隠居たるもの、三つ子の魂百までも。2025年11月22日土曜日、朝食をとりながらNHK連続テレビ小説「ばけばけ」の一週間ダイジェストを観終え、食後に供されたコーヒーを飲みつつ「さて洗濯やらなにやら家事なぞ始めようか」とテーブルから立ち上がると、つれあいが「ひゃあ〜!」と大きな声をあげた。「どうした⁈」と問いただす私に、あんぐり口を開けた彼女は窓の外を指差し「猿が…」とようやくのこと声を絞り出す。身を翻して庭を眺めやると、驚くなかれ、移動中と思しきニホンザルの群れが我が庭でひと休み、草をせっせとむしって口に運んでいる。どうやらクローバーのみを摘んで食べているようだ。子猿は可愛らしいし、繁殖力が強いクローバーをそうやって間引きしてくれるのでなんとなく助かるが、とにかく居座られては困る。夕方には中学高校の同級生にして今や私の主治医であるシックスがやって来るのである。

主治医シックス、注射のライセンスを持つ男

どういうわけか「007 殺しのライセンスを持つ男」にインスパイアされたのだ。シックスというのはもちろんコードネームでもないしあだ名でもない。私たち同級生が48年にわたって彼をそう呼びならわしてきた呼称の言い換えである。「松本を旅する予定なんか立てなきゃよかったよ」とシックスは顔を合わせるなり捲し立てる。「まとまった休みを取るからには旅情を味わいつつゆっくり白馬に向かいたい」というから、「途中下車して一人で松本をぶらつき蕎麦でも食って、それから鈍行列車に乗って白馬を目指したらどうだ?」と提案したところ、「それいい!松本に行ったことないしそれいい!」ということになり、午後3時57分白馬着のJR大糸線で彼はやって来た。「昨日の夜に地元の医師会メンバーと新年会の下見のため焼肉屋で食事をしなければならず、そこでチャミスル(韓国焼酎)を飲み過ぎて朝起きたらどうしようかと思うくらいの二日酔い、松本散策は諦めてゆっくり新幹線を使って来ようかとも思ったんだけど、発券してある特急乗車券の払戻しを受けるにはどちらにしたって電車が動く午前8時半までに駅に行かなくてはならない、ならば結局はそんなに変わらないじゃないかと必死こいて予定通りの行程でやって来た。なのに三連休の頭だからか松本は混んでるし、教えてもらった蕎麦屋も長い列で他の店を探して…」と彼はぼやく。

シックスがうちに泊まりにくるのは47年ぶり

まったくもって医者ってえのは世間を知らない。そもそも口当たりがいいからってチャミスルなんぞ無闇矢鱈に飲んじゃいけない。20年も前になるころ散々痛い目にあったから知っている。足腰立たないほどの二日酔いに襲われる。なのにこの日、白馬駅ロータリーに古くから店を構える藤屋という食堂・土産物屋・カフェで、KOREAN WHITEという新しい韓国マッコリの無料試飲会があった。すでに「友だちを連れて顔を出すぜ」と安請け合いしてしまっている。果たしてシックスは韓国の酒をまた飲む気になれるだろうか。まずは駅近くの日帰り温泉施設 みみずくの湯でひとっ風呂。またロータリーに戻って微発泡でスッキリ冷えたKOREAN WHITEをいただてみる。シックスは「うまいじゃん、これ」と生気を取り戻す。この酒を作る韓国の若者たちが日本進出を計画するにあたり、友だちがいる白馬の店でまずは市場調査、というイベントだったらしい。白い雪に包まれる白馬の冬に韓国の白い酒、なかなか乙だ。小さなカップを飲み干して「それにしてもお前が俺んちに泊まりに来るのは中学2年のとき以来47年ぶりだな」と笑いかける私、シックスは「そうなんだよ、あんときの墨田区の家にな。俺もそう言おうと思っていたんだよ」

彼は東京にほど近い千葉の町で祖父の代から医院を営む家に生まれ、それを継ぐべく医大に進み、そこを卒業するかどうかというときに父親が早逝し、いったん閉めざるを得なかった医院を修行と苦労の果て13年後に再開し、今や地域医療に欠かせない医師となっている。高齢者に頼りにされる彼の仕事ぶりを聞くにつけそのたび感心する。初老になってみるとわかるが、代々開業医の家に育った者にしか醸し出せない佇まいというものがあるのだ。しかしだ、男子が最もおバカな中学生時代を、しかもそれが純粋培養される男子校という環境でともに過ごした私たちからすれば、どこか釈然としない感慨が居心地悪くいつまでも残るのも事実で、それゆえ「シックスのくせに偉そうじゃねえか、ええ?」と身も蓋もないツッコミを入れたくもなるのだが、それも言いがかりでしかないから酔っ払ったとき以外にその機会はいっこうに訪れない。そして苦しんだ右肩神経痛の治療で世話になった昨年の3月以来、そんな彼は私の主治医なのである。

主治医シックスが往診に白馬を訪れる

数年前、彼は奥さんに先立たれた。結婚前の交際していた時分に紹介してもらった昔馴染みでもあるし、彼女の訃報を彼から直接に伝え聞いたときは少なからずショックを受けた。「とにかく今は何をやってもつらいから、しばらくほっといてほしいんだ」、電話口で彼はそう言った。一人娘もまだ学生だったし、日々に病院を開けるだけで精一杯だったに違いない。それから月日が経ち、少しずつ日常を取り戻した彼はまた同級生の宴席に顔を出すようになった。そのうち「娘も学校を卒業するし、終の住処っていうか、一人でゆっくり静かに暮らす小さな家を探そうかなって考えているんだ。こんど白馬に視察に行っていい?」と投げかけてくるようになった。一人娘も無事に大学を卒業して就職し、その「視察ツアー」がようやく実現したわけである。だったらそのついでに往診ということにして、いつも処方してくれる降圧剤など一切合切の薬も持って来てくれるという。なんともありがたい。そこにすっかり「白馬マニア」となった、やはり中学高校の同級生ハーモニカのT師匠が一日遅れの11月23日から加わった。

子持ちししゃもといわしの丸干し

スキー場オープンを目前に控えた11月下旬の白馬は一年のうち最も観光資源に乏しい時節。しかしそもそもは山の暮らしと住環境について語らうことが主眼であるから(といいながら、今となっては笑い話に過ぎない私たち同級生の昔の愚行とか、大人になった同級生たちの消息とか、常と変わらずそんな話題の方が多かった)、とにかくゆっくりすることに専念。我が散種荘の庭で焚き火をしながら近所のカフェほがらかに出前してもらったハンバーガーをぱくつき、皆でゆっくり温泉に出向き、夕食に居酒屋メニュー豊富な蕎麦膳まで足を運ぶ。「いやあ、この店のししゃも、本当に美味いなあ」とシックス、「これこそ本物のししゃもだね」とT師匠、「まるでいわしの丸干しみたいに身が詰まってる」と私。それを小耳に挟んでハッとしたのか、スタッフがおずおずと「すいません…。子持ちししゃもとご注文いただいたのに間違えていわしの丸干しをお出ししていました。あらためて子持ちししゃもをお持ちしました。いわしの丸干しは店でもちますので…」とししゃもが6尾並んだ皿を差し出す。「え?いや…、とても美味しくいただいたからちゃんとつけといてください。それにしても俺たちの目なんざまだまだ節穴だよ。まるで中学生のようにさ」と私たちは爆笑した。

三つ子の魂百まで

とはいえいくらか観光らしいことをしないのもなんなんで、二人が帰る24日、新宿直通中央線特急あずさ38号が白馬駅を出発する午後1時41分まで、かろうじて紅葉狩りができる仁科三湖へのドライブに充てた。私たちが子どもの頃に衝撃を受けた映画「犬神家の一族」で佐清が逆さに刺さっていたポイントに少しでも近づこうと私有地に足を踏み入れてしまい、還暦も過ぎているというのにそろって年上のおじさんに叱りつけられたり、車が通れるかどうかわからない農道に誤って入り込み、シックスが「大丈夫か確かめてくる」と走り出した姿に「腿があんまり上がらず膝から下を後ろに蹴上げて腰の周りでフラフラ回すように腕を振る走り方が昔のまんま変わってねえよ」とゲラゲラ笑ったり、それはそれでなんだが楽しかったのである。

私たちを厳しく指導してくださった恩師 T先生は「三つ子の魂百まで」が口癖だった。「三歳までに身についた気質や性格は一生変わらない」という意だが、ひいては「今ここで身につけた習慣がお前らの一生を決める」ということであった。90歳を超えた先生は今もお元気だ。先生、どうでしょう、あんとき子猿だった私たちはいったいどんな猿になったんでしょう。先生は言うだろう。ああ、もうすぐ隠居の身。「ええ、三つ子の魂百までも、そういうことなんですよ」と。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

2件のコメント

  1. シックスが来たんだね!面白い文章で楽しませてもらったよ。私もいつも言ってる三子の魂、百までも!って。T先生に今は感謝しかないね。

    実成俊也
    1. 呑んだ後の帰りの電車で読んだよ。
      面白かったな。
      なんだとどのつまりは
      いつもとおんなじだなぁ
      ってね。

      シンザワ

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