隠居たるもの、お酒はぬるめの燗がいい。2023年3月28日火曜日、昼まで降った冷たい雨に引きずられて一向に気温が上がらない花冷えの夕べ、私は大学の先輩2人と都営地下鉄 森下駅で待ち合わせていた。22日に桜満開と宣言されてからというもの、東京の空は一向に晴れない。この間の日照時間は合計で13.5時間、「満開後一週間」で比較すると過去最低なのだそうだ。想い起こしてみれば、志村けんが亡くなったのが3年前の今時分、突然に雪が降った29日のことだった。あたかもそれを合図としたかのように、当時に勤めていた会社も出社が禁止となり、世間自体があれよあれよという間にひきこもる。「ありゃ?こいつはいけない。そんときからずっとあの店から足が遠のいたままになってるじゃあねえか!」先日はたとそう気づき、となると是が非でも行きたくなって、会って話をする必要があったことをいいことに、先輩たちをもつ焼き 稲垣 森下店にお誘いしたというわけだ。

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とりあえずはビールとレバを塩で6本

本所の老舗酒場が深川の森下に支店を出したのは2010年。今は亡き親父も酒が飲めないくせにこの店が好きで、レモンサワーのジョッキを傾ける私たち夫婦の横で、焼きうどんなんかを美味しそうに食べていた。つまみはとにかくどれもこれもが美味しいのだが、先輩たちが稲垣に足を踏み入れるのは初めてであるから、メニューを精査していただく間にまずは私が注文する。「とりあえずはビールとレバを塩で6本ね」そう、この店ではまず最初にレバの串焼きを塩で食べないことには始まらない、しかも1人2本くらいの割り当てで。それから子袋とカシラの串焼き、ポテトサラダ、かに酢、マグロぬた、たぬきどうふなどなど、思う存分に稲垣を堪能する。

2階にいるプロのカメラマン

話し合うべきことを話し合い、それぞれの思うところをすり合わせ、今日のところはここで一安心、となったころに店はほぼ満席となっていた。ここでアニマル浜口の赤いTシャツを着た店員さんに「お忙しいところにすまないが、ちょっと写真を撮ってくれないだろうか?」とお願いすると、「今ですね、2階の座敷にプロのカメラマンが来てるんですよ、俺の友だちなんすけど。せっかくだから頼んでみましょうか?」と彼はおっしゃる。「え?いいのかい?」などと表向きは恐縮していると、席上で話題にのぼったケチな大先輩の真似をして年長の先輩が「タダかっ?」とたたみかける。笑い合う私たちにつられて「ええ、もちろんですよ」と彼は微笑み、私のカメラを持って階段を上がっていく。身だしなみをいくらか整え姿勢を正して待っていると、背後から「俺がプロのカメラマンです。いいですか、はいチーズ!」と声がかかる。振り向くと、赤いTシャツの店員さんが前かけをつけたまま真顔でカメラを構えていた。「なんだよ!ネタかよ!でも面白いじゃないか!やるねえ!」となんだか余計に楽しくなって、私たちは熱燗を繰り返し注文し、〆にまたしてもレバの串焼きを塩で4本頼んだ。あの店で3人であの会計、ずいぶんと飲んじゃったようだ。まったくもって可笑しいことに、「プロのカメラマン」はあまり上手には写真を撮れていなかった。

「50歳下の後輩」と食事をともにする

電子書籍にどうにも味気なさを感じてしまう私は、いつだって「紙の本」を読んでいる。そして大体は新しい本を読みたがるから、ひきこもりがちだったこの3年、どうしたって棚から本が溢れてくる。それぞれに「いい本」であることは間違いないものの、再び手にとるのはごく一部でしかないから、その多くを古本屋にでも持っていけばいいのではあるが、そこで提示されるだろう金額を経験的に知っているがゆえに、なんとも忍びなくてつい手元に残してしまう。先輩方との会食から遡ること3日、一日を通して雨が降った25日の土曜日の夜、我が庵に現役学生の後輩を招いて食事をともにしていた。(ご多聞にもれず、かつて「不真面目な学生」だった私は心底から頭が下がるのだが)日常的にきちんと勉強をしている優秀な彼女に「本をあげる」ことにしたのだ。1,000円を超える文庫本がもはや珍しくない今日、「紙の本」は学生にとって「贅沢品」なのかもしれないからだ。稲垣でお酒を酌み交わした年長の先輩が私からするとひとまわりほど年上であるから、この現役学生はその先輩からしてちょうど50歳下の後輩となる。しかし、なんとなく還暦に手が届くところまで生きてきてみると、50年とか100年という年月だって以前ほどに大したこととも思っていない。そして38歳下の後輩と食事をともにし楽しく酔っ払ってしまったから、あの夜に彼女が本を何冊引き取ってくれたのかもはっきりとは憶えていない。

晴弘の海老わんたんそばを啜りながら勘定する

「晴弘」と書いて「はるこう」と読む。門前仲町は富岡八幡宮の裏手、5年と少し前、当時の宮司であった姉を、元宮司だった弟が日本刀で斬りつけた刃傷沙汰の現場近くに、すっきり醤油に細いちぢれ麺、昔ながらのこの店はある。27日の月曜日、「ここ何日か雨に降りこめられちゃってゆっくり外を歩いてないものなあ。少し遠出をしてウォーキングランチと洒落てみようじゃないか?」と目論んだはいいが、適当な店が思い浮かばない。腕組みして唸っているうちにポンッと出てきたのがこの晴弘だった。

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もつ焼き 稲垣と同様、新型コロナ禍以来、外食を控えて行くこともなくなって、こうした「たまには立ち寄る好きな店」が容易に思い出せなくなっていた。そして、ちぢれた麺を啜りながら勘定してみた。「この土曜日から水曜日にかけて、一族郎党が集う昼食会もあったりして、私たち夫婦は合わせて12名の方々と食事をともにするのだが、そのうちでこれまでに新型コロナ陽性と診断され、すでに治癒しているのは8名だ。その中に迂闊な人なんか1人もいやしない。どうだろうなあ、弱毒化しながらすでに集団免疫ができているのではなかろうか。」プリプリの海老わんたんにもすっかり満足して店を出る正午ころ、店の外にはテレワーク中のお父さんと春休みに入った子どもの何組かでちょっとした行列ができていた。ああ、もうすぐ隠居の身。かれこれあれから3年の月日が経った。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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