隠居たるもの、ワンマン列車を乗り継ぎ旅情にひたる。2023年7月11日火曜日、ホームで発車を待つJR大糸線 南小谷(みなみおたり)12時7分発 糸魚川行きのボックスシートに陣取り、私は散種荘より持参した握り飯をほおばっていた。途中のスーパーで買い求めた鶏胸肉の唐揚げを手にさげ、白馬駅から2両編成の下り普通列車に乗り込んだのは11時23分、姫川沿いを揺られて19分後に終点 南小谷に到着し、ホーム反対側に停車していた1両編成のワンマン列車に乗り換えた。停車したままの列車に落ち着くこの25分間で昼食を済ませている。8駅先の終点 糸魚川には13時6分に到着するはずで、半ズボンの左ポケットには、白馬駅の自動販売機で購入・発券した片道860円の切符が無造作に放り込まれていた。

新型コロナ禍以来初めての旅行?

長野県の松本と新潟県の糸魚川をつなぐJR大糸線、当初は信濃大町と糸魚川を結ぶ路線として建設されたがゆえ、今も「大糸線」の名で残る。しかしこの大糸線、今日に至り少し変則的で、ここ南小谷を境にして松本方面がJR東日本、糸魚川方面をJR西日本、それぞれ分かれて管轄されている。「さらしもの」にして「廃線やむなし」という世論を喚起するため、毎年JR西日本は自社路線の「赤字ランキング」をえげつなく発表するのだが、「JR西日本の大糸線」はそこで常に安定的に上位を占める。

「効率」を教条的に信奉する彼らは、虎視眈々と廃線にするチャンスをうかがっている。モタモタしていると唐突にその日がやってくるやもしれぬ。だから「今のうちに大糸線をつたって糸魚川まで行ってやろう」と計画を立てていた。考えてみれば新型コロナ禍以降、暮らしている深川や白馬およびその経由地の他、身内を訪ねる以外に旅行らしい旅行などしたこともなく、だとしたらようやく実行に移したこの計画は、結果としてなんと3年半ぶりの旅行に違いない。気合いが入らないわけがない。まずは笹倉温泉 龍雲荘を宿泊先と決めた。

ヒスイ海岸で石を拾う

しかし龍雲荘の送迎バスが糸魚川駅に発着するのは14時50分、どうにかしてここまでの時間を埋めねばならぬ。ならば日本海を拝むのが順当というところ。えちごトキめき鉄道という第三セクター方式の鉄道会社があって、「日本海ひすいライン」という路線が糸魚川に通っている。大学からの友人がこのトキ鉄に入れ込んでおり、糸魚川事情にも通じているものだから、色々と教えてもらった。ここは彼の面子を立てて、ひとつ隣の「えちご押上ひすい海岸」駅まで乗ってみることにした。

日本列島の成り立ちを物語る糸魚川ー静岡構造線が走るこの街は、フォッサマグナ「大きな溝」のお膝元である。その溝に溜まったあらゆる時代の石が、川にけずられ街に集積する。この日の東京の気温は36℃だったと聞くが、風が吹き渡る海辺はせいぜい30℃。初老にさしかかった夫婦がたっぷり潮風にあたることもときには必要であろうし、ひと駅分だけゆっくりと海岸を逍遥し「よもや」というものがあれば採集しよう、そういう乙な趣向なのである。もちろん翡翠を見つけることはなかったが、ここで拾われた色とりどりの石たちは、帰りの私のリュックサックにずっしりと「安定」をもたらした。

ヒスイは「新潟県の石」:https://www.itoigawa-kanko.net/kenseki-hisui/
*宿泊先で披瀝されたヒスイ海岸で拾った色とりどりの石

笹倉温泉 龍雲荘は秘湯である

糸魚川駅南口から送迎バスで「30分ほど」という龍雲荘、分け入った焼山のふもとに湧く秘湯の宿である。その他の料理は少なめで漁獲されたばかりのズワイガニを一人に一杯つける、という夕食プランがあった。金沢のようなべらぼうな値段設定でもない。3年半ぶりの旅館泊なのである。しかも往復の交通費がふたり合わせて3,000円と少しなのである。躊躇することなく「カニプラン」を選ぶ。言辞を弄する必要はなかろう。ああカニとはこういう味、至福であった。この宿での一番人気だという地場の銘酒「謙信」もキリッと美味しかった。「コロナで2ヶ月休業したこともありました。ええ、大変でしたよ…」と語るスタッフの働きぶりも親密で好ましい。再び訪れる日がすでに楽しみだ。

笹倉温泉 龍雲荘:https://www.sasakura-onsen.com/

谷村美術館で雨宿りをする

それこそバケツをひっくり返したような雨が降り出した。予報はまるっきり当てにならない。一夜明けた7月13日、龍雲荘の送迎バスで送り届けてもらった谷村美術館で、隣接する日本庭園 玉翠園を眺めながら身動き取れず足止めされていた。雨宿りの合間に、美術館の来歴を地元の方から直接にご教示いただく。木彫芸術家 澤田政廣の仏像を収めるために建築家 村野藤吾が設計し、石灰岩からセメントを作って財を成した地元の資産家 谷村建設が出資・建設した美術館なんだそうだ。さすがは「石の街」である。またこの村野藤吾という建築家が都の西北の大学の先輩で、私が通った文学部校舎もこの方が設計したものだということを初めて知る。小ぶりでユニークなこういう美術館がひっそり建つのは地方都市ならではの魅力である。

翡翠園、玉翠園・谷村美術館:http://gyokusuien.jp/

ブラック焼きそば、糸魚川のソウルフード

小降りになった隙を見計らい名石を並べた日本庭園 翡翠園もなんとか見学し、駅近くの人気店 月徳飯店のテーブルに着いたころには、致し方なく靴下は水浸しとなっていた。当地のソウルフードというブラック焼きそばを注文してみる。薄く焼いた卵をのせて、お好み焼きおよびオムライス風にしたイカスミ焼きそばだ。辛い豆板醤で味を整えながら食す。これがなんともクセになる。

「雨は午後から弱まり、15時にもなれば一旦あがる」と天気予報が修正された。確かに店を出てみると傘を広げる必要がない。晴れやかな心持ちであたりを見回してみると、店の斜め向かいの「新潟県史跡」といかめしい建物に気づく。相馬御風という詩人の生家なのだそうだ。看板に記された彼の来歴に目を通してみると、この方も前述の建築家と同じく母校の先輩(学部も私と同じく文学部)にあたり、しかも「都の西北♪」で始まるあの校歌の作詞者なのだという。この海辺の街にほのかな親近感を覚えつつ、13時23分発南小谷行きの大糸線に乗るべく駅に向かう。

老婆のリュックサックから牛蒡が顔を出す

「そんな聞いたことねえこといわれたってどうしたらいいかわからなかろうがっ!南口ってどこのことだっ!」腰の曲がった老婆が、ビニールに包まれた牛蒡を、背負ったリュックサックからぴゅうっと飛び出させて怒りに震えている。連れだったもう一人の老婆も「そうだそうだ」と加勢する。JR西日本管轄区間の大糸線が大雨で運休となっていた。「振替輸送の乗合タクシーを南口で待つように」と案内される。雨もやみつつあるし、予定通りフォッサマグナパークを見物するため、私たちは根知という駅で「途中下車」をする。そこで下車する方がもう一人いらしたから、3人が一台に同乗することになった。

「あいつらすぐ止めっからな。風が吹いたっていっちゃあ止め、雪が降ったっていっちゃあ止め。おかげでうちは儲かるけどね」とタクシー運転手が軽口をたたく。乗客3人も明るく笑う。しかし、どうにも雲行きが怪しい。はたして根知駅で下ろされると同時に凄まじい雷鳴が轟いた。同乗していた方は定期券を見せて自宅へ向かうのか走り去り、私たちの切符を受け取ったタクシーはUターンして元の道を引き返す。ほどなくしてまたしてもバケツをひっくり返したような豪雨…。浸水目前の無人駅の待合室、取り残された私たちはただただ慄くばかり…。しかしだ、あまりにも長くなったので今回はここまで、続きはまた次回。ああ、もうすぐ隠居の身。絶体絶命の危機なのである。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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