがねえなあ』って許せるんじゃない。それがたくさんの人を待たせておきながら何事もなかったようにぼうっと乗り込んでくるでしょ。中には『こいつ闇バイトでもしかねない』って勘ぐるほどに他人のことが眼中にないって感じの子もいるし…」
あげくの果てにバスにも乗れない男の子たち
女の子の学生グループはどうなんだ?というと、まったく違うのである。うまくできなくても一所懸命に練習するし、若々しくキビキビしている。それでは男女混成の学生グループはどうなんだ?というと、女の子だけのグループほどではないにしろ、いろいろ各方角を意識しながらポーズをつけつつそれなりにがんばっているよう見受ける。すべてを目にしているわけではないし、あくまで個人的な感想なのだけれども、男の子だけで来ているグループがどうにもピリッとしない。つれあいは「あの子たちがなんでスノーボードをやろうと思っちゃったのかが不思議」とまで言う。どちらにしたって、3月19日の光景にはアゴが外れそうになった。またしてもエスカルプラザ行きのシャトルバス、すっかり春で、乗客は私たち夫婦と、1人で乗り込んできたチャイニーズの若い女性スノーボーダーの3人だけ。最後の停留所に、大荷物とともに10人くらいの男の子の学生グループが待っていた。滑り終えてスキー場からそのまま高速バスに乗ってそれぞれの居住地に帰るお客さんは珍しくない。先からバスに乗っていた私たち3人は、ボードを持ち直し、大きな荷物が通せるよう通路をすっかりと空けて身構えた。それが一向に乗り込んでこないのだ。運転手さんが「エスカルプラザですか?」と行き先を確認しても、曖昧にうなずくものの荷物を抱えたままモジモジして動こうとしない。業を煮やした女性ドライバーが「じゃあ乗りましょう!」と声を張り上げて初めて、不承不承ようやくに動き出す。声かけあってすべての荷物を積み込むまでにどれほどの時間がかかったろうか。衝撃だった。指示されなければ、この子たちは乗らなければならないバスに、自分から乗ることすらできないのだ…。
「取り戻されたはずの日本」に育つ男の子
極端な例ほど鮮やかに記憶されるものだから、ここに記した事例をもって「一事が万事」ということでもないことは承知している。しかし「氷山の一角」であることも事実だろう。疑問を持たず、従順に言うことを聞くよう教育されてきた結果、彼らはバスにすら乗れない。東京に戻る暖かくて長閑な春の日、途中の松本駅で若い駅員さんたちが研修中なのか、横一列に並んでいる光景に出くわした。なんだか幼く楽しそうに見える分、かえって憂いが深まった。女の子たちはそのうち日本の男の子を見限るのではなかろうか。半世紀前にはこんなCMコピーが流行ったものだが。ああ、もうすぐ隠居の身。「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」